志は遂げたのかー天狗の今弁慶ー 9
敵本陣の奇襲に成功し高崎藩兵に勝ちはしたものの、俺はこの日から病にでも罹ったかのように身も心も重くなった。
俺はあの時すぐにお前の右腕を止血したが、どうしても血が止まらなかった。
亡き父に、痛いと言うのは武士の恥だと教えられたというお前は、代わりに熱い、熱いと唸っておったな。
介錯される直前、お前は俺にこう言った。
「全海さん、いままでお世話になりました。私の分まで生きて、どうか我々の志が成し遂げられるのを見届けてください」
俺は、無念で無念で仕方がなかった。
下仁田の戦いで我ら天狗党は高崎藩兵を三十人以上討ち取った。
生きて捕らえた者七人は、鏑川と南牧川の合流地点にある岩場で打首にした。
そのなかには、十代と思われる藩士もいたんだ。
十代の若い者たちを殺してまで続けるこの旅に大義などあるのだろうか。
我らは日本人同士で殺しあうために筑波山で挙兵したのか。
俺は下仁田を立ち、内山峠を越えて信濃に入り和田峠に辿り着くまでの道中、ずっと考えていたんだ。
下仁田からここまでは本当につまらない旅であった。
冬山を登りながら自問自答を繰り返した末に、俺は思ったんだ。
どんなに迷ってもこの旅は続けなきゃならない。
もしこの行軍が間違っているものだとしても、向かう先の京で慶喜様が我々を歓迎してくださらなくても、それでもこの足は止めちゃならない。
冬山で立ち止まったら凍え死ぬ。
国も同じなんじゃないか。
この国の問題を解決するために誰かが行動し続けなければ、いずれこの国は滅んでしまう。
桜田門、栃木宿、那珂湊、下仁田だけじゃない。
尊王攘夷の旗の下で、何人が犠牲になったかわからない。
だからこそ、その志を遂げるまで日本という国を守るために立ち止まっちゃならない。
丑之助よ、俺は、そう思ったよ。
だから、和田峠を下りた先に待ち構えている高島藩、松本藩の兵を蹴散らして、何としてでも京に上らねばならない。
志を遂げるために。