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第100話 カムイ尚美


1906年8月

北樺太、オハ油田近くのアイヌ人のプレハブ住宅集落にある簡易診療所


尚美

熊に襲われた少年の治療をしてから4日がたち、傷は化膿もしないで順調に治っていた。あれから集落を歩いていると、アイヌの女性やお年寄りが私とすれ違うと”ヒンナ、ヒンナ”と言って立ち止まり頭を下げてくれるようになった。 シュマリちゃんに意味を聞くと感謝すると言う意味だそうだ。


どうもあの少年、名前はシリトというらしいが、ヒグマに襲われた傷を治した事をこの集落の人達は全員知っているようだった。漁業と狩猟で生活していたここのアイヌの人は今はこの石油プラントの仕事をしてもらい賃金をもらう事ができた、それで昔ながらの生活がだんだんと便利になってきたが、休日には海に漁にいったり、山には狩猟に入っていた。


シリトの両親が、あれから新鮮な毛ガニやホタテをたくさん持ってきて”ヒンナ、ヒンナ”といって診療所に置いていってくれた。


料理の苦手な私はシュマリちゃんにすっかりお世話になっていて朝、昼、晩はすべてシュマリちゃんのつくる美味しい海鮮料理を堪能していた。


シリトを襲ったヒグマは赤毛と呼ばれる年を取ったオスのヒグマだということだ、頭がよくて力のない女や子供、それにスキを見せている大人など数年に一度は里に現れて人を襲う恐ろしいヒグマだった。


シリトが助かったのはたまたま爺さんが近くにいてシリトを襲う赤毛に大声で威嚇して鉈を振りかざしヒグマに迫ったらその孫を助ける気迫にびっくりして逃げていったようだ。


下手にビビっていたら二人とも食われていたかもしれない、そんな話を聞いてきたシュマリちゃんが話してくれた。


シュマリちゃんが茹でてくれた毛ガニの身を昼に食べていたら、またガラガラといきなり診療所の扉が開き油田の下請け日本人作業員が息を切らしながら、


「ハッ~ハッ~先生すぐにきてくれ、作業員がヒグマに襲われた、、」


「わかったはすぐにいくわ、、シュマリ支度して、」


私は念のために腰にガンベルトをまいて、愛用のコルト・ピースメーカーをベルトのホルダーに差し込んだ。医療用の道具をシュマリちゃんが器用に詰め込んでくれた。


そのリュックを私は背負いシュマリちゃんは自分の鉈を着物の腰ひもにぶら下げて、私達はその作業員といっしょに油田の建設現場へ急いでむかった。


現場まで森の中の作業用の道を20分ほど駆け足で急いでいくと、開けた場所にでた。日本人作業員の宿泊するプレハブ棟が左手に見えて森を切り開き整地された広大な敷地になっていた。


敷地の端の森の方にいくと血だるまになって倒れている作業員と立ち膝で真っ赤になった手ぬぐいで出血を抑えている地下資源会社の奥野英太郎技師がそこにいた。周りには弓やを持ったアイヌ人や、交易で得たのか古い単発銃のライフルをもったアイヌ人達が周りを警戒していた。


倒れている作業員の周りにも日本人は数人いたがやはり鉈や鎌を持って仲間の心配をしていた。


倒れている作業員に近づくと奥野技師は


「尚美先生、急がせて悪かったな、さっきまで息をしていたけど、もうこいつはダメだ、首の太い血管をやられちまってこんだけ血を流せばもう駄目だよ」


奥野技師ははそう言うと押さえていた真っ赤な血で濡れた手ぬぐいを絞るとビチャビチャと血がしたたり落ちた。


すでにその作業員の目は閉じられており息もしていなかった。


私は一応その作業員の手首の脈をはかり、白衣の胸ポケットからペンライトを出して瞳孔反射の確認をして死亡を確定した。


「森の端でションベンしてたんだよ、それをうしろから襲いやがって首から背中にかけてバッサリだよ、悲鳴でみんなが気が付いて駆けつけたけどかしこいからすぐに逃げやがった。きっとまだどこかで俺達を見ていやがるぜ、隙を見せたら襲うつもりだ、奴の縄張りを荒らしてんのはこっちだからな~」


「しばらく作業は中止だ、赤毛を退治しなければ安心して作業ができない、軍の余剰になった小銃をもってきてよかったぜ、明日にはみんなに渡して奴をぶっ殺してやる。」


「今晩はこいつの弔いだ、、」


何処からか持ってきた戸板に、その遺体をのせて日本人作業員が運ぼうとした

私は未来で聞いたことがある熊の習性を思い出し、「穴は深く掘ってね、熊は執念深いから自分の獲物を臭いで探りだして、穴が浅いと掘り起こして持っていかれるわよ。」


私は両手を合わせて軽く頭を下げ、死んだ作業員を弔った。


そして奥野技師に「また何かあったら連絡をください、」といって診療所へ二人で歩きながら戻る事にした。


途中でシュマリちゃんが

「アイヌ人は山を下り人を襲うクマを「ウエンカムイ」(悪い神)と呼ぶ。もう赤毛は「ウエンカムイ」人の境界に入ってしまった。、、殺さなければいけない」と話してくれて、それを聞きながら私はこんなヤバイ奴にアイヌ人はどうやって退治していたのと聞くと


