第11話 キスして
『先生は僕のこと患者として見てます?』
いつだったか、僕が先生に聞いたことだ。その時は、別に何かを期待したわけじゃなかった(と思う)。
下心とかも疑ったけど、本心ではマインドコントロールの実験でもするつもりかって思ったんだ。
『もちろん。それ以上でもそれ以下でもないよ』
けど、先生は間髪入れずにそう答えた。
「あれは嘘だったんですか?」
先生の腕の中で、僕は尋ねてみた。少し意地悪だったかもしれないけれど、実を言うと、僕はこの返しがずっと気になってたんだ。
だから、自分の気持ちを表面化させないよう気を付けてきた。
「ん? そうだねえ。あの時、間髪入れずに応えたろ?」
「ええ。だから……僕に興味なんかさらさらないんだなあって」
「いじけてた?」
先生の胸筋がふっと震えた。笑ってるのがわかる。
「そうですよ。いじけてました」
先生がいれば不眠から解放される。その気持ちよさが好意に挿げ替えられてるだけだ。そう思うことで自分の気持ちに蓋をしてた。
けど、よくよく考えてみると、返って先生の気持ちが気になっていって。これも計算だったのかな。
「あれはね。いずれそう聞かれるだろうと予想してたんだよ」
「予想ですか?」
「そう、その時の答えを用意していたからすぐに応じられた。まあ、即答ってのはそういうことだよ、大抵の場合。意図的に準備されたものの場合が多い」
「じゃあ……」
「まさか、光に興味津々だから放っておけない。とは言えないよね。光は未成年じゃないけど、セクハラぎりぎりだよ」
ううむ。確かに……。違う意味に取ってしまったかも。けど。
「僕に興味津々だったんだ」
「ああ、今もね。最初クリニックにやってきたときは、枯れ木みたいで。純粋に医者としてだったけど」
枯れ木……三笠と同じようなことを……。
「早く本来の若々しい君に戻してあげたいと思ったのは本当だ。でも、今はそれだけじゃない。光が夜、電話をかけてきたことがあったろ? 確かめたいって」
「ああ、はい。ここに来る決意をした日のことですね」
先生の声が僕の眠りのスイッチかどうか、確かめたかったんだ。結局、それは違うとわかったのだけど。
「あの電話。自分でもびっくりするほどドキドキしてね。説明しながらも、自分の言葉が頭に入ってこなくなった。それで……君への興味は医者としてだけじゃないと確信した」
――――多分僕は、もっと前だ。先生に電話しようとした時にはもう……この感情が芽生えていた。
きゅっと先生の腕に力が入った。思いも寄らない告白を聞いて、僕の心臓はまた跳躍してしまう。少し息苦しくなってふうと息を吐いた。
「ああ、ごめん……。私の話は余計だったね。今日はもうおやすみ。とてもいい感じに回復してるよ。もうすぐだよ」
「もうすぐ?」
「私がいなくても、眠りたいときに眠れるようになる」
「え……それは、でも」
「光。心配しなくていい。私は君にここに居て欲しいと思ってる」
先生は僕の目を見て笑みを作った。そうなんだ。僕は心配してしまった。不眠症が治癒したら、自分のアパートに戻らなくてはならない。それが嫌だって思ってしまった。
「君が言ったとおり。ずっとここに居てくれていいんだ。君の気がすむまで」
先生は僕の耳朶にキスをした。それが何を意味するか僕にも理解できた。僕は今の今まで、人に好意を持ったり、深く触れ合うことなく生きてきた。
男性はもちろん、女性を好きになることもなかったんだ。どういうわけか、それを避けることが安全だと思っていた。
けど、今はその怯えてた自分が嘘のように信じられないでいる。
「先生……キスして」
こんな大胆なことを発した自分に自分で驚く。でも、全く信じられる自分の気持ちのままだった。
「ん……」
天宮先生は僕の顎に右手をあてて持ち上げる。顔を少しずらし、ゆっくりと唇を重ねてくれた。
その柔らかで蕩けるような感覚に僕は身も心も委ねる。胸の奥で凝り固まっていた何かが解けていくのを感じた。




