志は遂げたのかー天狗の今弁慶ー 7
「全海さん、あなたにお託しした志はすでに遂げられたのでございましょうか」
丑之助か……。
まさかお前、野村丑之助ではないか……。
そうか、ようやっと分かった。
烈公も愿蔵もお前もみな他界して、もうすでにこの世にはいない者たちではないか。
ということは、俺はいま、幻を見ているということだな。
なあ、そうであろう、丑之助よ。
しかし、幻覚であろうとお前にもう一度会えたこと、俺は心の底からうれしく思うぞ。
幕府の追討軍に敗れ大字村まで落ち延びてきた際、武田耕雲斎様の小姓を務めていた十二のお前をはじめて見たときは、このような子供まで戦に参加していたことにひどく驚いたのを覚えている。
耕雲斎様は、もともと筑波勢とは別の隊を組織しており、我らとはいわば協力関係にすぎなかった。
だが、幕府軍と水戸諸生党の軍との戦いに敗れ、大字村まで共に落ち延びることとなった。
近江屋で耕雲斎様、兵部様、稲之衛門様、小四郎殿が今後の方針を談合しているとき、その隣の間で近侍は待機することとなりお前とは仲良くなった。
尊王攘夷を果たすために父と共に耕雲斎様に付き従い、那珂湊の戦で父が死ぬと、耕雲斎様の配慮で小姓を務めることとなったという経緯を話すお前は、まさに志士であった。
「夷敵から日の本を守るため、尊王攘夷の魁としてわたしたちは戦い抜かねばなりません。ここまで来たからにはわたしたちは一つとなり、幕吏の間違った考えを改めさせねばなりません。ですから、父上が亡くなったとて嘆いてばかりはおられぬのです」
こう言い放つお前をみて、俺は胸の奥が傷んだ。悲しかったのだ。
確かにお前の志は立派だ。
だがな、まだ年端のゆかぬお前を戦場に立たせてしまっていること自体が間違っているのではないかと俺は思ってしまったんだ。
大字村からは、それまで別の隊であった筑波勢と武田勢がひとつとなって行動を共にすることが決まった。
ここからの目的は、烈公の七男である徳川慶喜様がおわす京に上り、攘夷実行部隊として慶喜様のもとに馳せ参じる、というものであった。
それからの我々は正式に天狗党と名乗るようになった。