表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
111/139

第111話 統帥権


1908年8月


結城

日露戦争が終わっても、明治政府の国家予算のうち軍事費にかける割合は30%を超えていた。富国強兵をめざしていた日本にとり、それは当たり前だったのだろう、史実では、時がたち日中戦争が拡大した1937年には軍事費は激増し、以後終戦まで軍事費は国家予算の7割台から9割近くにまで拡大していきます。


その財源は、租税の重課だけではまかないきれず、ほとんど全部が各種公債に求められました。公債は年を追って累積し、それによって、インフレーションがすすみ、国民生活を圧迫しました。なぜ軍事予算が際限なくふくれあがったのか、それは、天皇の大権・統帥権のもとで軍部が思うままに予算を要求できる仕組みがあったからです。


太平洋戦争を遂行していくに当たって、臨時軍事費特別会計(臨軍会計)制度や会計法上の戦時諸特例が統帥権のもとで次々に制度化され、財政力を考慮することなしに、ばく大な戦費支出を可能にしたのである。


臨軍会計は、一般会計から切り離され、膨張につぐ膨張をつづけました。臨軍費の内容は“軍事機密”とされ、会計検査院の検査もなく、議会の審議も実質的におこなわれずに無条件で通過・成立しました。「聖戦完遂」を錦の御旗みはたに「臨軍費さまのお通り」だったのです。


(※統帥権とうすいけんとは、大日本帝国憲法下の日本における軍隊を指揮監督する最高の権限(最高指揮権)のことをいう。)


俺はこの大日本帝国憲法第11条(明治憲法)で「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」として定められていた権限で、天皇大権がある以上は、この先、政府が軍をコントロールするのは難しいと思っていた。米国のような国防省で統一的に海軍や陸軍の長官を従え、首相にその権限を持たせなければ、必ず軍が政治の実権を握ると思っていた。


陸軍や海軍は日露戦争の借金の事もすっかり忘れて、また軍備増強の為の予算要求をしてくるのである。史実と違っていく歴史の中で、未来を知っている立憲政友会の党首である西園寺先生は、国内の産業育成や国民の所得倍増のための公共事業などの政策をする予算を優先していくのである。


それに文句をつけてきて陸軍や海軍は、国防になんで理解しないのかと喧嘩腰で内閣の閣僚に喰ってかかってくるのである。しまいには「暗い夜道を歩くときは、気をつけろよ。」と、まるで右翼のヤクザのセリフを吐くのである。

こんな暴言を吐くのも自分達は政府の下の組織ではなく、陛下の統帥の元での組織だと思っているからであった。


こうして政府と軍の間で深い溝ができてきたのである。いつかはこれが爆発するのではないかと思っていた。俺はその時がチャンスだと思っていた。


すでに軍に対して少なからず不満をもっている警察の内部に、公安部を作り陸軍や海軍それに国粋主義の右翼団体に対して、手段を選ばず動向を探らせていたのである。


電話の盗聴や注意人物が誰と面会したか、陸軍や海軍行きつけの料亭には選抜された女性警察官が、店主の了解のもと女中で潜り込みその会話を監視していたのである。


すでにこの時代は歴史通りに動いていない。早い段階で軍の若手将校が自分達の要求が通らない時に、政府に対して統帥権とうすいけんを立てに反旗をひるがえし、政府の高官を狙ってきたら一気にこの問題を国民に知らせ、政府が軍をコントロールする文民統制(ぶんみんとうせい、シビリアン・コントロール) 


※主権者である国民が選挙で選出した国民の代表を通じて軍事に対して最終的判断・決定権を持つというすなわち首相がその権限をもつということである。


この法律を制定するつもりだ。そうでもしなければ軍人が武器をちらつかせて国政を握り、とんでもないことが起きてしまうのである。



そんな時に関東を台風災害が襲った。


8月5日ごろから続いた梅雨前線による雨に、11日に日本列島に接近し房総半島をかすめ太平洋上へ抜けた台風と、さらに14日に沼津付近に上陸し、甲府から群馬県西部を通過した台風が重なり、関東各地に集中豪雨をもたらした。


利根川、荒川、多摩川水系の広範囲にわたって河川が氾濫し各地で堤防が決壊

関東地方における被害は、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に及んだ。最も被害の大きかった群馬県の死者は283人、行方不明27人、天明3年(1783年)の浅間山大噴火後徹底強化した右岸側においても、治水の要、中条堤が決壊したため氾濫流は埼玉県を縦断東京府にまで達し関東平野一面が文字通り水浸しになった。東京でも下町一帯がしばらくの間、冠水したのである。


東日本の1府15県を襲った大水害である。


さっそく政府は災害対策本部を立ち上げて、陸軍と海軍に緊急災害出動を依頼したが、それぞれ政府との間での予算関係で溝があった為、軍の上層部がこの統帥権とうすいけんを持ち出し、政府の命令では動かないと言ってきたのでる。


