第104話 ユダヤ人の移住
ユダヤ人移住のための受入れ準備ができた日本政府は、ロシア帝国に対して欧州のロスチャイルド家の資金援助を受けたユダヤ人の満州移住計画のため、シベリア鉄道を使っての満州への移動に対して協力をお願いした。
今まで迫害を指示してきたニコライ二世はこれでユダヤ人の数が減る事に喜び、また道中で彼らが使うロスチャイルド家の資金が目当てで、この申し出に了解をしてくれた。
ロスチャイルド家の移住支援チームからの指示があり、ロシアの支配下にあるウクライナとポーランドに臨時の領事館が設置された。この二か所で日本政府は迫害されているユダヤ人の満州移動の為に政府発行のビザをだすことになった。
現地にむかった外務省の官僚は、ロシアに支配されているポーランドやウクライナの住民達から日本人だとわかると物凄い歓迎をうけたのだった。
ポーランドは10世紀に建国され、16世紀ごろに国土は最大になって黄金期を迎える。しかし、1795年に、ロシア、プロシア(ドイツ)、オーストリアの3国に分割されてポーランドは滅亡する。
そして第1次大戦終が終わるまで、123年の間、ポーランド人は母国を失ったままでいた。1918年に独立を回復することになる。それで日露戦争で日本軍がバルチック艦隊に勝利すると、ポーランド人は歓喜にわいたのであった。
そんな親日の国民だった。東欧の国々で迫害されて逃げてきたユダヤ人は、このワルシャワやウクライナのキエフにある日本の臨時領事館にグループを作ってやってきた、政府の指示で官僚達は手際よくビザの発行をしていくのであった。
そしてこの移住はロシア革命がおきる1917年まで続くのであったが、その後ドイツで民族の優越を説くヒトラー・ナチスが現れると、ユダヤ人を排除するユダヤ人排斥・絶滅政策を推し進めた、日本政府は早くから反発して、この仕組みによって大勢のユダヤ人が満州へと向かい、命を救う事ができたのである。
満州の北部のチチハルとハルピンはロシアの勢力下にあったが。移住するユダヤ人はシベリア鉄道を利用してハルピンの日本領事館を目指した。
ハルピンの鉄道駅には”歓迎ユダヤ人御一行様”とロシア語で書かれたのぼり旗 を持った職員がまっており、駅に着いたユダヤ人をハルピンの仮設の一次収容所に案内をして、そこで彼らは説明を受けたあと長春と奉天の新天地へとむかったのである。
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1907年3月
結城
国の債務問題が一段落してきた時に、西園寺先生から呼ばれて事務所に向かうと、「これから16年後の1923年9月1日におきる関東大震災についはてどのような対策が必要か」と聞いてきた。
すでに未来の資料で、先生は、この災害で10万人以上の死者が出て今世紀最大の地震災害が待っているのを知っているわけで、いまからできる事はないか心配して聞いてきたのだ。
西園寺先生
「結城君のいた時代では地震対策はどうしていたんだ?」
「う~ん、地震予知は未来でも難しくて、地震がきても被害を少なくする対策しかなかったですね、」
「被害を少なくするとは、どんな方法をしていたんだい」
「たとえば、建築基準法と言う法律で住宅やビルなどについて耐震設計をさせて揺れに強い建物にして地震での崩壊をなくしたり、この時代では難しいかも
知れませんが火に強い壁だとか都市ガスが揺れで止まったりしますね。」
「そうか、耐震設計か、、」
「あとは、まだまだ東京は広い土地がありますから緑化地帯や、大きな通りを作ったりして防火帯を整備した都市計画も必要かと思います。」
「ともかく、江戸時代からこの東京は燃えやすい木造住宅ばかりですから強い風が吹くいているときに火災が起きると、もうどこまでも燃えてしまいます」
「確か大震災の日は、岐阜県北部に台風が来ていてその影響で関東地方では、毎秒10メートル以上という強風が吹いていたと記録が残っていますね、地震と台風の強風ダブルできたわけですよ、それで昼時の地震で火災が発生して地震の倒壊で亡くなった人よりこのあとに発生する、大火で強風により火災旋風がおきて被害が拡大し死者の約90%が焼死者になるんですよ、地震で助かっても生きたまま焼かれるなんて、最悪ですよ、」
