第131話 青島要塞の攻略その3
ドイツ軍の破壊された両翼の堡塁陣地、すでに周辺には砲兵隊の野砲からの支援砲撃で、鉄条網や地雷は吹っ飛ばされ、ひどい状況となっていた。そこへ単発の中折式の擲弾発射器を持った第一海兵師団の兵士数人が防御壕から、身の乗り出し「ポ~ン、ポ~ン、ポ~ン」と何発も煙幕弾を敵の塹壕前を狙って撃ちだした。
弾が落ちるとクルクル回りながら、白煙を吹き出し敵の視界をさえぎると、四十二式小銃に銃剣を装着した兵士達が、南部式短機関銃を持った士官達に率いられ
敵の陣地へと突入していった。
すでに堡塁陣地は「Bunker Buster」で崩壊して指揮をとる士官も戦死していて、統率が取れていないドイツ軍の塹壕陣地ではまだ破壊されていない、MG08重機関銃(銃身を4リットルの冷却水入れで筒状に覆うなど、基本形状はマキシム機関銃とほぼ同一であり、250連発の布製ベルトにつなげた弾丸を500発/分の速度で連射する性能を有していた。)が煙幕で見えない先を、盲撃ちで射撃していると、いきなり投げ込まれた破片型手榴弾が1個、さらに2個と足元に転がってきて、それに気が付いた途端に盛大に連発する爆発音で体を飛ばされて即死した。
初めての戦闘を経験するドイツ兵は、震える手でモーゼル式小銃Gew98を操作して煙幕の隙間からみえる日本兵に向かって銃撃するが、弾が命中して一度倒れても、また起き上がり突っ込んでくる兵士に驚いていると、狙撃兵に眉間を撃ち抜かれ絶命するのだった。
海兵隊員の半分の兵士が若い時に、日露戦争の塹壕戦を経験しているベテランで損害をあまり受けずに敵の塹壕に飛び込んだ、ある士官は塹壕の上から腰だめに銃を捨てて壕を逃げ回るドイツ兵に向かって、短機関銃を撃ちながら壕に沿って掃討していたのである。こうして一方的に両端の堡塁陣地を突破した海兵隊の精鋭は、青島市街へと急ぎ向かうのである。
その後を英国兵が銃剣を装着したリー・エンフィールド小銃をもって、煙が出て半分崩壊した堡塁に突っ込んでいってまだ生存して抵抗するドイツ兵の掃討にかかっていた。
塹壕での戦いで降伏したドイツ兵は、英国兵に従うのを拒み、残っている日本兵の腕を掴んで「Japan」「マ・ツ・ヤ・マ」「Japan」「マ・ツ・ヤ・マ」と何度も叫び両手を合わせて、お願いしてくるのである。(「ヤーパン」はドイツ語の日本の意味)どうもロシア兵捕虜を尊厳をもって丁重に扱った日本や松山捕虜収容所のニュースは、欧州の国々の兵士達の間では天国のような伝説となっていたようだ。
それにドイツ人とイギリス人は昔から仲が悪く、どうせ捕虜になるのなら丁寧な扱いをする日本を選びたかったのだ。
両翼の破壊されたドイツ陣地が占拠された事を知った、近くのドイツ堡塁陣地の指揮官は、素早く奪回の為、配下の兵士を向かわせた、塹壕や堡塁から飛び出してきたドイツ兵士は、銃剣をつけたモーゼル式小銃Gew98を、前に突き出し声を上げて突撃してきたのである。
すでに破壊された両翼堡塁には、英国兵と後続の海兵隊が瓦礫だらけの場所に身を隠し待ち構えていた。迫ってくるドイツ兵をみた若い英国兵は恐怖で腰をあげて逃げ出そうとしていたが、その時、日本軍の数丁の一式機関銃が毎分800-900発の弾丸を撃ちだすと、迫ってきた200名ほどのドイツ軍の中隊はバタバタと倒れ数分もするとそこに立っているドイツ兵はいなく、死んでいるかうめき声をあげる兵しかいなかったのである、200名程のドイツ兵を数分で、いっぽう的に虐殺する光景に朝食を吐き出す若い英国の兵士、近代戦を知らない英国士官や兵士は一発も銃を撃たないで数分で終わった戦闘を、口をあけて驚いて見ているだけだった。
そしてさらに彼らが驚いたのは、自分達が倒したドイツ兵に向かってヘルメットの四方に白地の円に赤十字のマークをつけて、左の上腕にも赤十字の腕章をし、医療バックを肩から掛けた衛生兵が数人駆け寄り、負傷して苦しむ兵士にモルヒネを注射したり、担架で後方に運びだしたのだった。その手際を見て日本兵は戦争をよく知っているプロの集団だと強く思ったのである。
青島市内のドイツ司令部
防御ラインを指揮するカイゼル少佐が、慌てて総督アルフレート・マイヤー・ヴァルデック海軍大佐の執務室にやってきて「ヴァルデック総督、大変です、防衛ラインの両端の堡塁陣地と連絡が取れません、どうやら日本と英国の連合軍によって占拠されたかもしれません」
朝から戦場から聞こえる、途切れのない砲撃や銃の音でただごとではないと思っていたヴァルデック総督、鉄壁の防御ラインが、敵が上陸して僅か4日で占拠されたとは思ってなくて、「電話線がどこかで切れたのじゃないのか、近くの陣地から両翼の陣地に様子を見に行かせて連絡させろ。」とカイゼル少佐に命令をした。