狩猟を生業としているアイヌの人々は、弓矢を使っている。熊が立ち上がったとき、一の矢で急所を衝くことができれば、それでもどうにか倒すことはできたがヒグマは最大、最強の猛獣であり、それを殺傷する武器として弓矢はいかにも非力であったし、危険も大きかった。


一の矢で急所を外したあげくヒグマに襲いかかられ命を落としたアイヌ人も多かった。


そうした状況の中で彼らが苦心の末に作りだしたものに、ブシという毒薬があった。それはマムシグサに含まれている毒素とブシ(トリカブト)に含まれている毒素とを煮詰めて抽出した毒薬であったが、製法が人によって異なり、それゆえ、毒の回りに早い遅いがあったという。


抽出を終えた段階で、もう一つやらねばならぬ作業があった。それは毒の強弱

つまり効き目を試すことである。


ドロリと煮詰まった液体を、ほんの耳搔き一杯分ほど自らの舌の上に乗せ、じっと正座するのである。やがて額に汗が噴き出し、顔面は蒼白となり、全身が小刻みに震えだす。


この時点で小刀の刃を用いてその舌の上の毒薬をこそぎ落とし、口をすすいで毒を吐き出す。このように自分の体に現れる徴候をもって、毒の効き目ははっきりと確かめられるのである。


この液体を、黒曜石で作った矢尻に塗って、ヒグマの体に射込むのだが、これまた当たりどころにより、毒の回りに早い遅いがあった。しかしブシを用いるようになってからは、獲物は確実に倒せたし、危険の度合いも低下した。


そんな話を聞きながら森の作業用の道を集落の手前まで来たら脇の茂みで、ガサガサと音がしたので二人はそちらを見た、茶色の毛をまとったデカい獣が身をのりだし牙を出して凄い形相でこちらを睨んでいた。


赤毛がさっきの広場から私達をつけてきたのだ、そして茂みからゆっくりと出てくるとすでに女二人だと気づいているのか人間を怖がらずにのそりのそりとそのデカい体を揺らしながら目の前に近づいてきた。


隣にいたシュマリは体が固まってしまい震えていたが、なぜか戦場という修羅場を体験した私は落ちついていた。私は彼女の前に立つと背負っていたリュックを外して「コノヤロー、、」と叫び思いっきり睨みつけて赤毛に向けて投げつけてやった。


顔面でリュックを受けた赤毛は、この反撃で本気になり前足をおおきく万歳するようにして立ち上がって向かってきたのである。そして突き出した大きな口を思いっきり開けて咆哮しながら襲いかかろうとした時、私は素早く右手で腰のリボルバー拳銃を引き抜き腰だめに構え、左手を撃鉄に添えると、その絶対外れない距離のヒグマの胸に向かってババババババ~ンと練習を重ねた素早さで6発の弾丸を撃ち込んでやった。


だがその赤毛の胸には一発も当らなかった、銃の反動でその6発の弾は少し斜め上の軌道で飛んで行ったのである。(それが尚美のクセで今まで的にあたらなかったのである。)


しかしそれはちょうど牙を剥き出し大きく開けた口の中へと吸い込まれ赤毛の喉の奥をぶち抜き脳幹の延髄えんずいを破壊しながら赤毛の首の後ろから抜けていったのである、


一瞬で中枢神経系を6発の鉛弾で破壊され絶命した300kg以上はありそうなヒグマの巨体は、そのままの格好でゆっくりと尚美に向って倒れてきたのである「ギャ~、、」と叫びながら尚美はその下敷きになった。


尚美のうしろにいてすべてを見ていたシュマリちゃんは、すぐに我に返りヒグマの下で両手をバタバタさせている尚美を引っ張り出そうとしていた。そこへ銃声を聞いた集落のアイヌの人達がおおぜい助けに来てくれて、どうにか赤毛の下から引っ張りだしたのである。


獣臭で臭くなった尚美はまだ腹を立てていた、そこに横たわった赤毛に「臭くなったじゃないの、どうしてくれんのよ~」といってヒグマの頭を思いっきり蹴とばしたのである。


一人の女が人を襲う「ウエンカムイ」(悪い神)である最強の赤毛を恐れもせずに倒した事に、アイヌ人は驚いた、そしてその頭を何度も恐ろしい顔で蹴りつける尚美を見てこいつは最強のヒグマより強い、天からきた新しい「カムイ」(神)だと思った。


集落の子どもの傷を治し「ウエンカムイ」(悪い神)となったヒグマも倒してその日から集落のアイヌ人は彼女のことを





  ”カムイ(神)尚美”




として崇拝の対象になったのである。






つづく、、、、










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