ぎやまん
「あめや」の通りの東 狭い路地の隅に 時々 「屋台」が現れるという。
屋台は主人が一人 客はいない。
「出たらしいよ」
「おきたら屋台は無くなって巾着が空になってたってさ」
「『のっぺらぼう』っていうじゃないか・・」
力持ちの五平は 二日前『噂の屋台』に行ったらしい。
朝になると一文なし、ひどい頭痛で、屋台の主人の顔は思い出せないという。
人相を尋ねると、ただただ驚いたと言い それ以上を口にしなかった。
五平の魂が抜けた姿をみた長屋住民は、密かに口にした。
「『のっぺらぼう』がでた」
男どもも怖がって 調べてみようとしなかった。
「聞いたことあります?親分。」
「いや、ねえよ。随分遠い路地じゃねえか。」
甘味処「あめや」の前で清五郎と甚八が話していた。
「柳の下」といえば 男の足でも急いで半刻かかる。
『おいはぎ』にしては 襲われてもいない。
しかも めちゃくちゃに酔っ払っていたというのだ。
「何を出す店かも気になるぜ。」
数日経った夜 「その屋台」は現れた。
街からの帰りに遅くなった弥平は ふらっと立ち寄った。
「近所で噂を聞いてね。『のっぺらぼう』だってさ。」
「ほう」
主人は背中を向けて魚を支度している
「顔を思い出せないらしい。聞いても言わないんだよ。」
「へえ」
主人は包丁を手に忙しい
調理をまだ習ったばかりのような手つきだ
背の高い屋台の主人は 口をひらいた
「それは もしや『こんな顔』じゃないのかい?」
!?うわああああああああああああああああ!!!!
ほっかむりを外し 現れたのは 見たこともない顔だった。
金色の髪に白い肌 『ビードロ』のような緑色の瞳。
『美人画』に描かれた美人とは違う。
鼻が高く 理知的で、なにより、明るく元気がよかった。
「何にいたしましょう!」
「えええ!?えっとお、熱燗と田楽を一つ!」
「はいよ!」
女将はたどたどしい手つきで頑張って用意すると 弥平に差し出した。
「いかがでしょう!」
「あ!え・ええとお!お・おいしいです!すごく美味しいですね!!」
「お魚もあるんでいかがでしょう。」
「いただきます!どんどんお願いします!」
「あいよ!お酒もいかがです?」
「おねがいします!!!!」
料理はとても美味しかった。お酒は飲んだことのない味だった。
『ぎやまん』の瓶に入った舶来の酒だ。
強い酒だが、弥平は緊張と楽しさ、嬉しさでたくさん呑んだ。
「お客さんはこの辺なんですか?」
「は、はい!!少し離れた大川のそばに住んでて、ええとお、住んでます!」
「へえ!『あめや』っていう甘味処が有名ですよね。」
「ええええ!?『あめや』をご存知で!?」
男はよく知った店の名前を聞いて嬉しくなった。
「江戸でいちばんのあんころ餅です!おはぎも甘酒も美味しいですよ!」
「へえ!よし!今度行ってみましょう!」
女将は明るく応え、注文の品を出していった。
「どんどんください!」
「ありがとうございます!強い酒なんで、気をつけてくださいね!」
「あ!ありがとうございます!」
「はい、どうぞ!」
「いただきます!!!」
楽しい時間を過ごした。酒も料理も素晴らしかった。
「また来てくださいね!お店、閉めちゃいますけど大丈夫です?」
「あ、ありがとうございます!ちょ、ちょっと休んでいいですか?」
「もちろん!そこで良かったら横になっててくださいな!」
「はいっっっ!!!!」
主人は慣れない手つきで、頑張って店を片付けた。
「よし!初日からお客さんも来てくれたよ!一安心だね!」
夜が明けると 弥平は柳にもたれ 目を覚ました。
雀がちゅんちゅんと鳴いている。
巾着は空だった。それはそうだ。そりゃあそうだろう。
「みんなには絶対に内緒にしよう!」
弥平は 澄み切った朝の空気に響く爽やかな声で、固く誓った。
長屋に帰ると、強烈な頭痛に襲われた。
思った以上に呑んでしまった。
巾着も空っぽだ。
男は心ここに在らず そんな姿になった。
屋台の主人の顔は思い出せないという。
人相を尋ねると、ただただ驚いたと言い それ以上を口にしなかった。
長屋の住民は震え上がり、夜に出かけるのはよそうと誓った。
「弥平のやろう 『のっぺらぼう』に会っちまったらしい。」
「へええ!親分さん、一足遅かったね!」
「本当だ。まあ、怪我がなくて安心したよ。」
清五郎は気持ちを切り替えると、通りへと戻っていった。
「さてさて。『近くに開店するよ!』と言ってたけど楽しみだね!」
おはつは嬉しそうに呟くと また忙しく働き始めた。
おわり