麦茶の想い出 我が家の麦茶は、甘かった。えっそれって普通でしょ?
それにしても今年の夏は、暑かった…。漸く秋の足音が聴こえてきてホッとする。
でも「夏は暑いから、いい」そして「終わるから、いい」と聞く。
去りゆく夏があまり遠くなり過ぎないうちに、書き記しておきたい懐かしい風景がある。
避暑地でもある高原のここいらでは、夏の始まりを告げるのはヒグラシの声。そして季節の終わりもまた、ヒグラシが告げてくるのが通例だった。
だから、カナカナの蝉しぐれは懐かしい夏の記憶と強く、結びついている。
一日は、彼らのルーティンみたいな明け方薄暮の大合唱で始まる。
「誰か」が静まり返った林の中から、何かを突然思い出したみたいに第一声を上げる。
「カナッ!!カナカナッ!」
それを合図に、一斉にソコラじゅうのヒグラシが待ってましたとばかりに元気よく鳴きだす。
「カナカナカナカナ‥‥」「カナカナカナカナ‥‥」「カナカナカナカナ‥‥」
カとナを打ち間違えそうだ。
カナカナの大合唱は、数分の間続く。結構うるさいので大抵は目覚ましが鳴りだす前に起こされる。
でも暫くすると、誰かが指揮棒でも振ってんのか?ってくらい唐突に「シン!」となって、合唱は鳴りやむ。
薄闇の中でまだうつらうつらしながらそんな声を聴いて居ると、ぼんやり霞んだ頭の中、昔の夏の想い出が甦って来たりする・・・。
外の林から響く蝉の声がにぎやかな、夏休みの昼下がり。
母はパートに出ているから家には兄と二人。宿題やったりテレビ見たり絵を描いたりマンガ読んだり、おのおの自由。でも、プールやラジオ体操は毎日あるし近所の友達と遊ぶ約束もしたし、そうそう毎日のんべんだらりと過ごしてる訳でもなかったかな。
そういえばあの頃、学校の宿題 結構山盛りあったんだよなあ…。
夏休みの友だけじゃない、算数国語のドリル、漢字書き取り、アサガオの生育記録、読書感想文に絵日記に理科研究に工夫工作に…。
よくもまあ あんなに沢山出してくれたもんだな、って数えてみたらちょっと腹立ってきた。
午後の学校プールから片道20分歩いて戻ってくると、まだ日の高い時間だから流石に汗だくになっていた。
冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出して、グラスに注いでゴクゴクと一気に飲む。
少し甘くて、冷たくて。強い日差しの下さんざプールに浸かり遊んできた身体にしみわたる…。
へーッと一息つき、おもむろに居間のテレビと扇風機のスイッチを点け
「あ"あ"あ"あ"あ"あああ---wwwww」!
なんて、顔面に吹き付ける向かい風に汗を飛ばして貰いながら、悪ふざけをする。
時には兄と一緒になって「あ"あ"あ"あ"あ"あああ---wwwww」ってやって、どっちがより変な声か競い合って、笑ったりもした。
ん?って思った人もいるだろうか。そう。甘かったんだ、麦茶。
我が家の麦茶は、甘いのが普通だった。
夏の定番カルピスとかはそりゃあ美味しかったけど当時まだ贅沢品で、たま~に買ってきてくれてもそう沢山は飲めなかった。
その代わり、ヤカンで沸かした麦茶に少し砂糖を入れて甘くしたドリンクが、私達の定番だった。
冷蔵庫のポケットにはいつも、プラスチックのドリンクポットに冷えていた。
それは毎日留守番してる子供達への母の思いやり、だったろうと思う。
いつ頃からかそれは甘くないモノへと変わっていったが、私にとってはずっと、懐かしい夏の記憶だった。
この「甘い麦茶」のことを、上京したばかりの学生のとき、友人たちに話した事がある。
「この麦茶、甘くないんだねー?」
夏祭りか何かで無料配布されていた麦茶をみんなで飲んだ時だったかな~、何気なく口にした言葉だった。
「甘い麦茶?え~~~、そんなの飲んだことない!!!」
ってその場の友人全員に大層驚かれ、一斉に引かれた。
「えっ? え?」
その反応に私の方も酷く戸惑った。「え、甘い麦茶って普通じゃないの?」
「普通じゃないよー!初めて聞いた!」友人たちは口々に言った。
麦茶は甘くないのが普通なのか!?
って初めて知った、いわゆるカルチャーショックの瞬間だった。
それからしばらくして自分が家庭を持って、やかんで麦茶をつくるようになった。
子供の虫歯の心配もあるしお砂糖は、いれなかった。
甘い麦茶には、その後お目にかかったことはない。
でもやっぱり懐かしい、幼き日の夏の景色だ。
実は、これには後日談がある。
家庭を持ってしばらく経ち、夏休みに小学生の息子らを連れて実家に帰省していたとき。
台所のテーブルに置かれたおやつの茹でトウモロコシをプチプチとつまみ取りながら、
ふっと思い出して「そういえば麦茶、甘かったよね」って母に話しかけた。
「大人になってから友達にその話をしたらさあ、そんなのヘン!気持ち悪!って笑われたんだよ。普通だったよね?
抹茶だって紅茶だって甘いのがあるじゃん、麦茶が甘くたっておかしくないよねえ?」
母の肩を持ったつもりだった。
そのとき母は、まじめな顔でこう言った。
「ええ、甘い麦茶? そんなのヘン! 麦茶が甘いなんて、そんなの飲んだことないよ!
お母さんが作ったって?そんなわけないよ!!」
全力で、否定してきた。
「・・・・・・( ゜Д゜)!!!」
母は、まったく覚えていなかった。幼き日の夏の想い出。
貧しいころの、母の親心と思っていたあの甘い麦茶を。
昔から細かいことにあまりこだわらず、ぽやーんと明るい「オトボケ全開」な母だったが。
週一の休みしかないフルタイムパート勤め、家事育児仕事、とにかく私たちの生活を支え毎日やり繰りに
精一杯だったのだろうな…。(ありがとう、おかあさん。涙)
とはいえそれでもこの まさか過ぎる回答には私も「ぽっかーん」(゜Д゜)。
「うっそ、絶対甘かったよ!アタシ覚えてるもん!」
「そうだったっけ~~?お母さん 全然覚えてないや~~~!!」
って他人ごとみたいに宣い、カラカラと笑う母。
親子して「甘くない麦茶」を手に、しばらくの間 笑いこけたのだった。
夏の日の、上書きされた想い出。