おはつ異世界召喚の術
江戸の隅、甘味所「あめや」の裏に、古びた長屋がある。
貧しい暮らしを送る長屋の住民たちの間で「ある噂」が囁かれていた。
「富岡橋から川面をのぞきこむと、おかしな『渦』がみえるそうな」
「丑三つ時のその時間にしかみえないらしい」
「それを見た人間は 『困り事』が解決するときいた」
岡っ引きの清五郎の耳にも、長屋の噂は届いていた。
貧しいながらも明るく逞しい長屋の住民の『悩み事』が解決するなら結構なことじゃねえか。
そう考えていた。
しかし解せない
「今夜はちょっくら富岡橋の方までいってくらあ」カミさんにそう告げると、
清五郎は十手を腰に忍ばせ通りの闇に紛れていった。
丑三つ時というのに、橋の真上は長屋の住民たちで大渋滞していた。
賑やかなその光景は、夏の花火を楽しむ少し前の懐かしい風景を思い起こさせ、
清五郎は笑顔になった。
「みんなたのしそうでなによりだ」丑三つ時になると
長屋の住民たちは一斉に川面を覗き込んだ。
そこには
水の底から浮かぶ不思議な光と共に、水面には静かに渦ができていた。
魚は渦と共に泳ぎ、暗い川底にキラキラと光を反射させている。
「おりんの宝物のかんざしが見つかりますように!」
「おとっつぁんの病気が治りますように!」
「商売道具の天秤棒が長持ちしますように!」
「奉公先の娘が、正月には元気に顔を見せてくれますように!!」
橋の上は願い事の大合唱になっていた。
「やれやれ、闇に紛れておかしな輩が、と心配したが、ここまで祭り事になってりゃ安心だ」
長屋の住民たちの元気な様子に安心した清五郎は踵を返して家に帰ろうとした。
そのとき
「お前たちの願いを全て叶えようぞ」
漆黒の天から静かに響く声が轟いた。
「え!じゃあ、お給金がもうすこし増えますように!」
「うお初の若旦那といい中になれますように!」
「母ちゃんに親孝行ができますように!」
「可愛い妹に綺麗な着物を買ってやれますように!!」
長屋の住民たちは天に向かって手を合わせると、遠慮せずに願いごとをした。
「よし。全て引き受けた。」
地響きを伴った声は一人一人の心に響き、住民たちは不思議な光景に驚き、その夜は朝まで縁日のような光景になった。
冬も近づいた江戸の隅、長屋の住民たちは皆楽しそうだった。あれから、「富岡橋の渦」は現れなくなったが、住民たちの悩み事はもれなく解決していった。奉公先の娘の便りを喜ぶおやじ、妹の着物を買ってやった働き者の兄、みんなが笑顔になっていった。
岡っ引きの清五郎は熱い茶を味わいながら、甘味所「あめや」看板娘、おはつに不思議な光景を話して聞かせた。
「長屋のみんなには見えなかったようだが、渦の中からガタイのいい『侍』が出てきたんだ。そいつは天から皆を見下ろしながら、よしよしと深く頷いて、手元にあった帳面に『何か』を書き込んでいたぜ・・・」
「またまた、清五郎親分!丑三つ時に酔っ払って川の底覗き込んで、『たぶらかし』にでもあったんじゃないかい!?ちょっと親分さん!うふふふ!あははは!」
「えええ!?やっぱりそう思うかいおはつ!やっぱりそうかなあ。あははは!」
師走も近づいた江戸の街に爽やかな笑い声がこだました。
おはつは清五郎を見送ると、着物の袖から大きな帳面を取り出し、「解決して候」と書かれた項目を眺めると、よしよしと深く頷いた。
十一月の江戸の街に師走の足音が近づいていた。
終わり