【つぼみ】新人バイト・理香
4月初めの土曜日、帰省から戻ってきたセントラル大学3年、山本ケンは今日もバイト先である結婚式場、グランドクリスタルパレスに出勤した。
この結婚式場は大小合わせて7つのホールがあり、多数のバイトが働いている。ケンは1年生の春からここに勤めて3年目。かなり古株と言うことになるだろう。
北東北出身のケン、元々は地元の大学に進む予定だったのが、記念受験した名門・セントラル大学の工学部に受かってしまい、教師の強いすすめで進学。
ただ、親の用意してくれた学費と仕送りだけでは物価の高い都会で生活するのは難しいため、金のかかるクラブ活動は断念し、学業とバイトとという大学生活を送ることにした。
突然の都会への進学のため、初恋相手の彼女、洋子とは遠距離恋愛が破綻している。
一方で、グランドクリスタルパレスの女先輩たちが遊びに誘ってくれたおかげで退屈はしなかった。クラブ活動をしていないため、いつでも遊び相手になるところが好まれたのだろうか。
ただ、「後輩以上恋人未満」という立場にすぎず、洋子との熱愛を経験したケンは満たされない日々を過ごしていた。その女先輩たちも卒業し、新たな季節を迎えた…………
ケンは、グランドクリスタルパレスの制服である水色のブレザーにネクタイを締め、襟に輝くキャンドルの形をした銀バッジの傾きを直すと、ミーティングに臨んだ。
今日の仕事は、ロビーでのお客様案内係。部下として同じ大学の後輩が数名付く。
その中に、初めて見る女の子がいた。金谷理香、経済学部2年生。
2月からここに入り、裏方をしながら研修してきたが、今日が案内係初デビュー。
丸顔のむちっとした体型で大きな尻がスーツのスカートを膨らませている。ちょっと化粧が垢抜けしないのは、接客に慣れていないためだろうか。
自己紹介のあと皆は配置につく。ケンは、理香を自分の傍らに置き、仕事の流れを見てもらうことにした。
最初の組の開式が迫り、お客様が三々五々お越しになる。
「おめでとうございます。本日はどちらのお式に……」「○○さんの……」
お客様に控室をご案内したり、式服を持ってきた方には更衣室のご案内を淡々とこなしていく。
耳に付けたインカムからは、式の進行状況が流れている
「ルビーの間、△△家◇◇家の新婦様、着付けが10分遅れています」「了解」
大半はケンに関係のない情報だが、中には重要な情報もあるので、聞き流しているわけにはいかない。
「山本くん、□□家のご親族を乗せた○○観光バスが到着したら主任の所まで知らせて下さい。□□様のお父様がお出迎えになりたいそうです」「山本了解しました」
理香も、配置表を見ながら、たどたどしくご案内している。「控室は……」「公衆電話は……」「お手洗いは……」
こんな忙しい時間の中で、ケンの密かな楽しみは、新婦友人のドレス姿を見ること。
胸を強調したり、胸元が大きく開いたり、すらっとした脚がむき出しになったり……友人のために精一杯綺麗に着飾った女の子たち。
ばれないように胸元や脚に視線を動かして目の保養。時には「○○はどこですか」と騒々しいロビーで耳に息を吹きかけるみたいに体を寄せてくる子もいて、どきまぎしたりする。
でも、今日は違っていた。
隣に並んで立っている理香の事が気になって仕方がない。着飾った友人たちも確かに綺麗だが、純朴でどこか頼りなさそうな理香。
今まで付き合ったことのないタイプだが、理香をチラ見すると胸が少しキュンとした。
理香はと言えば、初めてのロビー仕事で、緊張しているのがありありと分かる。
ケンに質問する声も緊張しまくっていた。
「山本くん、△△家◇◇家のお式が始まるから誘導よろしく」「山本了解」インカムから指示が流れ、ロビー脇にある来賓・友人控室の列席者に声をかける。
