第123話 「農地改革」
1910年6月
国会では新しい法案で紛糾していた。「農地改革」である、「地主に搾取されて貧困に苦しんでいた小作人を地主から解放すること」を内閣では考えていた。
もちろん、これも俺から未来の情報を聞いていた西園寺先生と協力して、政務官の立場から日本の民主化と経済的効果を考えて内閣を説得したのだった。
当然、国会では地主たちから支援を受けている、地方の議員達が猛反対をしていたのだ。
日本は明治維新以降、資本主義が発展し大きな経済成長を遂げてきて産業の工業化も進み、いろんな商品を低コストで大量生産できるようにもなってきたが、しかし、大量の商品を生産できるようになっても、日本ではその商品をたくさん買ってくれる消費者の収入があがらなかった。
なぜかというと、地方に住む国民の多くが貧しい生活をしており、新しい商品を買う余裕などなかったからだった。
史実では農村の生活水準の低さ、都市における失業問題、その失業者の帰農による生活困難の加重が、国民多数の心を圧迫した社会的、政治的な問題でありそういう問題に押されて、歴史全体が思わざる方向に押し流されるという結果になった。
資本主義体制を崩すことがその解決であると考えた人は左に行き、領土の狭いことが悪いのだと思った人は右に走ったわけで、そして、この後者の考えが史実ではその後の日本の運命を決定的に左右することになった。
田畑の所有者である地主が小作人(こさくにん、農村奉公人或いは地主使用人とも呼ばれる)に土地を耕作させ、成果物である米や麦などの農作物から、租税額と地代を足した小作料を上納させる、土地形態、身分体系は諸外国では農奴,奴隷と呼ばれる下層身分であった。地主と小作人の身分体制における下層農民の不満が日本の軍国主義をひきおこした要因とも考えられていた。
そんな状況を見識のある西園寺先生や内閣の大臣達は理解していたが、地方の議員達は、地元の有力者であり、選挙資金や票をまとめられる地主達に忖度して猛反対をしていたのだ。
改革の目的は、農地を所有しながら自らは耕作をしない地主と、土地を借りる代わりに農作物の大半を地主に納める小作農との格差を縮めることであった。
一世帯が所有できる農地を、家族が自ら耕作できる、面積に制限したことだった。
村に住んでいない地主(不在地主)の全耕地と在村地主の約1ha(北海道は4ha)以上の耕地は国が買い上げて、もとの小作人に安く売り渡す法案であった。
大騒ぎする地方議員を黙らせたのは、陛下の御内意が宮内省の職員を通じて密かに、この法案を反対する国会の議員達へと伝えられた。
陛下が「国民が皆、平等に平穏で暮らす事を望んでいる。」と宮内省の職員が反対する議員の自宅に、直接伺い一言伝えただけだが、何の脈絡もないこの陛下の御内意に「地主に搾取されて貧困に苦しんでいる小作人をまともな暮らしにしてほしい」と勘違いした議員達は、一転して賛成にまわったのである。
当然、裏で結城と西園寺先生が陛下にお願いして、この御内意を宮内省の職員が代わりにお伝えしたわけだ。
こうして、世界で初めて地主制を解体して小作人への農地開放が法律できまり地主達から買い取った農地が、小作人達に安く売り渡されて自作農家として汗を流した分の収穫は、すべて自分達の収入へと変わったのである。こうして社会の底辺だった多くの農民の収入が上がり消費に回され、それが商品を作る産業にまた金がまわり、日本の景気を上昇させていくのであった。
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横須賀の海軍基地からほど近い三浦海岸に、海軍参謀の秋山真之少将が、新設されたばかりの部隊に配備される小型船演習の視察にきていた。
海軍基地から完全武装した兵士が乗船した動力付きの小型船が3隻、沖から「ババババッバババ~~」と音を立てながら力強く波をかきわけて砂浜にむかっていた。
波打ち際の海岸に船の底を安定して着底するよう船首側の船底はW字状に、その後ろの船底は平面に成形されている小型船その船体後部には小型の錨と巻き上げ機(揚錨機)が装備されている。
