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第133話 中華民国

お知らせ

いつも読んでいただきありがとうございます。 次の投稿はしばらく休みます。来週の水曜日頃になると思います。  よろしくお願いいたします。



欧州の戦争が始まる、少し前の1911年夏の終わり、東京の帝国ホテルの貴賓室では部屋の外に厳重な警備をさせ、結城と外務次官それに孫文そんぶんが三人そろって座っていた。向かいには駐日米国大使ラーズ・アンダーソン氏と駐日英国大使カニンガム・グリーン氏が座り、出されたコーヒーを飲んでいた。


結城と外務次官をよく知っている二人の大使に、結城があらためて隣にいる孫文そんぶんを紹介した。


「こちらが、現在、清国でおきている、満洲民族に支配されていた漢民族の独立を訴える兵士らの武装蜂起のリーダーで、革命の指導者の孫文氏です。」


そう紹介すると英国大使カニンガム・グリーン氏はにやりとしながら、「やはり、日本政府はこの革命を裏で操っているんですね」とすでに、英国の情報機関(後のMI6)からの報告で、日本が孫文そんぶんを支援している事は知っていた。


「え~、そうだったのか、なんで日本はそんな金にもならないことしているんだ。」何も知らない米国大使ラーズ・アンダーソン氏は、そう言って外務次官ではなく、結城の顔を見るのだった。日本の重要な局面になると結城が出てくる事から、彼ら外国大使達からはいちもく、結城は置かれていたのである。


「フフフ、お金ではありませんよ、この孫文氏の革命理念に共感した日本政府が応援をすることになっただけです。」


「それで、世界の大国であるグリーン氏やアンダーソン氏の母国にもぜひ、革命後の新しくできる共和国の中華民国をぜひ認めて頂きたくて、集まってもらいました。」


「共和国だって~!」二人は声をそろえた。


「あの2000年以上も続く、中国王朝が終わると言うのか!」そう言ってきたのは、アヘン戦争や香港の統治で清国とは関係が深い英国大使のグリーン氏


そこへ話に入ってきた孫文はこれから起きる革命について説明した。

「漢民族による革命は進んでいます、もうすぐ、政権は革命軍が引き継ぎます、帝にはすぐに退位してもらい、君主としてもう統治はしません。来年の1912年1月1日にはアジアでは初めての、民が中心の民主国家である中華民国臨時政府が立ち上がり、私が中国政府の代表である臨時大総統になる予定です。」


「その際には国際社会のリーダーである、英国と米国による後押しをお願いしたくて、日本政府にお願いして今日の会合をしていただきました。」


話しの内容を理解した、米国大使アンダーソン氏は「つまり、清国から新しくできた中華民国の臨時政府を国の代表として、認めればいいわけですか」


うなづく孫文、二人の大使は考え事をするが、先に米国大使アンダーソン氏が口を開いた。「まったく、今の清国よりはましな国ができそうだし、こうして新国家の代表となる人物との、お近づきになれたのはいいのですが、少しだけ我が国にメリットになるような事はありませんか、う~ん、我が大統領への土産と言うか」さすが「give and take」の国である、英国の大使もそれにうなづいていたのである。


孫文は結城の顔を見ながら、ニヤと笑い、事前に彼からアドバイスを受けて了解していた土産の話しをしたのである。


それは米国の民間企業から大規模な資金が投入され、それに米国や欧州在住のユダヤ人達が注目している満州について、自治領として認めるという事になり新政府の影響下にはないと約束してくれたのである。これにより満州は日本政府や米国政府などの、関りが強い国の指導による国作りが可能になったのである。


それと英国にはイギリス統治下にあった香港を、中華民国の新政府でも現状維持という事を約束して、この英国統治の問題にふれないことにしたのであったすでにその約束の書面が用意されており、二人の前で孫文はサインをするのだった。二人の大使はその約束の書類を国に送り、内々に米国や英国は了承したのであった。


こうして帝国ホテルでの大国との秘密の会合のあと、翌年の1912年1月1日に数千年も続いた中国の王朝時代が終わりをつげて、革命家の孫文が臨時大総統に就き、新中国を代表する政府として、中華民国臨時政府が成立すると、真っ先に日本と英国、米国が中華民国臨時政府を国の代表として承認したのであった。


だが、歴史を知っている結城は、孫文達が皇帝の時代を終わらせ、立派な理念である民が中心の民主国家、中華民国を立ち上げてもこれを脅かす大物人物の事について知っていたのである。


その人物とは袁世凱えんせいがい史実では、清国の元高官の軍人として皇帝に使え、兵士達を自由に動かせる彼にはそんな理念なんかなく、ただ満州人からの支配から独立する為に孫文と手を組み利用していたのだった。


革命の理念では素晴らしい考えを持ち、多くの漢民族から支持された孫文であるが、武力については疎くて、その力を持っている腹黒い袁世凱えんせいがいと手を組んでしまったのである。


そして革命が成功すると孫文を蹴落として、その本性を表し1913年、国民党という政党が選挙で勝つと、袁世凱はそのリーダー・宋教仁そうきょうじんを暗殺して実権を握った袁世凱は「皇帝になりたい!」と言い出し国中がまた大混乱を起こすのである。


つまり、このふたりのちがいは、「国を動かす力を誰が持つのか」という点にあり、袁世凱は自分一人に力を集中させようとしたのに対し、孫文は国民みんなで国をつくるという理想を追い求めたのである。