「大変長らくお待たせしました」室内にいる人たちが私語をやめ、一斉にケンの方を向く。大勢の人の目がケンに注がれているのが痛いほど分かる。
「只今から『△△家・◇◇家』のチャペル挙式を開式いたします…………なお、このお部屋はこの後使用しませんので、お忘れ物のないように……」扉の外には、チャペル担当のスタッフが立っており、先導を託した。
このあと、15分〜30分間隔でお客様を同じように挙式会場へお送りすると、お客様はそのまま写真〜披露宴へと入るので、ロビーは少しの間、閑散とする。
「山本さん、お待たせしました」先に食事を済ませた後輩たちが声を掛けてくれた。
「金谷さん、ご飯食べに行こうか」「はい」
社食のテーブルにはおかずとサラダがずらりと並んでいて、ケンと理香はカウンターから温かいご飯と味噌汁、お茶をもらうと、並んでテーブルに着いた。(テーブルには到着順に詰めて座る決まり)
「金谷さん、緊張した?」
「はい」
ケンは色々話し始めた。理香は静岡出身の下宿生。花嫁のドレスにあこがれてこのグランドクリスタルパレスに入り、今日が初めての接客デビュー。
「山本さん、ロビー担当だと花嫁さん見れないんですね」
「うん。着付け室も式場も全部2階から上にあるから、1階の宴会場を使わない限りはロビーでは見られないよ」
確かに、ロビー係をしている時は新婦のドレス姿を見ることはない。1階のホールは導線が不便なのであまり結婚式には使っていないのだ。(導線分離の観点から、一般のパーティや法事後の会食に使われることが多い)
早朝、新婦さんが緊張気味にハイヤーで乗り付けるときも、夕方、新郎と寄り添って退館するときも軽いスーツや私服姿。だから、余計に新婦友人のドレス姿が目にまぶしいのだ。
自宅着付でもあると、目の前を通る姿を見ることができるが、今日は自宅着付けはない。
さらに、ケンのようなベテランになると、時には会場係として宴会場の中に入ることはあるが、理香のような新人だと難しいだろう。
(最初から配膳係として採用されていれば新婦さん見放題なのだが、配膳係は意外と忙しく、ゆっくり見られないのだとか)
短い食事時間ではあったが、話すことで理香の緊張もほぐれた様子だ。
ロビーに戻った理香は時折笑顔を見せていた。かわいい…………
理香もケンの方をちらちらと見ているのか、時々目が合う。
つかの間の、そんなのんびりした時間はインカムからの指示で終わりを告げた。
「山本くん、△△家◇◇家の披露宴、現在花束。配置確認して下さい」「山本了解」
(「花束」とは随分ひどい隠語だなぁ。「新郎新婦から両親への花束贈呈」という、一番のクライマックスなのにぃ)
そう思いながらも、ロビー係の後輩たちに声を掛け、配置についてもらう。
お客様がエスカレーターから降りてきはじめた。大きな引き出物をぶら下げ、ほろ酔い加減で楽しそうに降りてくる。が、ロビーは戦場だ。
無線配車のタクシーにお客様をお乗せしたり、貸切バスの誘導、更衣室やロッカールーム、授乳室の案内、引き出物を宅配便で送る方への手続き、写真のシャッター押し。
15〜30分間隔で披露宴がお開きとなり、その都度大勢の列席者がぞろぞろと降りてくる。
と、タクシー乗り場を見ると、理香が中年のお客様に叱られていた。理香がしどろもどろになっているので
「お客様、如何なされましたでしょうか?/金谷さん、どうしたの?」
「どうもこうもないよ……ったく」理香がタクシー配車の順番を間違え、後に頼んだお客様を先に来た車に乗せてしまったらしい。
傍らのタクシーコールで確認すると、後の車はあと15分ぐらい掛かるとのこと。
「私どもの手違いで申し訳ございません。あと15分ぐらいかかりますので……」
「何?」お客様は気分を害したようだ。そこで
