第135話 ANZAC軍団
大英帝国がドイツに宣戦布告すると、すかさず英国連邦に加盟しているオーストラリアやニュージーランド、それに他の加盟国なども一斉に宣戦布告したのである。当時のオーストラリアやニュージーランドの、国民の90%以上は英国移民のためオーストラリアは、英国式議会制民主主義を踏襲して、民主主義的価値観を共有していた。
この国でも欧州の国々と同じように、若者達は戦争は英雄的でロマンティックなものであった。彼らは戦争を、学校の教科書や派手な戦争画から眺めていた。
金ぴかの軍服を着た騎兵の勇猛な突撃、壮烈な敵との白兵戦そして戦争がはじまると英国の親兄弟、親戚、友人が戦っているのに傍観できるわけないと強く思い
オーストラリアやニュージーランド各地から、若者が勇んで軍へ志願して入隊していき、栄光の大英帝国連邦の一員であることが誇りだと思っていた。
こうしてオーストラリアおよびニュージーランド出身の志願兵により組織された軍隊は、オーストラリア・ニュージーランド軍団'(Australian and New Zealand Army Corps)となって、略称は短く”ANZAC” (アンザック)と命名された。
軍隊の動員は迅速に行われ、軍楽隊の音楽が高らかに鳴り響く中、革の軍靴にゲートルを巻きカーキ色の制服に頭にはカウボーイ風の広つば帽子で、ライフルを肩に掛けられるように、つばの片側が折り返されているオーストラリア陸軍の伝統的な制帽であるスロウチハットを顎ひもで止めて、若者達はまったく軍事経験がなくても、国ができて初めての参戦で心の中は楽しい冒険心で沸き立っていた。ここでも”クリスマスまでにはまた家に帰ってきますよ!”と新兵たちは笑いながら、母親に叫んでいたのである・・・・・・
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ロンドンの駐英日本特命全権大使の井上勝之助が、英国外務省に呼ばれ応接室に通されしばらく待っていると、外相エドワード・グレイ卿が部屋に入ってきた。向かいのソファーに座ると日本大使にドイツ軍の青島要塞攻略の活躍をねぎらい、「日本の海軍はすごいですね、あのドイツのアジアで最強の要塞を攻撃初日で陥落させるとは、我が東洋艦隊の司令官ジョン・フィッシャー提督からも、あの海兵隊とかいう部隊の活躍を聞いております。」そう言いながら腹の中では日本人を軽蔑しているグレイ卿。
日本政府からはなぜか、近日中に英国から日本の欧州派遣要請がくるからと聞かされ、最大限の協力をするように指示されていた井上大使は、きっとこの事だと察して「欧州の戦況はどうなんでしょうか、一時はパリも陥落するかと思い、日本の大使や在住の日本人の退避も考えましたが、貴国の欧州派遣軍の活躍でドイツ軍も撤退してにらみ合いの状況と聞いておりますが、」と探りを入れてみた。
「そうなんです、今ではお互い敵に背後に回り込まれないよう、両翼に向けて塹壕を掘り進めて行くうちに、スイスとの国境からイギリス海峡までの広大な塹壕が出来上がっています。フランスやベルギーでも膠着状態でなかなか打開できなく困っています。」
「そこへ、オスマン帝国も参戦して、ドイツ海軍と協力して地中海やスエズ運河を通る我が国の商船も危ないかもしれません。アスキス首相から日本の海軍や陸軍を欧州へ派遣してもらうよう依頼をうけました。フランスやベルギーも切望しております。貴国の政府に打診してもらい、欧州の戦争へ軍を出してもらえないでしょうか。」ついに腹を決めて、嫌う日本人へ頭を下げるグレイ卿
