志は遂げたのかー天狗の今弁慶ー 6
挙句の果てには、お前らの悪行を罰するという名目で兵を挙げた、水戸藩の中でも我々と相反する思想を持つ諸生党と呼ばれる藩士たちと幕府の討伐軍を相手に戦をする羽目になってしまったではないか。
そう、那珂湊の戦争も、いうなればお前らがきっかけを作ったと言っても過言ではない。
七月、下妻での戦で我々に敗北した諸生党は、水戸城下にいる筑波勢の親類縁者を牢に投獄した。
我らはそれを救い出そうと水戸城奪取を図ったが失敗に終わり、那珂湊まで撤退せざるを得なくなった。
追い打ちをかけるように幕府の追討軍が、那珂湊に本陣を置いた筑波勢に迫ってきた。
一時は優位を保っていたものの、圧倒的な敵の数と沿岸からの艦砲射撃で、我々はさらに大字村まで落ち延びることとなった。
この戦の際、除名されたにも関わらずお前ら田中隊も別の戦場で幕府軍と戦っていたそうだな。
聞いたところによると田中隊は、夷敵から国を守るために築いた助川海防城に籠っていたが、幕府軍の猛攻に耐え切れず自ら城に火を放ち、八溝山まで退いたそうだな。
あくまで我々筑波勢は、お前らを仲間として認めたわけではなかったが……。
しかし今になって思うと、侵略してくる異人どもを追い払うために造った大砲や城が、国の内乱で使われることになろうとは、なんとも皮肉なことであったな。
そう、そして八溝山に立てこもった田中愿蔵、お前はその後、たしか……。
たしかお前は、そこから逃げ延びた先の村で捕縛され、十月十六日に久慈川の河原で処刑されたと聞いたぞ。
お前、まさか生きておったとはな。
悪運の強いやつめ。
これまで犯してきた己の悪行を反省し、我々天狗党の西上の旅についてゆきたくなったのか。
そうか。
栃木宿の放火、町民の殺害は決して許されることではない。
だが、悔い改める気があるのであれば、俺から武田耕雲斎様に話を通してやらぬでもないぞ。
……ん、どうした。
お前……、だんだん背丈が縮んできてはいないか。