【三分咲】告白
その後も仕事の後に食事、というパターンが続き、手をつないだりするぐらいで進展がなかった。
理香は男とつきあった経験がないので、がっついてはだめだと思ったのだ。
そして、ゴールデンウィークのある日のこと。
ゴールデンウィークは挙式数自体はそんなに多くないが、家族持ちのスタッフが休みを取りたがるので、イレギュラーな配置になる。
今日のケンは、披露宴会場のパーサー(黒服の補助係)。
エメラルドの間で、スポットライトを操作したり、飲み物を補充したり、お客様の席の間を回って要望を伺ったりする仕事だ。去年、数回やっている。
さらに、理香も同じ会場で配膳係を命じられた。前日、それを聞いた理香は
「うれしい〜っ。やっと花嫁さん見られるのね」
「理香ぁ……花嫁に見とれて仕事サボるんじゃないぞ」「は〜い」……理香は浮かれきっていた。
お客様の入る前の宴会場・エメラルドの間。いつもと違う制服に身を包み、落髪防止のため髪を結い上げた理香に見とれながらも黒服の指示に従って準備をしていく。
今日は、理香の他にも理香の友人、実咲もロビー係から応援として入っていた。
キャンドルサービスのろうそくやトーチ、マイクなどを点検しつつ、緊張して準備している理香と実咲に声を掛ける。
実咲は緊張しまくっていたし、理香は花嫁を見られるのでわくわくしていた。ケンと同じ会場なので油断しきっていたのかもしれない。
お客様が入ってきたので、お席にご案内ののちに披露宴が開宴した。
ケンが照らすスポットライトに、真っ白なドレスを着た新婦様と、緊張と幸せが入り交じった表情をしている新郎様。
高らかな拍手の中、二人がメインテーブルに着席し、会場が明るくなるとスポットは一時お休み。後ろに立っている理香を見ると、顔を真っ赤にしていた。
型どおりの挨拶と乾杯が済むと、配膳係は戦闘態勢。
厨房で作られた温かいお料理を次から次へと出していく。
男性のお客様はお料理を食べるのが早く、出した端から器が空いていき、それを下げて行かなくてはならない。ケンも手が空くと下げるのだけは手伝うが、理香の顔からは汗が噴き出していた。
(ただ、器が下げられるお席=新郎友人などのお席の方が後の料理が出しやすいので、理香と実咲は新郎友人席担当だった。……ちなみに、出し忘れや二重出しを防止するため、そのテーブル担当者以外は料理を出してはいけない規則)
黒服が襟元を擦る仕草をしたので、ケンがスポットライトに取り付くと
「それでは、新郎新婦様、お色直しのため退場です」とアナウンスが流れ、会場が暗くなった。真っ白なドレスを着た新婦をスポットで追いながら、ケンはそれとなく理香の方を見ると……料理を下げながらよそ見をしていた。同じく、よそ見をしていた実咲が理香に近づいて…………
ガシャーン!
音楽にかき消されそうだったが、ケンはその音を聞き逃さなかった。
会場が明るくなったので、ケンが現場に急行すると…………
「てめえら、何やっているんだ!!」新婦親族席の新婦伯父にあたる男性が理香と実咲を怒鳴りつけていた。
ケンはドリンクコーナーにあったおしぼりを掴み、その席へ駆けつけた。
「申し訳ございません。チーフの山本でございます。如何なされましたか…………」
「こいつら、何やっているんだよ!!」理香と実咲がよそ見をしていて激突。下げる途中だった料理の中身がお客様のズボンに掛かったとのことだ。
酔っているのか、真っ赤な顔をしたその人は「おい、てめえら」と怒鳴り始め、友人たちもこちらを注視しているので、とりあえずズボンを軽く拭くと、ロビーに出てもらった。
何とかロビーの椅子に座ってもらったものの、お客さんは関係のないことまで毒づき始め、今にも殴りかかりそうなほど怒っている。
ロビーの離れた場所では、理香と実咲、その方の奥さんがこちらをじっと見ている。
酔ってしまうとこのご主人、奥さんでも手に負えないのだろう。奥さんがブチ切れたご主人のことをおろおろと見ているケースは珍しくない。
もちろん、この類のトラブルでバイトの手に余るときは、助けを呼ぶことができる。
ケンがインカムに向かって
「エメラルドのロビー、コードG」と言えば警備員が来てくれる。喧嘩や殴られた場合はすぐに呼ぶ決まりだ。(Gはガードマンの略)
そこまで行かなくても「エメラルドのロビー、コードM」と言えば、現場では手に負えないトラブル解決のために待機している支配人か副支配人クラスの人が来てくれる。(Mはマネージャーの略)
が、ここで支配人を呼んでしまうと、原因の追及がなされ、上司の主任は厳重注意、理香たちはクビになってしまうかもしれない。
ケンはもう少しやってみようと思った。
「何でこんな所に連れ出したんだ!? あいつらによーく説教するからここに連れてこい」から始まって、一方的にまくし立てているので、しばらくしゃべらせておく。
「◎◎様……。本当に私共の不調法で申し訳ございません。ですが……もしよろしければ、お式がお開きになるまで、お収めいただけますでしょうか?」
「はあ?」
「今日は、お二人の一生に一度の晴れ舞台です。お二人をお開き口までお送りするまでは、私たちは……/お式がお開きになりましたら、喜んでお叱りをお受けします……」
ケンは、とにかく披露宴を無事に終わらせたいことを語った。
「分かった。あんた……プロじゃのう。もうええ。中に入るわ。酒も飲みたくなったし」
ご主人は、少し仏頂面だったが、奥さんに伴われて会場に入っていった。
