第103話 初飛行
1906年11月
千葉県にある習志野演習場
地味な土色と緑色の二色の迷彩塗装がされた、数台のカザマ製250cc空冷単気筒のオフロードバイクに、ジェット型と呼ばれるアゴ部を保護する部分がない頭部保護ヘルメットにゴーグルをつけて、変わった迷彩戦闘服を着こみベルトで肩から斜めに止めた小銃を背負い、でこぼこした場所や障害物を置かれた場所それに大きな水たまりなどを平気なようすで走り回っていた。
そして、砲撃の着弾目標の偽造陣地に近い茂みにスタンドを立てバイクを止めると荷台に固定された無線機をいじりはじめた。
それ以外の迷彩戦闘服を着た兵士は銃をかまえて周りの警戒をはじめた。
「ピ~ガ~、、こちらハヤブサ、こちらハヤブサ、、シサラギ応答せよ、、ピ~ガ~こちらハヤブサ、、シサラギ応答せよ」
その隊員は味方には分かる自分のコールサインを言って本部と連絡していた。
「ピ~ガ~こちらシラサギ、よく聞こえます、どうぞ、、」
「こちらハヤブサ目標の座標はイロハのイ、221,、イロハイ、221どうぞ、」
「こちらシラサギ、イロハのイ221了解 試射します。」
しばらくすると砲撃の音がしてその偽装陣地の20mほど手前に着弾した。
それを監視していたバイクの無線担当者はまた無線のマイクに向かって
「こちらハヤブサ、あと20m伸ばせ、もう一度言うあと20m伸ばせ、どうぞ」
「シラサギ、了解」
また砲撃の音がすると、その着弾はちょうど偽装陣地のそばに着弾したのである。
最後にその無線担当者はまた無線のマイクに向かって
「こちらハヤブサ、命中、全力斉射お願いします、どうぞ」
「こちらシラサギ、了解」
この後、砲兵隊の12門の一斉射撃で偽装陣地は吹っ飛ぶのである。
それをシラサギと呼ばれた砲兵本部の近くで、双眼鏡を使い二人の士官が様子を見ていた。一人は日本騎兵の父とも呼ばれている秋山好古少将ともう一人は陸軍兵器開発部の責任者となった元第一師団の真田海翔中佐だった。
真田中佐
「どうですか、あれがバイクを使った偵察部隊と、新しい無線機で今年の年号明治39年から年号を取って三十九式無線機です。」
秋山少将
「あれは、どのくらいの距離は大丈夫なんだ」
「平地なら2~30kmはいけますが、高い山とか、高い障害物があると届きません」
「まあ、砲の威力を考えるとそんなに距離はいらないか、、」
「あとは、偵察の様子をリアルタイムで、報告できるから素晴らしいじゃないか」
「騎馬兵は伝令が戻らないと何がおこっているかわからないからな、、」
「バイクは生き物じゃないから、水やエサに病気の心配もいらないじゃないか言う事はないよ、馬の時代はもう終わりだ」
「私からも参謀本部に意見しておくから、この装備については陸軍で採用するように勧めておいてくれ」
こうしてカザマのオフロードバイクとシラトリエレクトロニクス(株)の無線機が正式に採用される事になったのである。
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1906年11月
1903年のライト兄弟の動力飛行の成功、それを追うように欧州各国でもあたらしい飛行機がうまれていった。このニュースは日本の人々にも少なからず影響を与えた。
とくにライト兄弟の成功は、学識経験の研究者でもない普通の市民である自転車屋の職人が、独力で勉強し、工夫を重ね作り上げて成しただけに、大空に夢を描く人々に、おおいに「自分もやれるのでは、やってみたい」と希望をもたせたのである。
その中の一人、東京出身の桜庭翔平は大学で内燃機関の勉強をして卒業後は迷わず、カザマ(株)のグループ会社であるカザマ飛行機に入社したのである。
桜庭翔平
俺は初めての民間飛行機の会社で飛行機がどのように飛ぶのか、大学の授業でも見た事がない飛行機の機体に関する各部の名称やその動作、機能についての解説など、とても分かりやすい資料がここにはそろっていたのにびっくりした
空を自由に飛んでみたいと考えていた俺は、一生懸命にその操作と名称を覚えたのである、ついに飛行機のエンジン組み立ての仕事をしながらの半年間の飛行機に関する座学は終わり初飛行の日がきた。ここの社員は全員が飛行機の操縦ができなければならなかった。
もちろんみんな空を自由に飛びたくてここにきたのだ、俺は自分の夢がかなうと思ったらドキドキしてしまった。
河川敷の800mの飛行場すでに、ここには水平対向6気筒空冷エンジン150馬力がつまれた高翼機が河川敷の滑走路脇のドーム型倉庫に置かれていた。
