【花吹雪】ひずみ、そして……
ここから先は、ケンと理香の話になります。(会場係の話は殆どありません)
5月のある金曜日。一流メーカーに勤めているセントラル大学の先輩方と繁華街の飲み屋で会って話をした。就活対策の裏話を聞ける貴重なチャンスで、先輩も出身大学の後輩を入れたいために熱心に語ってくれた。
二次会の後、先輩たちはいかがわしい店に行くからと誘われたが、(婚約中の身である)ケンはそれを断って駅への道を急いだ。
明日の土曜日は一日空いている(仏滅のため、結婚式=バイトもない)ので、理香と一日たっぷりと過ごすことができる。早く帰って部屋を片付けて休まないと…………
そう思いながら、駅への近道であるホテル街を抜けた。それにしても、あまりにも凄い数のカップルに苦笑する。若いカップルから親子ぐらい年の離れたカップルまで。
と、あるホテルの前で、ホテルから出てきたカップルと鉢合わせ。
えっ……まじ? …………どうして??
理香と、グランドクリスタルパレスの後輩がホテルから出てきた所だった。
「あっ」「えっ」
理香はケンに気がついた。目を大きく見開いて、ケンを見つめた後、目を逸らした。
後輩の男は気がつかない。
ケンは、二人を怒鳴りつけることも思いつかず、二人の前を足早に去るしかなかった。
ケンの頭の中はパニックになっていた。
理香と幸せな家庭を築くために身を粉にして就職活動しているのに、理香は男とホテルでデート……何で? どうして?
呆然としたまま、電車の中からケンは理香にメールを打った。
『理香……分かっているよな。どういうこと? 明日、ちゃんと説明してよ』
すぐに返事が返ってきた。
『ケン……ごめんなさい。許して下さい。明日行きます』
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翌日。約束より1時間遅れて理香がやってきた。
玄関で立ちすくんでいるので、とりあえず中に入ってもらう。
目の前に座っている理香、昨晩は他の男と触れあっていたのだ。今まで、俺しか知らなかったのに、今の理香は他の男のそれを知っている。ケンは情けなくて、悔しくて、理香のことをまともに見られなかった。
「理香。確かにお前なんだよな? アレは」
「はい。本当に後悔しています。ごめんなさい。許して下さい。二度としませんから」
「理香、どうしたの? 俺のこと嫌いなの?」
「ち、違います…………」理香はたどたどしく説明した。
4月に入り、ケンが就職活動で忙しく、会ってもらえなくなった。バイトに行ってもケンの姿はなく、淋しくてたまらなかった。
そんな中、バイト仲間で飲みに行って、仲間に愚痴っていると、バイト仲間の男後輩が言い寄ってきた。酒の量も増え、甘言に乗ってホテルに付いていった。
「ケンが悪いのよ。私にかまってくれないから」と心の中で言い訳をしながら。
ところが、用事が済んで後始末を始めると理香は激しく後悔した。やっぱりケンが好きだった。どんな償いでも……と。
隣でたばこを吹かしている後輩を尻目に、理香は浮気したことを激しく後悔。でも、済んでしまったことは仕方がない。と気を取り直した。
とにかく、彼氏面して べたべたまとわりつく後輩とは駅までは一緒に行くとしてもそこで別れ、後の誘いは断ろう。「あれは酒の席での過ちだった」と。
そして、ケンには黙っていれば、時の流れが今日のことを忘れさせてくれるに違いない。早く忘れよう。避妊は確実だったので、一生口を拭い、この秘密は地獄の果てまで持って行こう。その分、ケンのことを愛し抜いて…………そう考えていたのだが、ケンに見つかって目論見は外れた。友達に相談したら「謝り倒すしかない」と言われて…………
「理香、ふざけるなよ。『会えなくて辛い』のは俺も一緒だ。理香、俺はお前と一緒になる約束をした。そのために就活がんばっているのにどういう事なんだよ」
「だから、淋しかったの。会いたくてもあなたは会ってくれないじゃないのよ。ひどいよ!!」
「だから、何のために俺が…………」
「だから、こうやって謝っているんじゃないの? ケンだって女の人何人も知っているんでしょ!」
「だからぁ!!分かってないんだよなぁ 確かにお前と付き合う前はそうだ。だけど、お前と付き合いだしてからは一度だって浮気したことないのに!! 開き直っている場合か?」
「うわーーーーーん!!」
「理香、泣いて誤魔化すな!!」
「だったら、どうしろっていうのよ?」
「"今日は"帰ってくれ。昨日のことを思い出すとムカムカする」
「えっ?」
「帰れって言ったんだよ」
「分かりました」
理香は、部屋の中に置いてある自分の歯ブラシや下着、パジャマなどをまとめ始めた。
ケンは、そこまでは言ってないのだが、理香がそうしたいのなら勝手にすればいい。
理香の大きな尻や、スカートから伸びているむちっとした柔らかい太ももも、今は忌まわしく見えるだけだった。
荷物をまとめた理香は無言のまま部屋を出て行った。
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ケンは、理香が出て行った部屋で一人呆然としていた。
何のための就職活動だったんだろう。理香と幸せになるためのではなかったのだろうか?
