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第18話 一大事


 ふわりと甘い香りが僕の鼻孔を撫ぜた。どれくらい僕は茫然としていたのだろう。亮市叔父が何か話をしてたようだけど、全く頭に入ってない。

 多分、数秒の出来事だと思うけれど、僕にとっては長い時間、走馬灯のような絵を見ていた気がする。


「光、どうした?」

「あ、先生。ううん、なんでも」


 言いながら、僕は異変に気付いた。いつも落ち着いてクールな先生の瞳が、どこか泳いでいる。


「ちょっと困ったことになった。急いで帰らないと」

「なにがあったの?」

「本家の祖父さんが、いよいよ危ないらしい」




 本家のお祖父さん(正直、もう亡くなっていると思ってた)、現在九十六歳で昨日まで普通に元気だったらしい。

 本家には、お祖父さんと次男さんの家族、それに家政婦さんが何人か同居している。次男さん一家ももちろん医療関係者だ。


「まあ、いつ何があってもおかしくはない年齢だけど……」


 庭を散歩しているときに倒れたとのことだ。すぐに家政婦さんが気付いて病院に運ばれたのだが。


「申し訳ない。さすがに帰らないと」

「もちろんだよ。僕のことはいいから」


 僕らは亮市叔父と伯母さんにおいとまをして、車に乗り込んだ。三日も二人で旅気分を味わえたんだ。天宮家当主の一大事に勝る出来事などそうないだろう。


 ――――それに、僕は……大切なことを思い出した。


「祖父さんが亡くなると、想像を絶する面倒なことが起こるんだよな。全く……」


 先生はそんな悪態を吐きながらも、ハンドルを持つ手が忙しなく動いている。珍しく動揺しているんだ。やっぱり、心配なんだろう。

 僕はシフトレバーに置かれた先生の手に自分の手を被せた。


「先生、大丈夫だよ。落ち着いて。みんなもう、お祖父さんのそばにいるよ」


 僕の手の下にある先生の指が、僕の指を絡めて握った。


「ありがとう。光がいるのに、安全運転しないとな」

「先生、僕の方こそごめん。無理にこんな遠出させて」

「いや。こんなこと、全く想像してなかったんだ。なんかこう、何百年も生きる妖怪みたいな祖父さんだったから」


 天宮先生から、家族の話を聞くことはほとんどなかった。最初の、養子になった話以外は。僕も自分からは聞きにくかった。

 その頃は自分に姉がいたとか、その姉が殺人事件に巻き込まれて殺されてたなんて知りもしないから。先生の方がずっと複雑な家庭に育ったのだと思っていたんだな。



「光。どうやらなにか、思い出したようだな」


 しばらく僕らはなぜか黙っていた。お互いの思考のなかで、お互いの問題を黙考していたのかもしれない。時々、指や手を触れあって、お互いの体温を確かめていた。


 そうして小一時間ほど、ようやく先生が口を開いた。その口調はいつも通りの落ち着いたもの。車内を包み込むようなピアノ曲のおかげか、自分らしさを取り戻していた。


「あ、うん。少し思い出したことがあってね。でも、今は話さずにいてもいいかな。先生を煩わせたくないし、もう少し、自分のなかではっきりさせたいから」


 天宮先生は、思い出したように眼鏡をサングラスにかけ替えた。ボンネットに反射する光が眩しかったのだろう。


「ありがとう。光に気を使われるとは、よほど慌てていたんだな。でも、そうしてもらっていいかな」

「もちろん」


 僕は再び、シフトレバーに置かれた先生の手に自分のを重ねる。もう一度二人で指を絡め、きゅっと強く握った。





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