志は遂げたのかー天狗の今弁慶ー 8
大字村から京まで何百里あるか、想像もできなかった。
しかし、攘夷貫徹、この一事のためにのみ、ただただ西へと突き進むこととなった。
西上の道中、常に背後からは田沼意尊率いる幕府軍が、我々を追ってきていた。
下野、上野の平野を横断し、山国である信濃へ向けての旅はまるで、昇る朝日に追いたてられ、真上の太陽を友とし、沈む夕日を追いかける、そんな行軍であった。
俺にとって京へのこの旅は、お前のおかげで楽しいものとなった。
行軍が終わりこの国が平穏を取り戻したらお前は何を成したい、と問うたのを覚えておるか。
「戦場に置いてきたままの父上の遺骨をちゃんと供養したいです。それを終えたら、故郷にいる母上にどのような形であれ孝行できればそれで十分でございます。全海さんにはしたいことがあるのですか」
俺はな、丑之助。
俺は特にこれといってやりたいことはないんだ。
だが強いて言えば、空けてきた不動院で寺子屋を開いてみたい、かな。
そんな話をしながら、目の前に聳えるの刃紋のように見える山脈が徐々に近づいてきているのを確かめながら歩を進めた。
丑之助、お前が死なねばならなかった下仁田は、遠くに見えていた山並みがやっと手に届く間近まで来たところだった。
十一月十六日。その日はよく晴れた日だった。
前日の夕刻に到着した我々天狗党は、下仁田で一泊することとなった。
仲間の斥候によると、背後の幕府軍はおよそ一日遅れのところにいるという。
問題は幕府から我々天狗党を討つように命じられた諸藩の軍であった。
特に高崎藩の軍勢が執拗に我らを追撃してきていた。
未明、梅沢峠を越えて下仁田に入ってきた高崎藩兵の先陣が突如として砲撃してきた。
敵はみな甲冑を身に着け、火縄銃か十文字の槍を手にしていた。
その姿はまるで、三百年前の戦国時代の亡霊が目を覚まし我々に矛を向けるかのように見えた。
緒戦は銃、大砲の打ち合いが続いたが、槍の使い手が多い高崎藩兵は暫くすると白兵戦を仕掛けてくるようになった。
戦線が硬直しはじめたのを見た山国兵部様は、一計を案じた。
味方を三隊に分け、一隊を正面で敵の攻撃を防ぐのにあて、残りの二隊で敵本陣を奇襲する、という作戦であった。
そのため、味方の本陣を守る兵の数を減らされてしまったのだ。
そこにあの猛烈な敵の攻撃を食らってしまった。
高崎藩兵は、十文字の槍を持つ者が多かったが、なかに薙刀を振るって我々に突っ込んできた者が一人いた。
そやつは二十歳くらいに見えたが、金箔の甲冑を着ていた。
後になって分かったことだが、彼は高崎藩で知らない者はいないほどの強者だったらしい。
死に物狂いで迫ってくるそやつに丑之助、お前は本陣を守ろうと勇敢に挑みかかっていった。
別の敵兵を切り伏せたあと、お前の方を振り返った時、お前は……。
お前は、右腕をそやつに切り落とされる瞬間であった……。
俺がすぐにでも助けに入っていれば、お前は無念の自害などせずに済んだであろうに……。
俺が無力であったゆえに……。