第八話 現実
俺は考えた。どうしたら俺のこの貧弱な筋力を鍛えることができるのか。だが考えても何も思いつかない。海の底でもがいているように苦しく、何もつかめない。たとえいくら考えたっておそらく答えを捕まえることはできない。前提からしてまず問題がある。俺は現在七歳だ。そんなちびっこい俺がいくら筋トレをしたところで筋力など芽生えるはずもない。そこに無理があるのだ。
俺はガックリと肩を落として、当てもなく歩く。あの寝床に戻ろう。あそこなら安全性は確保できるはずだ。俺は自分の心の中を映し出したような足取りで元の場所に向かう。依然体の疲労は取れていない。そして今の場所がどこなのかもよく分かっていない。とりあえず『周辺探査』をうまく使って、水場まで戻って、そこから辿ろう。そう決めた。
結論から言って仕舞えばあの寝床はもう使うことはできなくなっていた。崩れていたのか。それはノーだ。たどり着くことができなかったのか。それもまたノーだ。正解はあの熊魔物の寝床が俺の目のつけた寝床だったのだ。
俺の目論見はうまく行った。『周辺探査』を用いて、水場に戻るまではうまくいき、そこからあの寝床までの方向もはっきりと覚えていた。だが何か強大な気配がその寝床から常にしているのだ。せっかく狼魔物を倒せたのにその仕打ちはない。これは何かの間違いだと思って確認しに行った。結末は想像通り。あの寝床にクークー寝ていたのはあの熊魔物そのものだった。大事にとっておいたデザートを誰かに取られてしまうような結末に俺は忸怩たる思いを隠せなかった。最も俺にそんな経験はないので想像ではある。遠い過去に母とそんなことをしていればいいなと思う。顔も覚えていない父と母に思いを馳せた。いかん。早くこの場から離れなければ。俺はいそいそとその場を離れようとした。
やはり俺は甘いし、抜けてるのだろう。前回の反省を生かすことができなかった。いや待て。俺が七歳と考えたらしょうがないことではないのだろうか。そう思う。俺はまた自分が風上にいることに気付いてしまった。あの熊は寝ているから気づかないだろうという希望的観測にすがった。正直そうであって欲しいと心の奥底から願った。
まあ現実はそううまくはいかないわけで。熊魔物は鼻をひくひくさせると、むくりと起き上がった。その様は小さい山がもこもこと隆起する様を彷彿とさせた。俺は前回と違って、多少緊張が薄れているのを感じた。死線をくぐったからだろう。恐怖というものに耐性が少しついたようだ。
俺はじっくりと敵を観察する。鍛え上げられた筋肉の周囲には無駄な脂肪を見てとることはできない。あるのは実戦で鍛え上げられた美しいとえる圧倒的な筋肉。毛の上からでも十分にわかる。そしてそれが躍動するたびに地響きが一つ起こる。それは俺の内臓を揺らし、胸の奥を鳴らす。想像以上に大きい。遠目で見たときにはそれほどの大きさを感じなかったが、いざ中距離で見てみるとその大きさに度肝を抜かれる。何せ踏み出した一歩が地響きとなるのだ。尋常ではない体重をお持ちだろう。七歳の俺と比べても何にもならないだろう。彼を人としたら俺は狼くらいの大きさだろうか。踏み潰せはしないが、力にものを言わせて、吹き飛ばすには十分の体重差だ。
俺はゴクリと生唾をのんだ。その圧力に俺は思わず気圧された。だが恐怖はあまり感じなかった。俺の危機察知能力と避ける能力は群を抜いている。相手の攻撃は当たらないだろう。ならば恐れることはない。俺の攻撃も通らないだろうが、俺が死ぬことはないのだから。
熊魔物はじっくりとこちらを見ている。その目はその巨体に似合わず、小さくくりくりだ。可愛いと言ってしまってもいいかもしれない。そんなことを見てられるほど俺は余裕を持っていた。奴から感じる気配は強大だ。だけど余裕をもてた。
熊魔物は前回と同様鼻を一つ馬鹿にしたようにフンと鳴らすとまた眠りについた。なんだかイラッとした。前回は全く歯が立たないと思ったのでそのまま逃げたが、今の俺はそんなに弱くない。あの馬鹿にされたような行動に俺は憤懣やるかたなしと言ったていで俺はズンズン熊の方に近づいた。さっきまで逃げようとしていた人間の行動ではないと俺も思ったが、だがここまでされて逃げるほど俺は人間できていない。熊は首だけをこちらに向けている。体は全くこちらを向けていない。どこまでも舐められている。
今彼我との距離は声をはらなくても声が届くほどだろうか。相変わらず熊魔物はこちらに最大限の警戒をしない。顔だけはこちらに向けて、何か面白いことでもしてくれるのかい?みたいな顔をしている。
その顔今から歪ませてやるぜ。俺は刀を抜いた。いや抜こうとした。その瞬間俺の危機察知能力全てが俺に警鐘を鳴らした。
今すぐガードしろ
俺は攻撃しようと思っていた刀を急いで顔の近くに持ってきてガードした。正直『周辺探査』でも俺の目でも何も捉えられなかった。だけど俺は冗談じゃなく吹っ飛んだ。何が起こったかすら判別できなかった。