「東京を火災に強い街づくりか、確かに何の規制もしてないからな、やっぱり学者に聞いた方がいいか、、」
「ちょっと時間をください、この時代に地震研究や耐震構造とか熱心に研究している人がいるか調べてみますので、、」
そう言ってこの東京を襲う未曽有の大災害についての対策を考えることになったのである。
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明治時代の東京の町が寝静まる夜9時になるとラジオから妙なお囃子が流れ”♫~チャンチャ~ラチャン~♪~♫~” 「こんばんは~、福助亭エロ吉と、小島ナエの、夜の月見トーク」
と言う妙なラジオ番組が、受験勉強している若者が聞いている鉱石ラジオや夜のお店で流しているラジオを聞いている人達にバカ受けのラジオ番組があった
「ナエちゃ~ん、今日のエロ相談はなにがきているのかな~。」
「こら~、エロ吉!、エロじゃなくて人生相談だろ~、」そう言って福助亭の頭をハリセンで「パシ~ン」叩く小島ナエ
※ハリセンは、厚手の紙製で、蛇腹状に折られた一方はテープ等で巻いた握りになっており扇子状の部分で他人の頭や顔などを叩く
「いたたたた~、ごめんね~さて最初のお手紙は、、ふむふむ、”16才の学生です、幼なじみのキミエちゃんが好きです、どうしたらいいでしょうか、教えてください”」
「さ~て、ナエね~さんどうしたもんかね、、おいらならすぐ告るけど、、”キミエちゃ~ん大好き~、おいらと遊ぼうよ”、」
”パシ~ン”とまたハリセンでエロ吉の頭を叩く小島ナエ
「あんたね~、デリカシ~がないの、16歳だよ、この子の初恋、あちらの言葉でファーストラブ、いいかいあんた、わかるのファーストラブよ、ああ~切ない恋心よ、」
「そうよね~、幼なじみの女子からすれば、手紙が一番じゃないの、”前からキミエちゃんが好きでした、お付き合いしてください”とか書いて渡すのよ。女の子は手紙に弱いのよ、16歳の学生くん 勇気を出して手紙を書くんだ!、それでだめでも死にはしない、ガンバレ~」
「さ~て次の手紙はなにかな~、え~、私はお嫁にきて二年目の主婦です、最近同居している夫の母が孫はまだか、赤ちゃんの顔がみたいと私の顔を見るたびに言ってきてうるさいんです、どうしたらいいんでしょうか、」
「え~、こんなうるさいバ~サンはどうしたらいいんですか、ナエね~さん」
「こんな姑ババ~は死ぬしかないよ、バ~サンのメシに毒を盛るんだよ、」
”パシ~ン”と小島ナエの頭をハリセンで叩くエロ吉
「コラ~、ババ~殺してどうすんだよ、つかまっちまうだろう、もっといい方法はねえ~のかよ」
「痛いな~、そんなに赤ん坊の顔が見たかったら、エロ吉がバーサンの相手にして孕ませてよ。」
「バーサンが相手じゃおいらの息子が役にたたね~よ、それより嫁が相手なら孫の一人や二人すぐ作ってやるぜ、」
”パシ~ン”とハリセンでエロ吉の頭を叩く小島ナエ
「あんたの子ども作ってどうすんだよ、そうだね、、旦那に言ってこんなババ~がいると孫もできないから、旦那の実家をでて二人で独立して生活するしかないよ「あなたもうがまんできない、この家でましょ」とか言ってみるしかないわね~、まあ~旦那しだいよ、それでだめならあとは思いきって離婚するしかないわね。」
「これからの人生で、こんなうるさいババ~の相手をするより、さっさと別の人生で生きていくこともありよ、がんばりなさい、、」
リスナーからの相談に対して好き放題にしゃべるこのラジオ番組は、だんだんと口コミで広がりこの時代にとってはものすごく新鮮なお笑い人生相談になったのである。
このラジオ放送を毎日家で聞いてる尚美と幸子、このエロ吉の声に聞き覚えがあり、”東京で自分のことオイラなんて言うのはあいつしかいね~”と福助亭エロ吉の正体を見破っていたのである。
つづく、、、、