自他の区別
誰もがなにかを悩んでいる
ということを直感的に理解できていない
だからみんな悩んでいると“教え”られると
自分だけじゃないんだ、と落ち着く
でも、誰もがなにかを悩んでいる、
その客観的事実を改めて再確認したところで
別に自分の苦悩がなくなるわけじゃないのに
落ち着く余地があるのはなぜ
みんな、悩んでるのは自分だけ、と思ってる
自分以外の人間がみんな幸せそうに見えている
だから誰もがなにかを抱えている、という、
あまりにも平凡な事実を“知る”と落ち着くのだ
そんなこと知らなかったから
自分以外の人間はみんな気楽に生きていると思ってるから
自分だけが悩んでるつもりだから
世界一可哀想でかわいいのはいつだって自分だから
悩んでいるからって困っているとは限らない
例えば生活に支障が出るとは限らない
だから、そのレベルの苦悩でなければ理解されない
“誰もがなにかを悩んでいる”から“その程度大したことじゃない”
親に“厳しく躾けられている”のか
それとも“虐待”されているのか
決定的な“事件”が起こらなければ
“誰もがなにかを悩んでいる”けど“俺の方が悩んでいる”
でも、だからってニキビで悩むあなたの悩みが
半減したり消滅したりするわけではないのに
“あの人に比べれば私なんてマシな方”
“誰もがなにかを悩んでいる”から“みんな大変だからいちいち喚くな”
そうして、あなたは自分と向き合うことをやめてしまう
教室の誰もが自分を特殊だと思ってて
みんな他人は普通の人生を送ってると思ってる
自分をモブキャラだと思ってるあの子も
“だからこそ”自分は特別で独特なのだと思っている
誰もが似たようなことを考えているものだ
赤点の苦悩もいじめの苦悩も苦悩という点では変わらない
誰もが自分の悩みが一番大変だと思ってる
そして“そういう捉え方はいけない”と教えられ––––
あなたは自分の悩みを真剣には悩まなくなる
だから、他人の苦悩の表現を甘えと見なすようになる
困っている人を助ける、なんて概念がないのは当然だ
“だって、俺のことは誰も助けてくれないくせに”
だから、世界一可哀想でかわいいのはいつだって自分なのだ
この歪みはどこから来たのだろう?
確かにこの自己責任社会には都合がいい
だけどこれでは本当に選ばれた者しか幸せになれない
麻痺と自己欺瞞も限界だ
なぜなら世界とは選ばれた者以外によっても成り立っているのだから
誰もがなにかを悩んでいる
だからあなたの悩みも大切なんだ
ただそれだけの至極単純明快な現実なのに
“それ”を認めると支配できなくなるから