と、理香と実咲が駆け寄ってきた。
「ケンさん、すみません」「ごめんなさい!」目からは涙がぽたぽたと垂れていた。
「理香……だから言っただろう。軽く考えちゃだめだって」
「はい、ごめんなさい」理香は泣き崩れてしまった。
「山本くん、そろそろキャンドルだよ」とインカムから黒服の声がしたので、ケンは理香を抱え起こし、軽くハグすると会場に戻った。
戻る前、理香と実咲に「キャンドルサービスの間は何もしなくて良いから、会場に入ってよく見ていいよ。だけど、あとは仕事に集中すること」と言っておく。
(もともとキャンドルサービスの間は配膳禁止なので、その間に配膳係は裏で一休みしている)
呆けたように綺麗な新婦を見つめる理香たちに見守られながら、キャンドルサービスが済み、カラオケが始まると、ケンはさっきの伯父の奥さんに呼ばれた。
「主人が失礼なこと申し上げてすみませんねぇ。あ、クリーニング代ですか? いいですよ。この式が終わったらどうせクリーニングに出すつもりだったから。」
(クリーニング代は経理に言えばそれ用の金一封を出してもらえるが、始末書を書かなくてはならない)
件の伯父はと言えば、さっきのトラブルなど忘れたかの如く、親戚連中と一緒にわいわいと盛り上がっている。
披露宴お開きの少し前、ケンは指示を受けた。
お開きの後に対応するロビーの係が足りないので、ケンと理香は会場の片付けではなく、ロビーの方に回って欲しいと。
花束贈呈では、新婦の涙ながらの手紙に目頭を押さえる理香と実咲。だめだなぁ……プロがこんな所で泣いちゃぁ……
お開きの後、理香を連れてロビーに出ていつもの案内の仕事に就く。
シャッター押しを頼まれたり、トイレや更衣室の場所を案内するとき以外は、ロビーの隅に立ち、新婦をじっと見つめている理香。
と、さっきの伯父たち親戚軍団がケンと理香の所にやってきた。理香は怯えた表情になる。
「いたいた、この子だよ。△△(新婦)に見とれて料理こぼした子は。お姉ちゃん、そんなに怖がらなくてもいいよ。さっきはごめんな。怒ったりして」
「い、いえ……本当にすみませんっ。ごめんなさい」
「姉ちゃん……△△、どうだった。」
「はい、すごく綺麗でした」
「そうかそうか……うれしいなぁ。おーい、△△ちゃん」伯父は新婦を呼びつけた。
「はーい」新婦は、ピンク色のドレスをカサカサさせながらやってきた。
「△△ちゃん。このお姉ちゃんなんだけど、あんたが余りにも綺麗だから、見とれて料理をひっくり返したんだ」
「伯父さん、そんなこと言っちゃかわいそうですよ」
「そうだ、写真を撮ろう」と伯父と新婦が並んで、ケンの手元にカメラが渡された。
理香がケンの方に移動すると……「あんたもこっち来なさい」
「えっ」……
「まったく、伯父さんったらぁ。しょうがないわねぇ……お姉さん、良かったら入ってもらっていい?」と新婦もにこにこしている。
「は、はい」
新婦と伯父と(スタッフである)理香という、奇妙な記念写真が撮れた。
新郎新婦が控室に戻り、お客様がロビーからいなくなったので、忘れ物の点検に入った。
誰もいないロビーを見回り、多目的トイレに入ると……理香もついてきて扉が閉められた。カギまで掛けられる。
「理香?」
「ケンさん……私、怖かった。ごめんなさい」
「ごめんなさいって……許してもらったから良いんじゃないの? 表沙汰にはなっていないし、お客さんから写真に入るように言われるなんて滅多にない……」
「でも、でも…………」ぐすっ、ぐすっ
「理香……」
「ケンさん、今日、泊まりに行っていいですか?」
「えっ」
「だめですか?」
「そうじゃなくて、泊まりに来るって……俺、理香のこと好きだから、我慢できなくなるかも」
「いいですよ。そのつもりです」理香はそう言うと、真っ赤な顔をして唇を突き出した。ケンはそっと唇を合わせた……理香のファーストキスは何とトイレの中と言うことに。
その晩。理香はケンのアパートに泊まった。
全てをケンの前にさらして、初めての経験を済ませた理香は、ケンの腕枕で一晩を過ごした。
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ケンと理香は本格的に付き合うようになった。
ケンに惚れ込んだ理香、ケンのことが大好きでたまらない様子で、よくアパートに泊まりに来てくれて、女性の悦びを覚えた。
6月の婚礼ピーク時も、ケンと理香は毎週のように仲良く働いた。デートに行くにも、二人ともあまりお金がなかったしww
ケンと理香の間柄はいつの間にか公認となり、バイトのリーダー格のケンの女に手を出そうとする者はいなかった。
というか、理香はそんなに美人というわけでもなく、ここは女性の方が人数が多いので、余程性格が悪いか醜男でなければ彼女を見つけることができた。
「ねえ、ケン……一緒に住もうか? 家賃もったいないじゃん」
「俺もそうしたいけど、実家から親が出てきたらどうするんだよww」
「あっ、そうか」と、こんなバカな会話をしているときが一番楽しかった。
夏休みは結婚式がめっきり減り、バイトも少なくなるので、7月の試験が終わった後は少しバイトをしながら研究室で勉強。8月上旬からお盆までは理香と時期を合わせてそれぞれ帰省。お盆休みが終わったあと、理香と旅行に出かけた。
夜行快速を利用して大阪へ。安いビジネスホテルに2泊、車中泊2泊の合計5日間。泊まったビジネスホテルは意外と壁が薄く、静かに過ごさざるを得なかった。