これを船員は着岸の直前に錨を投げ込んで海底に固着させた。砂浜に着岸すると船首を形成するデッキ板が前方に倒れてそのまま渡し板となり、中から60名の完全武装の兵士が小銃を構えて次々に上陸をはじめた、2隻から兵士が続々と上陸をすると、3隻目が船首を形成するデッキ板が前方に倒れたら、そこからはカザマ製の大型トラック3台が荷物を積んだ状態で排気煙を出しながらでてきたのである。
兵士やトラックをすみやかに降ろした小型船は、船首の倒れた前方板を元に戻すと船体後部の小型の錨の巻き上げ機(揚錨機)を操作して、錨を引っ張る反力で船体を後退させることができ、迅速に離岸できるようにしてあった。
着岸してから数分で完全武装の兵士が上陸を済まして戦闘隊形でそろい、大型トラックも、なに事もなく上陸させた小型船を近くで視察した秋山少将は「すごいじゃないか~、60名の兵士が完全装備で数分で完璧な上陸作戦ではないか、あれが政府から渡された資料で作った特殊小型船なのか、」と副官に聞くと
「そうです、政府からこのような小型船はつくれないだろうか、と資料が渡されて、試作した「上陸収容艇」と呼ばれる小型船です、」
「手漕ぎのカッターではこのような事はできませんよ、この「上陸収容艇」があれば港湾設備に頼らず、部隊や物資を直接海岸に揚陸する事ができるそうです。」
「全長は約15m、全幅3m完全武装の兵員60名、もしくはカザマ製大型トラック3台、搭載動力は水冷6気筒エンジンによって60馬力、速度が時速15km 航続時間約10時間の「上陸収容艇」となります。」
秋山少将
「これで、政府が指示した海兵隊という新らしい戦闘兵科の新設をするのか、陸軍からは誰がこの海兵隊に異動になるんだ。」
副官
「確か、金沢第九師団から加藤新次郎大佐とその部下に、東京の第一師団からも兵士がきます、あの乃木閣下の御長男の乃木勝典大尉も異動でこの部隊に入ります。あとは海軍の陸戦隊からも兵が出されて、第一海兵師団として兵力は後方の支援も含めて、一万五千名程の師団が誕生します。」
秋山少将
「あの、203高地の防御戦で活躍した歩兵第七連隊の加藤がこの海兵師団にくるのか」
「はい、秋山閣下の参謀副官として御一緒にこの海兵師団の指揮をとる事になります。」
日本政府は島国であるその地理的条件から、離島などが敵国に占領されたり、または災害の際に港がつかえなくても、住民の避難用や災害救助隊の派遣などに使える特殊船舶の「上陸収容艇」の開発をさせたのだが、これは建て前で、結城はこれから起きる戦争では敵地に輸送されて、沿岸などから敵地に上陸することを専門とする軍事組織が必要だと知っていた、未来の米軍に見習い、海軍でも陸軍でもない海兵隊を組織して、有事の際には戦場に一番最初に送る即応部隊の編成を考えていたのである。勇猛果敢な海兵隊を他の兵士達が「殴り込み部隊」とか「切り込み部隊」と呼ぶようになるのはもう少し先のことだった。
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尚美
半年前から、家の周りに2匹の野良犬が住みついた、幸子ちゃんが面倒を見ていて、黒いまだらな犬を”クロ”と呼んで赤っぽいまだらな犬を”アカ”と呼んで
可愛がっていた。二匹の犬はおとなしくてムダ吠えもしなく、幸子ちゃんにはなついていた。最近は物騒で番犬のかわりになると結城も喜んでいた。
ただ、私にはなつかなくて”クロ~”とか”アカ~”とかわいく名前を呼んでも振り向こうともしネエ~、エサをあげても無視して食べようともしネエ~、幸子ちゃん以外からは何も食べない、私には興味がないようだった。
まったく犬より下に見られているようだ。”こいつらぜんぜんかわいくネエ~”と思っていた時 玲子が遊びにきた。「きゃ~、可愛い~、犬大好き~」といって、しゃがんで二匹の頭を撫でていたら、初めて会う玲子には、やたら、しっぽを大げさに振りながら、二匹はその前足を玲子のデカい胸にのせて”ハア~ハア~ハア~、、”と長い舌を出しながら玲子のオッパイにからんでメチャクチャ喜んでいた。・・・それをじ~と見て・・・・
”ぜって~、この二匹、デケ~オッパイが好きなスケベ犬だ! この~ゲス犬ヤロ~”と気がついた尚美だった。
つづく、、、、