災害現場の東京の第一師団の師団長は、すぐにでも支援救助に向かいたいが、上層部が許可を出さない、ということで動きが取れないと言ってきた。また横須賀の海軍の部隊も救援の小型船の準備はできているが、同じように上層部が許可を出さないといってきたのである。


どうも軍の上層部が政府への嫌がらせで動かないのだろう、軍の上層部にとって、ほんの軽い気持ちでの反発だった。すぐに陛下からの指示があれば出動するつもりでいたのだが・・・この時、陛下は夏風邪で体調を崩しており、高い熱をだし侍医達が懸命に治療していたのである。宮内省の役人はこの救助出動についての統帥権の裁可ついては病気で具合の悪い陛下に忖度して上げなかったのである。


宮内省の役人はこの自然災害では、軍も統帥権の指示がなくても国民の為に出動すると思っていたのである。


時間がたつにつれて被害状況が分かってきた。再三にわたって陸軍と海軍には救援依頼が各市町村からきても、現場の部隊は動けないでいたのである。


すぐにでも陛下からの指示があると思っていた上層部も一度、「政府の指示では我々は動かない!」と啖呵を切っていたので、メンツもあり現場部隊からもあがってくる出動要請を握りつぶしたのである。


政府の要所に詰めていた俺は、被災者には申し訳ないが、これはチャンスだと思って、すぐにこの事を張り番の大手新聞社の担当者を集めて政府発表をしたのである。


「陸軍並びに海軍は、今回の台風による災害支援に対して、政府の要請には従わないとの声明がでました。統帥権により陸軍と海軍の最高指揮権が陛下であり、その裁可がおりなければ国民の救助ができないと、政府の要請を断りました。何の為の軍隊なのでしょうか、現在、陛下は体調をくずしており軍の救助出動の裁可を出す事ができません。現在、政府では軍以外のすべての省庁で全力で救援活動を始めましたので、その支援をお待ちください。必ず政府が被害を受けている、国民の皆様に支援を致しますのでもう少し待っていてください」


この政府の第一報はすぐにラジオでも流れた、軍上層部が政府に協力しないという情報も派手に流れ、陸軍参謀本部や海軍の軍令部に国民は石礫を投げつけるのである。


次の朝には朝刊にも大きくのり、さらに軍の立場がさらに悪くなるのである。一部の部隊では、勝手に救助に参加する部隊もでてきて、軍でもまとまりがつかなくなるのである。


陛下がこの事を聞いたのは災害がおきて2日がたってからである。熱が下がり宮内省の役人がやっとこの救助出動の裁可を聞いてきたのである。


すぐに軍の上層部に裁可を下し出動させるのであるが、ほとんどの水害現場には政府による避難所が開設され、他県からの救援物資や近隣からのボランティアによる救援活動が始まっていたのである。被災者たちは2日もたってから、偉そうに助けにきてやったぜと言う兵士らを見て「いまごろ、なにしに来たんだ!」と口々にいうのであった。


この時ラジオが大活躍したのである。被災状況は電話が生きていたので、生の情報を各市町村に連絡して聞き出し、どこに避難所があるのか、炊き出しはどこでしているのか、関東一円に対して詳しい情報を流していたのである。それを聞いた被災住民は、周りの状況がわかるようになり、その放送にしたがい避難所にいったり炊き出しをもらったりするのだった。


また行方不明の被災した家族の氏名を流し、探してもらったり、知り合いの安否を気にしている人にも情報がわかったのである。夜になると避難所にいる人を勇気づけたり、隣の人との助け合いを呼びかけたりして、朝まで放送をながしたのである。


他にも関東大震災用に備蓄を始めた、食料品や簡易トイレに被災者用の簡易テントやプレハブ住宅などの備品を、カザマ交通が営業を全面休止して数百台の全車両を動員して車体の目立つところに、政府災害支援物資と書いた張り紙やのぼりを立て、数十台づつ車列を組んで各地の被災現場へと向かうのである。政府がいかにも国民の為に全力を出している事をこれでもか~と、アピールするのである。


ちょうど東京の近郊は、国の事業で行ったアスファルト舗装が十分にされており、沿道ではその政府の支援物資を積んだ長い車列を見た住民が、みんな手を振てくれるのだった。見た人の口コミで政府は頼りになるが、軍人は政府に逆らい、国民を助けない偉そうにしているひどい連中だ、国民が政府を信頼するのである。軍を陛下の指示でなく政府の指示で動く組織にしないといけない風潮が、国民の間で生まれるようにラジオや新聞に情報をどんどん流したのである。


こうして政府の災害支援が十分に被災者へと届いていくと、被災者は政府に思い切り感謝するのであった。



俺は一人ほくそ笑み、この台風災害で、統帥権の憲法改定の段取りができたと思っていたのである。






つづく、、、、





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