第13話 番外編 尚美が見た夢 その1
いつもこれを読んでいただきありがとうごうざいます。、4~5年後にこんなことが起きるのかなと言う夢の話しです。
サブタイトル ”幸子とオッパイの事でふてくされ、やけ酒を飲んで尚美が見た夢”
それでは、、はじまり、、、はじまり、、、
”尚美”
今日、結城が商社の偉い人のパーティーにでかけた。夜8時頃、渋沢先生が家に寄って結城は今日その商社のお偉いさんの邸宅に泊まるので帰らないと伝えにきた。
それは大成功で結城はその実力を発揮し英国人のハートをわしづかみにしたそうだ、それに男性陣だけでなく、御夫人達にも大人気で結城の一芸を女性たちだけの娯楽、午後のお茶会にでも聞かせてくれというのである。
それとそこの支店長の長女で赤毛の娘さんでなんとかサラさんが、渋沢先生が言うには、やたらと結城の尻を他の人に分からないようにさわっていたそうでなんで先生はわかったのと聞いたら柱の陰から見ていたそうだ。
あとは、結城に私がさずけたあの作戦にあう患者がいるかどうかね、、フフフフと不気味に笑る尚美である。
”幸子”
おらは結城の旦那様に、”この家にすんで家政婦さんのような事をしてくれないか”と言われ (え!!おらがここさ~いていいんべか)と夢のような話をしてくれただ。それだけでなく給金5円を毎月いただけるという、こんなうれしい事は初めてでおらは泣いてしまっただ。
今日は愛子お嬢様が旦那様にないしょで、女学校のお友達を4~5人連れてくんだ。んだわだしと愛子お嬢様は尚美お姉さんのしもべになっただ。尚美お姉さんはおら達にいままで感じたこともない体験をさせてくれただ。あれを見せられたら頭なかがものすげ~事になった。また見たくて見たくて、すげ~おもしろかった。、、愛子お嬢様がとても親しい友人達にもあれを見せてくださいと
お願いして今日見る事にしただ、、尚美お姉さまはしょうがないわね、、と言っていたがなんか嬉しそうだった、、
”尚美”
さっき私はさっちゃんに子どもの頃きていた洋服をあげた。下の方は問題なかったんだけど上着は”おらの胸にひっかかてきれねーだ”といわれた。
私は好きにしなさいといって返してきた上着をバーンと床になげた。そして台所にいって、さっちゃんが買ってきてくれた。スルメと一升瓶をもってコップにガバガバ~とそそぎ「コンチクショ~~」といいながらスルメの足を引きちぎりその酒をガバガバとあおぐようにして一気にのんだ。そしてまたスルメを引きちぎりガバガバとまたガバガバ~ガバ、ガバ、ガ、バ~バタンと寝てしまった。
”尚美の夢の中”
はじまり、はじまり、、、、
~~これほど楽天的な時代はない近代化によって日本史上初めて国民国家が成立し、「庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代」個人の栄達が国家の利益と合致する昂揚の時代に自らが国家を担う気概を持ち、その意識を疑うこともなく政治・軍事・学問など各々の専門分野において邁進した。
日露戦争とは官から民の端々までがそういった国家が至上の正義でありロマンティシズムの源泉であった時代の情熱の下に一体となって遂行された国民戦争であり国家の重さに対する無邪気な随従心をもった時代におこなわれ、その随従心の上にのみ成立した戦争である。
(司馬遼太郎先生。坂の上の雲から抜粋)
~~~ピーガーーピーガ~「こちら、ブラック・エンペラー尚美 こちらブッラク・エンペラー尚美 デルタフォックス!!デルタフォックス!!聞こえているの!! 結城~聞こえてたら返事をしてよ~」~~
ピ~ガ~ピ~~「コチラ、デルタフォックスユウキ、コチラ、デルタフォックスユウキ ネーサン キコエテイルヨー」
~ピ~ガ~「あんた、いまどこにいるのよ~」ピ~ガ~「ゴメン ネーサン金州城ノ チカク クルマガ コショウシタンダヨ」~ピ~ガ~「アト フツカ~カ、ミッカ~カカルヨ~」ピ~ガ~「それじゃ、あしたの総攻撃にまにあわないじゃん~」、、、、
1904年2月10日日本政府はロシアに宣戦布告した。
1904年8月18日
”尚美32歳、結城30歳”
1900年に飛ばされた私と結城は今、志願による民間救命隊を組織してこの日露戦争で活動している 。私が今同行しているのは、司令官・ 乃木希典が率いる第三軍だ。そしてここは旅順要塞攻略のための本部陣地から500mほど離れた場所にある民間救命隊の宿営地だ。
私と結城はここ明治に来た時に決めたことがある。戦争に対して知っている情報で大きく戦局を変えるような介入は避けようという事にした。その代わりできる限り死者は減らすような仕組みを考え、なるべく史実通りに戦わせるつもりだ、もし私たちの介入で戦争の歴史が変わると私達の知っている事がまったくやくに立たなくなるからだ。できるだけ私達が知っている内容で世界が動いてくれればいいのだが、、
特に結城が気にしているのが1916年7月1日から始まるソンム会戦その攻撃初日の1日だけで英軍は死傷者6万人がでるのだ そして”デービス・エドワード卿”
の長男”デービス・ジョーンズ”その時31歳は間違いなくこの日に負傷するのだ
そして2日後に敗血症でなくなる。結城は1900年のパーティーで15歳だった
”ジョーンズ”と何かあったらしくて、それからジョーンズが結城の事をものすごく慕うようになった。
今でも手紙のやりとりはやっているようだ。それと、なにか不思議なことをいってた。ピアノから頼まれたとか、なんでもそれは結城と渋沢先生ふたりにしか見えなかったようで眼鏡をかけた家政婦の格好をしてたとか。他の客には見えなかったそうだ。まあ、タイムスリップも起きるような世界だからなにがあってもおかしくないか、、、
それもあり私達は第一次世界大戦が史実の通り1914年7月28日に起きるのかどうか気にしている。そのときは私と結城はできればもっと大きくした救命隊で乗り込みたいと思う。
”結城”
俺は今、旅順に向かう途中の金州城近くにいる、なんでこんなところにいるかというと、1900年のあのパーティーで、日本駐在武官でイギリス陸軍近衛師団の”クリストファ・マーク”少佐、32歳と知り合いになった。それは俺に策を与えてた姉さんが言っていた通りの症状がでてた人物だ。
俺達はその事もありとても親密な関係になり今では親友となった。国に帰った彼から久しぶりに連絡があり今回この戦争の観戦武官として派遣されるから会えないかという事になった。
それでどの軍にいくんだと聞いたら乃木希典の第3軍という。俺達も第3軍に同行するつもりだということで、それじゃ朝鮮の仁川に8月15日に着くから迎えにいったんだ。ところが着いたのは今日で、明日の8月19日早朝に行われる第一次総攻撃にまにあわせようと必死に飛ばしたら 街道脇の路肩に突っ込み燃料タンクにでかい亀裂をつくっちまったわけだ絶対まにあわない、、、
”旅順要塞第一次総攻撃”
8月19日早朝 海軍陸戦隊重砲隊が盤龍山への砲撃で作戦開始
8月21日第9師団と第11師団による旅順要塞正面堡塁を攻撃
8月24日大損害により司令官・ 乃木希典 第一次総攻撃の中止を命令
第一次総攻撃 日本軍5万人が参加 1万5千人死傷
つづく、、、、、