志は遂げたのかー天狗の今弁慶ー 2
「小松寺の大坊主よ。すでに志は遂げたのか」
これはこれは、水戸藩主徳川斉昭様ではございませんか。このようなところでお会いいたしますとは、大変光栄にございます。
……はて、このようなところと申しましても、私少々気を失っておりましたようで、ここがどちらかいまひとつ思い出せない次第でして……。
いやはや、斉昭様とお会いいたしますのは、お久しぶりのことのような気がいたしまして、心底感激している次第でございます。
はて、いつ以来でしたでしょうか……。
はじめてお目にかかった日のことはよくよく覚えております。
あれは、天文十一年(1840)、小松寺の境内に植えられた白丁花が咲き始めた時分でしたので、梅雨の時期だったでしょうか。私が十七の時にございます。
私は幼い頃に両親と死に別れ、常陸国上入野村の小松寺にて住職高橋宥仁様に育てられたのでございますが、人一倍大きな体をもった私はこの体躯をいかに活用すればよいか、いかに人々のお役に立てるか思い悩みながら日々を過ごしておりました。
斉昭様は七年ぶりに江戸から水戸藩領へお戻りになられましたようで、周囲の村では斉昭様に関するある噂が流れておりました。
それは、領内の村落に斉昭様おひとりで馬駆けなされては百姓家に突然おこしになり、民百姓の暮らしぶりをご覧になる、という噂にございます。
まさか当山にもおいでなさるとは思いもかけぬことでしたので、唐門から境内にお入りになられた斉昭様を拝見いたしましたときは、大変驚きました。
小松寺に平重盛公のお墓があるとご存じだったのでしょう。その墓石に合掌されるお姿に私は、頼もしさと聡明さを兼ね備えていらっしゃるお方という印象をお受けいたしました。
こちらにお気づきになられた斉昭様は、私にこう声をかけてくださいました。
「そこの大きな坊主よ。逞しい体つきをしておるのお。坊主には不要なものと思っているやもしれぬが、将来必ずお前のような若者が水戸藩、いや、この日の本という国に必要となる日がやってくる。それまで鍛錬を欠かすでないぞ」
この時は何のことやらさっぱり分からなかったのでございますが、それからというもの私は境内の杉林で木刀の素振りをするのが日課となりました。
お言葉の意味が判然といたしましたのは、この三年後、次に斉昭様にお会いした時にございます。