小町
「にいちゃん。お客さん来ないね。」
「あしたはくるよ。にいちゃんもおゆきも、こんなにがんばってるもん。」
大川の隅に大きく古いうどん屋の屋台がある。
春に屋台を引く親父が足腰を痛めてから、子供二人がうどんをこしらえている。
親父はもともと、江戸の生まれではなかった。
「あめや」裏の長屋とは離れた街から、屋台は毎日、この通りに来ていた。
清五郎と甚八は提灯の下で子供のこしらえたうどんを食べながら
「長助とおゆきはずいぶん上手になったな!」
「おやっさんのうどんより美味しいよ。」
お世辞抜きに二人を褒めた。
子供二人の話を聞いてみると、どうやら店は続けられないらしい。
「今まで来てくれてたお客さんが新しい、流行りの店に行き始めたから。」
「でもにいちゃんのうどんはとっても美味しいからまた来てくれるもん。」
「まいにち綺麗なお姉ちゃんが『おいしいねえ』っていって食べてくれるんだよ。」
妹は胸を張って清五郎と甚八に言った。
街のはずれに流行りのうどん屋ができたのは先月の話だ。
もともと、食い物屋の少ない通りだったこともあってすぐに評判になった。
近くにできりゃ、そっちにも行くだろう。不思議じゃあねえ。
この屋台もずいぶんデカかったんだなあ。
子供二人が引くには、大きすぎる。そして重いはず。
せめて『繁盛』してれば、笑顔で帰れるんだろうがな。
岡っ引きと子分は温まった体を冬の風にさらしながら夜廻に戻って行った。
ところが
数日経つと屋台の前には行列ができていた。しかも若い綺麗なお嬢さんばかりだ。
夕刻から夜遅くなる少し前まで、美しい着物の列は途切れることがなかった。
屋台が出すのは「ふつう」のうどんだ。特別でかくもないし、高級でもねえ。
清五郎と甚八は美しい着物の列を遠くから不思議そうに眺めた。
「こいつは・・全く見当がつかねえ。」
数日前のこと。
甘味処「あめや」の向かいの京菓子屋「ぎおん」では賑やかな声があふれていた。
「お京ちゃん、いつも華やかでうらやましいね!あやかりたいよ!」
「そりゃあ『川の向こうのうどん』を食べてるからだよ。」
「うどんはどこもいっしょだろ?」
「川の向こうのうどん屋は『特別』なんだよ。材料も仕込みも京都の『別注』だもん。中身から作り方まで、何から何まで『京都の美人様』仕様になってるんだよ。」
ええええええ!
「うちは京都の老舗から菓子の材料を仕入れるんだけど、川向のうどん屋も同じ問屋なんだよ。」
「いまは足腰痛めちゃってるんだけど、あそこの親父さんはもともと、京都で有名なお師匠さんなんだよね。あたしの生まれた京都の有名店の旦那は『全員』、川向のうどん屋の親父さんに教えてもらってるんだ。屋台のお兄ちゃんと妹の二人は、お師匠直々に『秘伝の作り方』を叩き込まれてるんだよ。だからあたしはずっとあそこしか食べに行かないんだ。」
ええええええ!!!
「わざわざ川の向こうまで『うどん』を食べに行ってるのかい?」
「そりゃあもちろん。京菓子の看板娘は『見た目』も大事だしねえ。変な話だけど、店の前に立つ以上『売り上げ』にも関わるんだよ。お客様に喜んでいただくためにも、『本場本物のうどん』は絶対に欠かせないんだよ。」
「親父さんの京都の店も、元々は『祇園甲部』の八坂神社のそばにあったんだよ。あたしがいた『祇園』のあたりは芸妓さんや舞妓さんが多かったから、親父さんの店だって、『街のお嬢さん方々』のお願いで、わざわざ街の真ん中に構えたんだよね。それだけ、京都の美人には『親父さんのうどん』が必要だったんだよ。」
「江戸のお姉さん達は想像できないかもしれないけど、『京都祇園』の芸妓さん、舞妓さんは『美しくいる』ことも大事な仕事なんだよ。髪結も着物も『本物』じゃなきゃだめなんだよね。同じように、『うどん』だって絶対にゆずれない。」
「あたしはなんてったって、京菓子『ぎおん』の看板娘だからさ。『菓子作り』も『美しさ』も本気なんだよ。なあんてね!」
ええええええええええ!!!!!
「お京ちゃん!いまからいくよ!」
「あたしもちびっ子二人に挨拶してくるかな!」
「おねえさん、ちゃんと注文してあげてよ?」
「あたりきしゃりきよ!『店で一番おいしいやつちょうだいな』ってなもんよ!」
「おにいちゃんと妹は育ちがいいから、礼儀正しくね?」
「旦那に頼んで新しい着物買おうかしら!」
「たまにはお母様とうどんもいいかも!」
「早い時間に食べると、太らないからいいんだよ。内緒だよ?」
えええええええええええええええ!!!!!!!
うどん屋の屋台の前には綺麗な着物の列ができた。
お嬢さんたちは皆、礼儀正しく、二人の子供の作るうどんを美味しく食べた。
会計の時も「釣り銭」がでないように気を配った。
屋台の周りはまるで縁日のような賑やかさだった。
長助とおゆきは笑顔になった。
「今回ばっかりはこの清五郎、まったく出番なしだぜ。」
「親分すいません。あっしもさっぱりだ。」
二人は「あめや」のお汁粉を食べながら遠くを見つめていた。
「お京さんは『街一番の美人』『この街の自慢』だからね!お姉さんたちはその秘密を教えてもらったんだよ。」
「そうかあ。俺と甚八じゃあそりゃあわからねえな!ははは!」
二人はついでに甘酒をもらうと、午後の川沿いを見回りに戻っていった。
「さてさて、うちも『うどん』を出してみようかな。いやいや、あそこの屋台にはかないっこないや。それに、あたしはもう十分『美しい』からさ。なあんてね!」
「あめや」のお品書きに、うどんが並ぶことはなかった。
おわり