第1話 八つ当たり
久しぶりにほとんど眠れず朝を迎えた。もちろんそれは不眠症とかそういう問題ではない。
自分がなぜ何も知らずに時を越えてきたのか、何故誰も教えてくれなかったのか、それをまんじりともせず考え続けたからだ。
「大丈夫か? 目が真っ赤だ」
朝、天宮先生が僕の頭を撫ぜながら自分の胸へと迎え入れた。いつもなら、きゅっとしがみつくところだけど、今朝はそういう気にもなれない。なんとなく、先生にも裏切られた気がして、僕は素直になれないんだ。
「眠れないのなんて慣れてるから……久々の頭痛が懐かしいよ」
だから、こんな荒ぶる気持ちを隠せなかった。
「そう怒るなよ。私もどう光に伝えるのが良いか、考えあぐねていたんだ。本当は普通に思い出して欲しかったんだけど」
そうはならなかった。何度か記憶の縁に手が届いたこともあったけれど、それを自ら拒否してしまった。
夢で聞いた声も、見た姿も、『みーちゃん』も、僕は深く考えることもなく、簡単に『ただの夢』と斬り捨ててしまった。
「多分、思い出したくないことだったんだね。暗示にかけられたのも、自分の気持ちとリンクしてたからこんなに継続したんだろう。それと多分、ご両親の気持ちでもあった」
「どうして……。姉はそんなに酷い死に方だったのかな。そりゃ、殺されたんだから……」
当時の記事によると、事件があったのは母の実家のあるH県T市。どうやら僕は、その事件までそこに住んでいたらしい。祖父母の家から車で数十分の場所。全く覚えがないけれど。
その頃、地域では空き巣や居抜き(夜中など、人がいる時間に盗みに入ること)が頻発していた。姉は、居抜きにやってきた泥棒に気が付き、声を上げようとしたところを殺されたのだとされていた。
『同室にいた弟(3歳)は寝ていて気付かず無事』
つまり僕は、隣で姉が殺されているのにぐっすり寝ていたらしい。3歳だから仕方ないとはいえ、正直自分を殴りたい。いや、下手に騒いだら、3歳児なんてあっという間に息の根止められるのか。
それでも……この事実に両親はなんと思っただろう。僕に腹を立てたんじゃないか。僕だけでも生きてて良かったって冷静に考えれば思うかもだけど。
両親はその後すぐ、現在のK県に転居した。周囲の好奇の目を避けるため、つまり、僕を守るためだ。そして、どうしてかわからないけれど、僕から姉の記憶を拭い去った。
――――僕だって、姉を亡くした苦しみや悲しみを、父さんや母さんと分かち合いたかった。なんで、僕だけを守るんだ。しかも、もうこんな大人になってるのに。
「でも、これと今回の不眠症、どう関係があるんだろう。先生はわかってるんじゃないの?」
なおも責めるような言い方を投げる。僕は酷い奴だな。ほとんど八つ当たりだよ。
「どうかな。確信はないよ、少なくとも」
少なくとも。では少しは思うところあるんだ。
「それを確かめるために、今日ご実家に伺うんだよ」
先生は再び僕を抱きしめる。日曜日の早朝、寝室の小さな窓から秋の朝日が入り込んでる。そんななかで二人シーツにくるまりながらいるのは、多分、もの凄く幸福なことなんだと思う。
けど、今はそんな幸福感に浸ることが出来なくて……とても損した気分になってる。
「そうだね。さっさと行こう」
僕は意を決して(そんな大袈裟でもないけど)、シーツを蹴飛ばしてむくりと起き上がった。先生の逞しい腕から抜け出す。
「あ、ああ。そうだね」
少しだけ残念そうな先生の声を背中に聞いて、僕はさっさとクローゼットに向かった。