飛行練習初日、機体倉庫にいくとエンジンの下に一脚、胴体の下にハの字で固定された丈夫な合計三脚の車輪がついてバランスよく水平になった飛行機の美しさに見とれていた。
その時うしろから、女性の怒鳴り声が聞こえた。
「遅~い、もう5分も遅刻よ、なにしてんのよ~、教官よりも遅く来るなんて信じられない、これでもう減点よ」
俺は振り向くとカザマ(株)のマドンナ、白鳥玲子さんがそこに立っていた。
「あ~、すみません昨日は初飛行を考えていたら興奮して眠れませんでした」
「名前は桜庭翔平です。本日はよろしくお願いします。」
「いい、私がこの飛行機、セスナの飛行教官、白鳥玲子よ、よろしくね、今度からは5分前にくるのよ、」
「私がのって機体を滑走路までコントロールするからそこの、作業員と押してちょうだい、」
そう言うと玲子さんは、二人乗りの操縦席のサブ側に座り自動車のステアリングに似ている、上部がつながっていないコントロール・ホイールを両手で握り
俺と作業員が機体を押すと、器用にそれを操作して前輪の向きを変えながら滑走路の端まで機体を持っていたのである。
俺はこのあとどうすればいいのか、玲子さんのえくぼが可愛い顔にみとれていたら、「早く、乗んなさいよ、」と催促されて右側の操縦席のドアを開けて乗り込み安全ベルトをした。脇には白鳥教官が俺の動作を確認していた。
この機体は車のエンジンを開発してきたカザマの技術が詰め込まれ、すでにエンジン始動用のバッテリーが積まれており、こんな寒い日、エンジンも温まってない俺はマニアル通りチョークレバーを引いて、空気が入ってくる部分を絞り空気の量が減ることで、エンジン内でガソリンが濃くなって気化しやすくしてエンジンスタートのキーを回した。
2枚プロペラが「ブルブルブル~~」と機体を振動させながら排気管から黒い煙を出して動き出した。少し温めたらチョークレバーを戻すと白煙に戻り回転数も安定したので、白鳥教官の顔を見ると右手の人指し指を立てて前方に向けて振り下ろした。
俺はスロットレバーを右手で引っ張り回転数を上げて行くと、機体はゆっくりと走り出した。どんどんスピードがあがり250mを過ぎたあたりでコントロール・ホイールを引くとフワッと地面から機体が浮く感覚がわかった。
そのまま上昇を続けると白鳥教官は「500mまで上昇してからしばらくは水平飛行を続けてちょうだい、」と指示してきた。興奮も収まり余裕ができた俺は空に雲ひとつなく晴れ渡っていて遠くの山並みや小さくなっていく街なみをみてやっと夢がかない空を自由に飛べる時代がきた事を感じていた。
エレベーター(昇降舵)を水平にしてしばらくまっすぐ飛ぶと川越の町が見えてきたところで「今日はここまでよ、右旋回してまた飛行場に戻ってちょうだい、」そう言われてコントロール・ホイールを右に回してラダー (方向舵)を操作して飛行機の機首を右側へと向かわせようとしたら、力が入りコントロール・ホイールを少し倒し気味に回してしまった。
機体はそれに反応して下降しながら旋回を始めた。機体が思った動きにならなかったことで俺は慌てて、今度はコントロール・ホイールを引いて機体を上昇させようとしたら隣の教官の連動しているコントロール・ホイールを白鳥教官が強い力でコントロールをしてくれて無事に水平飛行にもどったのである。
「最初はよくあるから、気をつけて水平横旋回は最初の難関だからよくコツを覚えるのよ、」
「あとは戻って着陸訓練よ、」
「私も、最初は大変だったんだから、誰も教えてくれる人なんかいなかったのよ、それでも最初の仲間と一から初めてやっとここまできたんだから、」
「フフフ、あなたも、すぐに覚えるわよ、」
そして白鳥教官が「You have」と言うと、俺は「I have」と答えて操縦をかわったのである。
※第一次世界大戦、欧州の戦場に送られた日本の欧州派遣軍、その派遣軍に特別飛行隊と呼ばれる陸軍第一飛行隊がいた。
初めての戦場にやってきた日本の第一飛行隊、すでに激戦を戦ってきた英国パイロットやフランスのパイロット達は、日本のメガネざるが空を飛べるのかと馬鹿にしていた。
彼らの飛行機はカザマ製で、その機体はどこの国よりも美しく強力な兵器だった。最初の戦闘で部隊撃墜数での最高のスコアーを上げて、たちまち日本軍の飛行隊はいちもく置かれるようになった。
そしてメガネざるとバカにして呼んでいた彼らは、尊敬を込めてサムライ飛行隊と呼び、その部隊を率いる若い士官が、連合軍の飛行隊から恐れられた。ドイツ軍のエースパイロット「レッド・バロン」ことリヒトホーフェン男爵を撃墜すると彼は連合国で一番の英雄となった。
今日は、その部隊を率いる若い士官の初飛行だった。
つづく、、、、




