第9話 二回目の診察
夜に診察と言われても、そういう特別な感じに甘えたくなかった。旨い具合に午後からの診察に行く時間が出来たので、僕はクリニックに向かった。もちろんちゃんと予約して。
「仕事終わり? スーツも似合うね」
なんて軽口を言われ、戸惑いながらもいつものソファーに腰かけた。脈を取るというので上着を横に畳んでおく。
「あれからどうかな。変わらない?」
先生は今日も白衣を着ていない。デスクの横にあるハンガーラックにかけたままだ。ブルーシャツに同系色のネクタイ、ベージュのボトムス。普通なんだけど、脚が長いからかすごくオシャレに見える。
脈を取られているのが嫌だ。心臓がどきどきしてないか気になった。
「はい。相変わらずです」
「まあ、そんなにすぐ眠れるようになるなら苦労はしないよな」
確かに……。それなら睡眠薬の一つも飲めば眠れるだろう。僕を眠らせるのは相当強力な薬が必要だよ。そんな薬に頼るようになるのはもっと怖い。
「あの、例のやつやりますか?」
例のやつ。あの、揺れるコインだ。天宮先生は、ん? といった表情、片方の口角だけひょいと上げた。
「やりたい? そうだね。でも少し待って。その前にもう少し話をしよう」
先生はそう言うと、看護師さんに頼んで紅茶を運ばせた。珈琲や紅茶はカフェインが入ってるから、ずっと飲んでないんだけど。
「デカフェ(ノンカフェ)だから心配ないよ。香りがいいだろう?」
「ああ、はい。それなら……」
確かに鼻に抜ける香りは花、バラかな? 甘くてホッとする。久しぶりに飲むからか、すごく美味しく感じた。
「そう言えば、今度実家に帰るんです。一泊か二泊ですけど」
リラックスしたからか、聞かれもしないのに、僕は話し始めた。先生はなにか質問したかったかもしれなかったけど、相談しようと決めていたことを、すぐにも話したくなった。
「ほお、久しぶりで?」
「会社に入る前ですから、まあ、半年ぶりかな。連休やお盆も帰らなかったので」
いつでも帰れる距離なので、逆に帰ろうとしなかった。あの頃はまだ、休み中には眠れていたからもある。ひたすら眠っていたのを覚えている。
「連休でもないのに、なにか理由があるの?」
「ああ、はい、それが……叔父が、結婚するっていうので」
なんだか親し気に話してる自分に驚いている。気を許したわけではないけど、脈を取られてる気恥ずかしさを誤魔化したいんだろうか。
「叔父様。結婚ということは、お若い方かな?」
「ええ。昔から知ってますけど、全然変わらない。一回りは上なんですけどね」
つらつらと舌が回る。お茶の香りでリラックスしたんだろうか。
――――なんか変だ。ふわふわしてる。
先生の切れ長の目が僕を見てる。見てるというか、観察してる。縁なし眼鏡の向こう側、よく見ると、まつ毛が長いな。
「大丈夫? 光君」
ひかる君? そういえば、どうして先生は僕のことを綾瀬と呼ばないんだろう。こういう病院だから、親しみを込めて下の名前で呼ぶのかな。前回も、なんとなく違和感を覚えてたんだ。
「どうして……」
「ん?」
「どうして……下の名前で?」
僕の記憶はそこで途絶えた。ふわりと視界が揺れる。覗き込む天宮先生の表情が、笑ったような気がした。