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第114話 叛乱その1


1908年(明治41年)2月26日午前零時。早春の雪が、帝都東京に降りしきっていた。21名の陸軍青年将校に率いられた総勢約1,500名の武装した決死部隊が、それぞれの連隊の営門を出発していった。統帥権の廃止を決めた政府に激高した皇道派と呼ばれる士官達の一派で菊月会とそれを支援する将官が天皇陛下を最上の存在として考え、天皇陛下のための軍隊の編成が本来の形だと言う皇道精神を唱える極端な精神主義をとる天皇の軍隊、それを急進派の青年将校達は信じていた。


冷たい雪が降りしきる帝都東京の街を、青年将校たちが決起して「君側の奸」を倒すことで、再び天皇を中心とする政治に立ち返らせる天皇陛下が、西洋的な考え方と、人々を搾取する特権階層を一掃し、国家の繁栄を回復させるだろうという考え方で、首相官邸、大蔵大臣私邸、陸軍大臣官邸、陸軍省並参謀本部、警視庁、帝国ラジオ、各大手新聞社などを目指していたのであった。


※「君側の奸」君側の奸とは、仕えている立場で、その君主を自らの思い通りに (悪い方向に)動かそうとする人間のことです。


その彼らの行動を静かに偵察している組織があった。すでにこの反乱が起きる事を知っており、それぞれの連隊の営門付近で小さな軽のワゴン車から公安警察の隊員が双眼鏡で監視していたのだ、彼らは無線でそれぞれが本部に連絡していたのである。「”月が出た”もう一度言う計画通り、”月が出た”」そうだ、すでに公安警察により彼らの計画はすべて政府は知っており、警視庁には、すでに各県からの応援もきて死亡した巡査の、仇討ちのように反乱軍の向かう先で迎撃の態勢を整えていたのである。


こうして、この時代の後世に残る、歴史的事件である明治2・26事件が始まろうとしていた。


 

   ~~~~~~~~~


1907年11月・・叛乱の4ヶ月前の国会での新しい法令の決議審議


この年に衆議院の第一党である立憲政友会の総裁である、西園寺公望 が第12代 内閣総理大臣 に任命され第1次西園寺内閣 (だいいちじ さいおんじないかく)が政治の実権を握っていた。


すでにこの内閣では、今回の台風被害で目立ってしまったが、関東大震災の為に密かに検討されていた、この災害対策基本法についての法律ができていたのである。その内容は国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災に関し、基本理念を定め、国、地方公共団体及びその他の公共機関を通じて必要な体制を確立し、責任の所在を明確にするとともに、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧及び防災に関する財政金融措置その他必要な災害対策の基本を定めることにより、総合的かつ計画的な防災行政の整備及び推進を図り、社会の秩序の維持と公共の福祉の確保に資することを目的とする世界にもまだない、画期的な法律であった。


もう一つは大日本帝国憲法第11条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の改訂である。「主権者である国民が、選挙で選出した国民の代表を通じて軍事に対して、最終的判断・決定権を持つものである。軍の最高指揮官は首相である。」これを今回の新しい法令として新内閣は議会に提出しようとしていた。


西園寺総理の執務室にあつまった内閣の各大臣はこの災害対策基本法については全員がすばらしい法律だと思い賛成をした。だが統帥権を取り上げるこの憲法第11条には陸軍と海軍の顔色をうかがっていた、大蔵大臣の高橋たかはし 是清これきよは大変すばらしい、とすぐにこれに賛同したのである。


これが通れば軍の予算を首相が決定権を持つことになるからだ、国家予算の30%もの大金が、使えもしない軍艦や無駄な演習の弾薬や給与に消えていくのである。少しでも国の公共事業などで、国民の収入につながる金が増えればいいと思っていた。


五条政務官からの法律の説明のあと、内閣の決裁を決める為に挙手を求めると

少し苦い顔をしながら陸海の両大臣はすかさずその左手を上げたのである。


それを見た他の大臣もビックリしながら、すかさず手を上げて内閣での満場一致でこの法案が議会に上がる事になった。左手を上げた大臣の手首にはこの時代には珍しい高級な腕時計をしていたのである。


そうだ、結城の指示で御庭番の子孫であり、忍びの技をもつ服部一族の公安警察は、この二人の大臣を徹底的に、尾行や電話盗聴に酒宴の料亭には女性隊員を芸者に変装させ酔わせた大臣からあれこれと聞き出し、兵器産業からの定期的な、賄賂の実態を探りあて、その兵器産業の担当者を警察の権限で押さえ彼らの自白をレコードに記録して、その供述書にもサインをしてもらい二人の大臣を脅したのである。まあ、この法律に賛同してもらう見返りも与えて左の手首の腕時計となった。


次に国会の過半数を取るために衆議院の第二党である、大隈 重信 (おおくま しげのぶ)率いる憲政本党その協力を得るために、またまた公安警察が大活躍


まったくこの時代の政治家は、倫理観や道徳観なんてのは関係がないようだ、このようなスキャンダルには免疫がないのだろう。財閥系の企業との関係がうじゃうじゃでてきた、これもすべて供述書や証拠を押さえ憲政本党の重鎮達の左の手首には高級な腕時計をしていた。


こうして衆議院でも第二党の憲政本党の重鎮が自分の派閥の議員に、この法案に対して賛成の議決を入れる事になった。議員の9割がこの法案に賛成して、

こうして、大日本帝国憲法第11条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」は改定になり天皇の統帥権はついに無くなる事が決まった。


日本の軍人たちは、国防省という軍人ではない、首相が選んだ人物が国防大臣となりその下の陸軍長官と海軍長官として国防大臣に仕え、国会や内閣にも軍人がいない、政治に無関係な組織となったのである。政治に関わらない軍事の専門集団として国に仕えるのである。


その法律の執行は翌年の4月1日からとなった。ついに政府による陸軍と海軍の文民統制(ぶんみんとうせい、シビリアン・コントロール)の法律ができたのであった。


あとはこの法案を絶対認めない連中がいる、すでに陸軍と海軍の将官や士官達の思想については服部達が以前より調査していたのだ。どうも過激な思想を持っているのは陸軍の青年士官や一部の将校で、それは天皇陛下が国政の中心になって、この国を導き天皇に仕える軍人が政治の実権を握るという軍事政権を夢見ているのだった。


彼らは皇道派と呼ばれて、それを信じる若い士官たちは「菊月会」という部隊の壁を越えた組織を作っていたのである。


そして彼らを支援しているのは、三葉会と呼ばれる将官達のグループが存在していた。海軍は意外とそのような組織はなくて政治的に穏健な革新を考える「リベラル派」と呼ばれる考えを持つものばかりだった。英国の海軍精神を叩きこまれた、今の高官達によって「リベラル派」が育っていったのである。


俺は必ず、この皇道派が軍事政権を目指して法の執行前に政府や政権の要人を急襲して政府を転覆させるクーデターを仕掛けてくると思った。


その時に政府に反発する陸軍の高官や士官を全て排除して、政治に関わらない職業軍人にするつもりだ、あとは連中をしっかりと監視や盗聴をして事前に仕掛けてくる反乱計画の全貌を手にいれるべく公安警察に指示したのである。





つづく、、、



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