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志は遂げたのかー天狗の今弁慶ー 4

 安政五年(1858)に大老に就任した井伊直弼は、アメリカと通商条約を結び、将軍跡継ぎを徳川家茂様に決めるなど、独裁を極めておりました。さらには、攘夷派や斉昭様の七男である一橋慶喜様を将軍に推挙した方々を処罰するという暴挙をなしたのでございます。

 斉昭様も永蟄居を命じられ、水戸に帰藩せざるを得なくなったのでございました。たいそう口惜しかったことであろうとお察しいたします。

 それ以来、水戸藩内では幕府の政治に不満を持つものが多くなりました。


 井伊直弼暗殺という事件が起きたのも、こうした流れのなかでは当然のことであったと私には思われます。

 水戸脱藩浪士十七名と薩摩藩士一名が江戸城桜田門で井伊直弼を襲撃し殺したという出来事は、我々草莽の者でも間違った方向へ進もうとしているこの国を正しい方角へと導くことができるという勇気を全国の志士に与えました。

 

 そうそう、やっと思いだしました。

 斉昭様が最後に私に会いに来てくださったのは、この事件の二か月後のことでございました。


 小松寺を出て独り立ちした私は、田野村の不動院で住職を務めておりました。敷地に植えた桜の花が散り始めた頃でございましたな。

 斉昭様は二人の若者をお連れになられ、桜の木の下で床几に座り酒盛りをしておいででした。


「これまで文武不岐をもって道を弘めよと藩士たちに教えてきた。組織も同じことよ。みな力を合わせて大望を成さねばならん。この二人は次世代の水戸藩、いや、日本国を背負って立つ者よ。大坊主、この二人の力になってくれ」


 髪が八分ほど白くなり以前お会いした時より瘦せ細ったようにお見えになられた斉昭様は、弱々しくも腹の底からこのようにおっしゃいました。


 一人の若者は、安政二年(1855)の江戸大地震で亡くなられた藤田東湖様の四男、藤田小四郎殿でございました。

 

 小四郎殿はこの三年後、筑波山にて尊王攘夷を掲げ同志を募り挙兵いたしました。私もこれにお加えいただいたのでございます。

 小四郎殿に導かれ集まった我々は、筑波勢、あるいは天狗党と呼ばれるようになったのでございます。


 水戸町奉行であった田丸稲之衛門様を総帥とし、前藩主烈公の御位牌を乗せた御輿を担ぎ宇都宮へ日光東照宮を参拝しに……。

 そうでございます。斉昭様は、最後に私に会いに来てくださった年の夏に亡くなられ、烈公という諡で呼ばれるようになっていたはず……。

 では、あなた様は一体……。


 どうなさったのですか。ご様子が変わって……。


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