そんなやり取りをしていると、窓の外から「パ~ン、パ~ン、ダダダダッダダダッダダ パ~ン」と銃撃の音が響いたのである、3階の執務室にいる二人は
そこにいた副官と窓に近寄り外を覗きこむと、そこから見えるすぐ近くの通りの角に、ヘルメットをかぶり銃を構えた兵士が、この司令部を守備する兵士と銃撃戦をしていた。
その兵士の左腕の上腕部には白地に日の丸が描かれた国旗の腕章をしており、いつのまにか日本軍がこの司令部に向ってきたのである。そうこうしていると四方の通りから日本軍が沸いて出てくると、司令部は完全に取り囲まれて、銃撃はいったん静まり、白旗を持った日本軍を指揮する大尉が副官を連れて降伏勧告を進めに来たのだった。
するとすでに戦いの継続をあきらめたヴァルデック総督は、その申し入れを受けて、ここで敗北を認めて降伏したのである、この事はすぐに無線で日本軍の司令部へと伝えられドイツ軍もつながっている電話で守備を固めていた3ヶ所の堡塁陣地へ連絡して、各堡塁を指揮する士官は、自分と部下の命が助かったと喜び、進んで白旗を上げたのである。
降伏したドイツ軍守備隊は、日本軍が青島に進軍するのを好奇心を持って見守っていたが、イギリス軍が町に入ると背を向け、ドイツ兵のイギリスへの怒りはあまりにも深く一部のドイツ将校はイギリス軍に向かって唾を吐いていた。
ドイツの植民地である、南洋諸島の占領(サイパン、テニアン、グアムパラオ諸島、トラック諸島、マーシャル諸島など)については海軍の第一艦隊が陸戦隊を引き連れ向かうと、なんの防御もしていない統治しているドイツ人はすぐに降伏して、日本の統治下に入ったのである。こうして日本は英国から要請された東洋のドイツ帝国の脅威を一ヵ月で排除したのであった。
青島要塞攻略が初陣だった第一海兵師団は、一週間もかからず要塞を攻略したニュースは新聞の一面を飾り、「切り込み海兵隊、瞬殺でドイツ軍要塞攻略!」とか「殴り込み海兵隊、攻撃初日で要塞陥落!」と新しい第三の軍隊として海兵隊の存在をアピールしたのである。これらの海兵隊の活躍が、芝居小屋の演目で各地で始まると、日本中の人達が熱狂して見にいき、最後に、顔を白塗りして白人のマネをするドイツ司令官に、降伏を迫る「乃木大尉」の場面では、父親の旅順要塞攻略を思い出し、みんなが立ち上がり拍手をして盛り上がるのだった。
9月の初め大勢の人が横浜港に集まっていた。欧州派遣救護事業で欧州の大国へ医療救援隊を派遣する事が決まり、希望する者や招集された医師や看護婦、ベテランの衛生兵が、みなお揃いの青いブレザーその左胸のポケットには日の丸の国旗が刺繍されており、男性はクリーム色のズボンに女性はスカート、お揃いの帽子を被り、乗船を待っていた。
尚美にとって、そこに集まった多くの人は知っている人ばかりで、派遣される医師や衛生兵は尚美に挨拶していくのである、そこへ、二度と会う事はないだろうと思っていた、二人の医師が尚美を見つけて笑顔で手を振って走ってくるのだった。
「サリバン先生~お久しぶりで~す、お元気でしたか~」と派遣される人と同じブレザーを着て寄ってきた二人の医師の顔を見て、「あちゃ~、なんでおまら山下庄吉と白井一郎の馬鹿二人が来るのよ~」とあきれて、これで15名の医師が13名になったと思った尚美、
すっかりと大人の雰囲気をまとった二人、白井一郎が「いや~ 僕たち欧州なんか行きたくなかったんですが、医師会の会長をしているオヤジから、誰も医師会から行くものがいないので、副会長の山下のオヤジさんと相談して一度、軍医学校で戦場での医療を経験した俺達が、医師会の代表で行ってこいと言われたんですよ。」
そう言って医師会のメンツで選ばれた二人、実は実家の医院でも使えないので、また修行の為に送り出されたのである。
「そうなの~、こんどは、学校の実習じゃないのよ、あんた達の面倒は見れないからね、ちゃんと治療できるの~」
「う~む、内科系はさっぱりですが、サリバン先生からお仕置きされながら教わった戦傷の治療でしたらなんとか、」と一郎が答えると「僕もで~す」と庄吉も答えるのだった。これを聞いた尚美は医師が13人が14人くらいに増えたと少し喜ぶのだった。
誇りを持って集まった医療救援隊は、記念撮影をすると首相からの激励の言葉をもらい、団長の高橋勝次先生が出発の挨拶をして、万歳の声に送られて船に乗り込むのだったが、多くの見送りの中には渋沢先生や愛子ちゃんに幸子ちゃん、年老いた藤堂の親分に若頭の大庭丈一郎に子分達、マサオカや玲子が見送りに来ていたのである。マサオカは何を勘違いしたのか、「尚美ちゃ~ん、ドイツ兵をぶっ飛ばしてこいよ~、あんたの怒った顔を見れば、ドイツ兵も逃げちまうから~」と出征する兵士にでも言うような事を言って、周りを笑わせていたのである。
こうして欧州派遣救護隊は、 フランス共和国 南部に位置するマルセイユに向けて出航するのであった。
つづく、、、、