すでに派遣を決めていた日本政府の指示を受けている井上大使は、笑顔で「わかりました。ご安心してください、日本の国民は日露戦争で我が国が大変な時に貴国から受けた恩の事は忘れておりません、総力をあげてこの欧州の戦いに全軍を送り込みます。そのようにアスキス首相に伝えてください。」駆け引きもなくきっぱりと日本が受けた恩返しの話しをする井上全権大使、その即断の返事を聞いたグレイ卿は驚き、黄色いサルがこちらの弱みに付け込み、話しを長引かせなにか要求してくるかと思ったら、昔の受けた恩は日本は忘れていないと言い、このサムライのような精神をもった、日本軍が支援してくれればこの戦争も必ず勝利するのではと、少しだけサルを見直した。こうして日本は史実と違い、こちらの世界では米国が中立の立場でいる時に、英国へ協力して欧州の戦争へ全面的に参戦することになったのである。
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その頃、日本では欧州の戦況が毎日、新聞に掲載されて日露戦争の苦しい時に英国からの軍事支援や戦争継続の為の資金を出してもらって、どうにか勝てたと思っている日本国民は連合国の一進一退に注目していたのであった。そんな時に英国から欧州派遣を依頼された日本政府はこの事を国民に知らせると、自分達の国が一等国並みに扱われ、欧州の大国から期待されての支援要請がきたと、一気に国民は沸き上がったのである。そして、日本でも戦争を知らない若者達が次々と軍に志願してくれて、そのお陰で新たな徴兵をしなくても予備役を含めて十分な兵が集まったのである。
帝都永田町二丁目にある、首相官邸には首相の大隈重信、外務大臣加藤高明、国防大臣東正彦と副総理西園寺公望と政務官の結城が欧州派遣軍について協議をしていた。
国防大臣東正彦が先に話しを切り出した「今回の欧州派遣軍については、誰を総大将として送りますか。」そう言いだすと、結城がすかさず「今回は世界中が、この戦争がどうなるか気にしています。やはり、日本を代表する軍人でなくてはなりません。」それを聞いた首相の大隈は「それじゃ あの二人しかおらんじゃろ」と言い出したのである。そして外務大臣加藤や国防大臣の東正彦も頷き二人も「あの人物ですね。」とにやりと笑みを浮かべて了解したのである。副総理西園寺先生と結城も顔見合わせてうまくいったと喜ぶのだった。
こうして日本はオスマン帝国の参戦から、すぐにこの国に対して宣戦布告をして英軍の指示に従い、オーストラリア=ニュージーランド軍のインド洋の護衛要請も受けて、エジプトのカイロにある英国中東方面司令部に、第一海兵隊と陸軍からは幾多の戦場を経験した最強の第七師団と、粘り強い戦いをする第九師団を派遣することになった。
連合艦隊の主力である第一艦隊(戦艦4隻 巡洋戦艦4隻 巡洋艦5隻 駆逐艦15隻 改造空母2隻)は補給艦を伴いイギリス・スコットランドのオークニー諸島に存在する入り江 、メインランド島、ホイ島、バレイ島、サウス・ロンルドシー島などに囲まれ、細い水路で外海とつながっていて外部からの侵入を防ぐことのできる天然の良港で、イギリス海軍の根拠地であるスカパ・フローを目指した。
欧州の西部戦線への陸軍の投入は、新兵の訓練と補給品の準備の為、翌年の秋以降となったのである。こうして英国へこの事を公式に連絡すると翌日の英国の新聞には「日本の英雄、東郷提督の日本海軍が英国支援!」「名将乃木大将が最強の陸軍を引き連れ英国を支援!」日露戦争では連合艦隊を率いて日本海海戦で、当時世界屈指の戦力を誇った、ロシア帝国海軍バルチック艦隊を大胆な敵前回頭戦法(丁字戦法)により一方的に破って世界の注目を集め、世界的な名提督としてその名を広く知られることとなり、英国では東洋のネルソンと尊敬される東郷平八郎この時66歳、もう一人は降伏したロシア兵に対する寛大な処置も賞賛の対象となり、特に水師営の会見におけるステッセル将軍への処遇については世界的に評価され、彼が指揮した旅順攻囲戦は、日露戦争における最激戦であったため、日露戦争を代表する将軍と評価された乃木希典大将は65歳、この世界では明治天皇の崩御の際に殉死することなく予備役についていた。
近代戦においてロシア帝国との不利な戦争で日本を勝利に導き、実戦を経験した英雄二人が英国の軍事支援することになり、まるで戦争に勝ったような騒ぎとなって英国民は喜んでいた。
つづく、、、、