第14話 催眠術
一泊分の荷物をボストンバックに詰めて、と言っても実家だからそれほど持っていくものはない。家や亮市叔父さんに渡すお土産の方が場所を取ってる。
亮市叔父さんは、今大阪にいるらしいので、東京土産は悪くないだろう。
「おはよう。いい天気で良かった」
赤坂にお住いの天宮先生。自宅まで迎えに来てもらうのは気が引けたので、僕の方が赤坂まで出向いた。先生は自宅を知られるのが嫌じゃなかったようだ。
――――まあ、そうだろうな。めっちゃ高級マンション。セキュリティーもしっかりしてそうだ。
「よろしくお願いします。予想通りというか、凄い車ですね」
「そう? まあ、リラックスして」
僕の待つマンション前の道路に現れたのは、国産高級車の黒いワンボックス。サングラスをした天宮先生は、楽しそうに口角を上げた。
ノーネクタイのストライプシャツ。腕まくりしたところから、思いの外逞しい二の腕が覗いていた。無駄にどきりとしてしまう。
車内はほのかに花の香りがした。クリニックと同じ? もしかすると、これ先生のオーデコロンか何かかも。
「この辺は赤坂でも住宅街だから、静かでいいだろ?」
「そうですね……まあ、高級住宅街」
隣接した公園や街路樹の緑のなかに、スタイリッシュな高層マンションが立ち並ぶ。見かけたスーパーは成城石田だった。まあ、さもありなん。
「地下鉄の駅までも歩いて15分くらいだし、便利だよ?」
「それ、もしかして勧誘してます?」
「あ、バレたか。あはは。まあ、考えてみてよ」
僕とルームシェアしようという話だ。それで、僕は安眠を得られるのだと。なら、天宮氏が得るものはなに? いや、三笠じゃないけど、ちょっとうすら寒い。
「あれから、やっぱり眠れてない?」
「そうですね……数分ウトウトというのを繰り返す感じです」
「そうか。実家までの道はわかるし、少し寝ればいいよ。今のその顔を見せるのは忍びない」
僕はどきりとする。今朝、洗顔時に頑張ってみたけど、やっぱりクマは取れなかった。
「そんなに簡単に眠れたら苦労しませんよ」
本当に先生といることで眠れると分かったら、それもまた恐ろしい。期待すると同時にさらに沼落ちしそうで怖い。
「それより先生。一つ聞きたいことが」
「なに? なんでも聞いて」
僕はこの日、絶対に聞こうと思っていたことがあった。
「先生は、僕に催眠術をかけて、なにか聞きだしたんじゃないですか?」
少しの間。先生がハンドルについているボタンの操作をした。のどかなクラシックがスピーカーから流れてきた。音が澄み切った川のように綺麗。どこか豪邸のサロンにいる感覚に陥る。
音楽にさほど興味のない僕ですら、スピーカーが高品質であることがわかった。
「心外だな。そんなこと、患者の承諾も受けずにやるわけない。というか。僕は催眠術なんて信用していないし、できないよ」
「本当ですか?」
返って来た言葉は、思った以上に重く感じた。本当に心外だったのか、ムッとしているのがわかった。先生がこんな負の感情を表すのを初めて見た気がする。