窓から見える都会の町並みが煩わしく思えた。1年ちょっとだったが、理香との思い出が詰まっている都会が嫌だった。
月曜日、ケンがキャンパスを歩いていると、ケンの前を理香と男が並んで歩いていた。
後ろ姿は間違いなく理香。理香の着ているカーディガンはケンと一緒に買ったものなので間違いない。
ケンはそんな理香と顔を合わせるのが嫌だった。
元の恋人から新しい男を見せつけられるなんて、そんな惨めなことはない。ケンは、手近な建物の中に飛び込んで身を隠した。そこは偶然にも「就職情報室」。
ケンはUターン就職でもしようかと考えたが、田舎のメーカーでは開発系のエンジニアは募集していない。
中央で開発したものを人件費の安い田舎で生産することが多いからだ。 工場での「生産管理」ならいくつかあったが、開発とは畑違いだ。愛知や大阪ならあるなかぁ……
と、ある求人に目が止まった。
「製品開発リーダー候補募集」 北関東の小さな田舎町にある、従業員200人の中部工業というメーカーだ。緑豊かな山の中に本社と工場があり、自社開発の精密機器などを生産している。
田舎のメーカーってどんな雰囲気なんだろう。
今まで大手メーカーばかり回っていたケン、気分転換とちょっとした小旅行のつもりで見学してみるか……と軽い気持ちでアポイントメントを取った。
当日、新幹線に乗り、指定された駅に降り立つと社長自ら新幹線の駅まで出迎えてくれたのにはびっくり。工場への道中、自分が築き上げた会社の将来性について熱心に語って入社を勧めてくれた。
緑豊かな工場には大勢のスタッフが働いていた。垢抜けてはいないが、若い女性も多く…………そんなことより、社長以下スタッフが心を込めてもてなしてくれ、せっかく来社してくれたセントラル大学の学生を離すまいと必死になっているのがよく分かる。
半日話をしただけで素行調査に問題が無ければ即内定を出すとまで言われた。
(調査されても問題となるようなことはないので、ケンにとっては即内定と同じ事だ)
ケンは、半ば自棄でそれに応え、就職活動を6月で終えた。
就活は済んだといっても研究室での卒業研究は思いのほか忙しく、グランドクリスタルパレスでのバイトと大学でいっぱいいっぱいの日々。
バイト仲間は、当初、理香を振ったケンのことを非難した。しかし、例の後輩が「理香から誘われてホテルに行った」と吹聴して回ったことからケンへの誤解は解けたが、理香はグランドクリスタルパレスに来ることはなく、締日を過ぎると理香とその男のタイムカードが消えていた。
理香とつきあっていた時のケンは、新郎新婦をお祝いするんだ、という気概に満ちて仕事をしていた。でも、今では淡々と仕事をこなすのみ。ルームキャップも何回かやったが、特に感情は沸かなかった。立て板に水の如く、ベルトコンベアに乗せてきっちりと送り出すだけだ。アンケートハガキによるお客様からの苦情はなかったが、感謝の言葉もなかった。
また、地方への就職を控えていることから彼女を作ろうという気が起こらず、後輩への接し方も丁寧ではあるがクールだった。
が、ガツガツしていないところが却って女の子の好感を呼び、「先輩以上恋人未満」という立場で1年生の子と何となく遊んだことはあった。
10月のある日。
図書館で理香の友人に呼び止められた。理香と付き合っていた頃は時々飲みに行ったこともある子。別れた理由が理香の浮気、ということも知っている。
「こんにちは…………ケンさんはどうしているんですか? 内定したと聞きましたが」
「うん。もうすぐ卒業だから、バイトも減らして、研究しながらぽつぽつ過ごしているよ……」
「ねぇ、ケンさん。……理香が荒れて大変なの。連絡取ってあげてくれない?」
「えっ?」
理香はケンと別れ、グランドクリスタルパレスも辞めた後、居酒屋で新たにバイトを始めた。