結城はその歴史を知っているので、孫文を支持する若い弟子達を数年前から大勢受け入れて、軍事訓練や士官として兵を統率する為の教育を陸軍で指導してもらい、孫文を支える為の軍の指導者を育成していたのである。彼らは国に帰ると兵士を集め日本から運ばれた資金や旧兵器で訓練をして、孫文配下の強力な部隊を各地に作っていくのだった。


それと英国の情報機関に協力してもらい、彼らの情報源の一つでもあり、蜜月の関係である香港の無法地帯の九龍城を牛耳る黒社会、麻薬の密売、売春、人身売買、賭博、殺人金を出せば何でも請け負うその黒社会の住人に話しを付けてもらい、大金を渡して袁世凱えんせいがいの暗殺をお願いしたのである。


そしてそれは、孫文が臨時大統領に任命されてから1か月後に実行された。夜の相手をする数人の女性達に囲まれ、酒とご馳走を楽しんでいる、権力者としてご満悦な袁世凱だったが突然、胸を押さえて苦しみだしそのまま心臓が止まり急死した。


医者がすぐに駆け付けたが間に合わず、見た目には不自然な感じがなかった事から、急性の心不全ということで病死扱いとなり、この世界の歴史の記録に残ったのである。何の殺害証拠も残さない恐るべし中国三千年の暗殺術だった。


こうして孫文は、その後に行われた選挙で正式な中華民国の初代大統領として、中華民国では中国最初の共和制の創始者として、長らく国父と呼ばれる事になったのである。



  ~~~~~~~~~



数年前に上杉医師が日帝大医学部の部長となり城島洋介先生も薬学部の教授となり、医学部の副部長も兼任して二人は日本の医療界のトップとナンバー2として、君臨することになった。これによって、尚美から教えてもらった、この世界で作れる未来の薬も全国に普及していき、病気の診断やこの時代でも可能な治療法が次々と日本中へと広がる事となった。


そして、二人にはことわり、医院から持ってきた未来の医療機器を「医学部長の許可をもらいました! 新開発の医療器械です。」と言って手術場や外来で使いはじめたのである。未来のとんでもない医療器を見ると、最初はビックリしていた先生方も使い始めたら、みんなあまり疑問もなく、すっかり使い慣れてしまったのである・・・


日本国旗と赤十字旗が屋上に翻るパリ凱旋門近くのアストリア・ホテル


招待された、有力な貴族や財閥それに高級軍人達、数十名が内見会の時間をまっているあいだ、ホテルの貴賓室で高価なソファーや椅子に腰かけ、出されたワインやシャンペンを飲みながら、久しぶりに会う夜会や舞踏会の友人達と、日本のサルの事で話しが盛り上がるのだった。


そこに、お揃いの日の丸を付けた青いブレザーの制服でやってきた団長の高橋勝次と尚美、開院セレモニーパーティーの前の院内の見学について、通訳を通して説明を始めたのである。 


せっかくなので、持ち込んだ医療機器を使ってみなさんの体の簡易な健康診断をしませんかと希望者を聞くと、暇を持て余し興味満々の御貴族の婦人達は、夫の服の袖をひっぱり参加するのだった。ほぼ全員がこの健康診断をすることになり、番号が書かれたカルテを渡され、名前や年齢に気になる症状を記入してもらい番号が呼ばれると隣の部屋へいくのだった。


自分の番号を呼ばれた高貴なモンモランシー公爵夫人が、隣の部屋に行くとそこに椅子とテーブルがありその上には見た事もない器械がのっていた。


脇にいた看護婦から勧められ、椅子に座り言われた通り、洋服の袖をめくりあげその機械のドームになっている穴に上腕まで入れて、看護婦がボタンと押すと「ブ~ン」と響く低い音がすると上腕部をカフがゆっくりと締め上げてきたのである。モンモランシー公爵夫人がビックリして看護婦を見ると「大丈夫ですよ~血圧を機械が測っています。」と通訳が説明してくれた。


腕を締め付けていたカフから空気が抜けていくと、目の前の器械の表示板にデジタル数字が二つあらわれ数字の大きい方が最高血圧、低い方が最低血圧だと説明を受けたのである。その数字を看護婦はカルテに記入した。


この自動血圧計にすべての来客が驚いた。医師が測るのではなく器械が自動で測るのである、その仕組みに驚いたのであった。モンモランシー公爵夫人が次の部屋に行くとまた椅子に座らせ腕を消毒してこの世界で、作った真空採血管と翼状針で採血をしたのである、何のための採血か夫人が聞くと血液を調べれば病気がわかる検査をすると言われ ”血液でそんな事がなんでわかるのよ~”

と思っていたが、黙って採血を受けた。最後は簡易レントゲン室に言って胸の撮影をして終了したのだった。


ホテルの貴賓室には簡易健康診断を終えて、そのまま手術室や病室などの院内見学を終えた来賓達が、団長の高橋勝次と尚美が説明する電動で上部が変形する手術台や、めちゃくちゃ明るい移動型の無影灯、電気メスに吸引機などの説明を聞いていたら頭が真っ白になるほど驚いてしまったのである。


後進国で白人の物まねばかりする日本が、いつのまにか白人も持っていない、医療機器の新技術にドギモを抜かれ、誰もが日本のサルとは言わなくなり無口になってしまったのである。






つづく、、、、




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