普通であるように
適応力があるのではない
抵抗力がないだけだ
だからただただ流されていくだけ
それが“普通”ということだ
いま、自分がここにいられているのは
他の人たちが頑張ってくれているから
前の人たちが頑張ってくれたから
ということがパッとわからないのは危険だ
図書館があって幸せ
作ってくれた人ってありがたいな
と、直感的にわからないなら
わからないままだろう
だから“それ”がないことの大変さや
あることの快適さを
いくら説いても無駄だろう
“ない場合”がわからないから
適応力があるのではない
抵抗力がないだけだ
だからただただ流されていくだけ
それが“普通”ということだ
幸せなのも考えものだ
不幸に共感できないから
普通は普通に生きていれば
世の中他人次第のこともあると
わかるはずだけど
自分の力で幸福を掴んだ人は幸運な人で
それに気づかず“自分は普通”だと信じちゃう
そして“普通”に襲われて
適応力があるのではない
抵抗力がないだけだ
だからただただ流されていくだけ
それが“普通”ということだ
自分は普通に生きている普通の人間だ
そう思っている人ほど
いま自分がここにいられるのは
いられているのは
誰かのお陰だと思った方がいい
だって、“普通”は結局、多数決の話
“このまま”じゃ 飲み込まれるぜ
適応力があるのではない
抵抗力がないだけだ
だからただただ流されていくだけ
それが“普通”ということだ