「お車が到着しましたらお呼びしますので、それまでお飲み物でも如何でしょうか」と喫茶室に移動してもらい、コーヒーを出してもらった。
15分後。タクシーが到着したので、ケンは自分で喫茶室にお客様を呼びに行ったら機嫌が直っており、丁重にお見送り。
「山本さん、すみません」
「大丈夫だよ。この手のミスは誰でもするものだから」
「はい」そう答える理香。ケンのことをじっと見つめていた。
この日最後の披露宴がお開きになり、お客様の大半がお帰りになったところで館内の忘れ物チェックをロビー係全員で始めた。
植木鉢の中や椅子の下まで念入りにチェックする。つけ慣れない宝飾品を付けてくるお客様が多く、指輪やイヤリングが落ちているなんてことはしょっちゅうで、デジカメやコート、携帯電話などもよくみつかるのだ。
理香は何をしていいのか分からないのか、ケンの後をついて歩くばかり。アヒルの親子じゃないんだから……ケンは苦笑した。
が、ケンに寄り添う理香の姿を見て、ケンは自分でも信じられない行動に出た。
「理香さん、この後お時間ありますか?」「え?」「お、お茶でも……」「はい」
ケンの声も上ずっていたし、理香の顔も真っ赤だった。
締めのミーティングを済ませ、着替えたケンはグランドクリスタルパレスの向かいにあるスターバックスに入った。
今日会ったばかりなのに、何だろう、この気持ちは。胸が締め付けられそうだ。でも、本当に来てくれるのだろうか?初対面で図々しかったかも……と心配していると
理香が現れた。軽い上着にジーンズ姿。脚は太めなのか、ジーンズの太ももははち切れそうだ。
「や、山本さん……すみません。お待たせして」と椅子に腰掛けた。
「いえいえ。慣れてる職場だもん。速攻で着替えられたから……急がせちゃった?」
「…………すみません、こんな野暮ったい格好で」
「そんなことないよ。それより、理香さんは男の人と二人で居るところ見られても大丈夫なの?」
「大丈夫です。私、彼氏とかいませんから」
「コーヒー飲んでいく?、それともご飯食べに行く?」
「お腹空いちゃったから食事でいいですよ」
近くのイタリア料理店で軽いコースを頼みながら、色々話をする。
理香は入学直後、サークルに入ったものの、あまりにも行事が多く、学業の妨げになるのとお金もかかるので1ヶ月で退会。
クラスで友達を作った後はのんびりしていたが、ちょっと苦しいので夏からショッピングセンターの裏方でバイトを始めた。つまらない仕事を続けていたものの、年明けにリストラで解雇。
どうせならと華やかそうな結婚式場に入ってきたというわけだ。彼氏はいない。
ケンの事も色々聞き出された。高校時代、熱愛関係にあった彼女・洋子がいたが、心の準備が出来ないまま突然の遠距離恋愛。洋子と同じ大学に進学した友人によると、(恋愛慣れしていない)洋子は、同じ大学の男に言い寄られたという情報。問い詰めることもなく自然消滅した。
食事のあと、どちらともなくカラオケに行こうということになった。
カラオケボックスの部屋で、理香はなんとカクテルを注文。
「理香さん、未成年なのに……」「えーっ、ちょっと舐めてみるだけだから」
といいつつも、理香はあっさりと1杯開けてしまった。顔は真っ赤で歌どころでは無い様子。1時間もすると、理香は顔を真っ赤にして歌どころではないようだ。
歌っているケンに寄りかかって、腕を絡めてきた。理香の髪の匂いが鼻を心地良くくすぐっている。
カラオケボックスから出て、足元もおぼつかない理香を送り届けた。
「理香さん、ここでいいの?」「うん、ありがとう」
「じゃあ、おやすみ」
「ねえ、ケンさん……また会ってもらえますか?」
「うん。喜んで」手を握りあって、理香は女性専用アパートの扉の奥に入っていった。