でも、淋しいのか、格好いい男の子を見つけては声を掛け、遊ばれて捨てられることを繰り返しているという。
「いつも違う男の人とくっついている理香を見てると私、悲しいよ。見ていて分かるんだけど、やっぱりケンさんのこと忘れられないのよ。ねえ、電話してあげて」
「でも、俺と別れてから理香は電話番号替えているんだよね」
「はい、新しい番号。これね。」
気が進まなかったが、婚約までしておいて別れたのだから放置していいとは言えない。
ある夜。
思い切って理香の所に電話を掛けた。でも、一向に出る気配がない。
日を変えて何回か掛けても出てもらえないので、ケンはあきらめた。まあ、男には不自由していないんだったら、いいか、と。
そして、卒業。グランドクリスタルパレスの後輩が飲み会を開いてくれて、ケンの大学生活はおしまい。
社会人となったケンは、北関東のメーカーで製品開発に明け暮れる日々がはじまった。
先輩や同僚は合コンに誘ってくれるが、理香と嫌な別れ方をした心の傷は癒えない。しばらくは彼女を作らず、仕事に打ち込むことを優先した。
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5年後の夏。26歳になった理香は北関東のある街にいた。理香は経済学部を出た後、経営コンサルタント見習いとして小さな事務所に就職。工場の視察のために泊まりがけの出張に来ていたのだ。
大学を出てからも彼氏を作ろうとしたが、なかなか上手くいかず、今はフリーの身。
駅前のプリンセスホテルにチェックインした後、駅前商店街の小さな本屋に入ると…………
なつかしい山本ケンが立ち読みしていた。
理香は全身の血が逆流するような懐かしさを覚えた。
「ケン……こんな所にいたんだ」
別れて半年後の秋。ケンから何回も電話がかかってきたのは知っていた。
しかし、当時は男から男へ渡り歩いていた時期で、ケンに合わせる顔がなかった。
が……電話が途切れてから、却ってケンへの想いが募ってきた。理香は何度も工学部で待ち伏せしようとした。
「私の卒業まで1年待ってください。私もあなたの街について行きます。あなたとやり直したいです」という言葉まで用意した。
でも、工学部へ足を踏み入れるのをためらっているうちにケンは卒業し、知らない街へ去っていった。
自分の踏ん切りの悪さにはほとほと嫌になった理香だった。
そのケンが目の前にいる。
理香は動揺と飛びつきたい気持ちを隠したまま(27歳の)ケンに近づいた。
「あら、ケンさん……ご無沙汰。どうしたの?」
ケンは時間があるというので、理香の泊まっているホテルの部屋に高級弁当を買って持ち込み、語り合った。
「今、どうしているの?」理香は恐る恐る聞いた。
ケンは、新卒で入った会社・中部工業で開発部門の係長をしており、4歳年下の社長のお嬢さん・中部真帆さんに見初められて婚約。10月に挙式とのこと。
社長の婿養子の形となり、姓も変わってしまうという。
でも、この小さな町にすっかり溶け込んでいる様子で、すごく幸せそうだ。
理香は、動揺を隠すために「ワイン買ってくるね」と一旦部屋を出た。
廊下に出た理香は、涙が止まらなかった。
バッドエンドですみません。
もともと、山本ケン(中部ケン)は、社長の娘、中部真帆の旦那というポジションから書き始めたので、理香から見るとバッドエンドになってしまいました。
ただ、ケン自身も理香と別れてから真帆と付き合うまで、5年近く彼女無しの生活を送るなど、ショックは大きかったようです。
そのケンが登場する作品。実は「ノクターン・ノベルズ」に所収されているR-18作品のため、ここでは紹介できませんが、18歳以上で抵抗のない方は探してみて下さい。
ありがとうございました。