第一話 出会い
「おい見ろよ!こんなところにうまそうなガキがいるぜ」
「おいマジじゃねぇか」
俺の耳に下卑た声がこだまする。その声はがさがさに割れていてひどく聞きづらい。いっそ耳障りと言ったほうが良いくらいの気持ちの悪い声だ。
だが俺はその声にもう飽き飽きしていた。これを聞くのは何度目だかもう数えていない。似たようなセリフを何度も聞いたし、似たような声を何度も聞いた。もうなんの感情も浮かび上がってこない。
それは流れ作業に似ている。右から左にパンにクリームを入れているおばさんはきっともう何も考えていない。人間、やりすぎたり聞きすぎたりするものにはもう何の感傷も感慨も感情も抱かないのだ。あるのは無のみだ。
その異形達は嬉しそうな笑みをたたえて、俺に飛びかかってくる。その顔だけは俺と同じ人間とそっくりだ。ああ別に同じ顔をしているわけではない。彼らの顔は醜悪そのものだ。パグのような顔とでも言おうか。いやでもパグは可愛い。こいつらにはひとかけらも可愛さは感じない。醜悪。そうとしか形容できない顔なのだ。得てして顔を表現することは難しい。誰々に似ているとしか言いようがないのだ。その理論を受け継ぐとパグから可愛さを抜いた顔というのが最も正確なのかもしれない。
だがその顔に張り付いた笑みは俺のよく知る人間が浮かべていた笑みと似ている。この笑みを見ると俺はハラワタが煮え繰り返る。俺を殺そうとしたあの男達のあの笑みにそっくりなのだ。
「今日はマジでついているぜ」
襲いかかってくる異形どもの匂いが鼻についた時、俺は動いた。彼らには何が起こったかわからなかっただろう。彼ら如きでは俺の剣閃を見ることはできない。まだ彼らは生きている気でいるのだろう。幸福なことだ。痛みを感じずに死ねるのだから。すでに収まっている刀の鞘を気にする。この刀だけが唯一俺の生きている証で、俺が人間でいる証なのだ。そっとその鞘を撫でる。ほんのりと温かい気がした。
異形達は声を発することもなくパックリと中心から割れた。いつもの光景だから俺はそれをきちんと見ることもなくそこを後にした。
俺はこのサラ王国で生を受けた。人類の最前線にして、人類の最終防衛地点であるこのサラ王国にだ。俺もそう知識があるわけではないから詳しいことはわからないが、そういうことらしい。悪魔と人間の戦争はもう千年近く行っているらしい。だが人間側に勝ち目なんてさらさらなかった。みるみるうちに攻め込まれ、残るはこのサラ王国だけになってしまった。だがこの王国はその魔法力の高さで五百年もこのサラ王国だけで持ち堪えた。サラ王国の周囲には一切悪魔を寄せ付けない強力な結界が配置された。以来この王国に悪魔が侵入したことはない。その弊害として、というか当たり前の帰結として魔法力重視の風習が生まれ始めた。そりゃ当たり前だ。魔法ができなければ悪魔にここまで対抗することはできなかっただから。魔法を神格化する連中も出てきた。だがこの魔法というものも曲者でこれはほとんどが才能で決まってしまうのだ。そして血筋によってその才能もある程度決定されてしまう。
こうなったらモウ起こることは容易に想像がつく。血統重視の貴族制度が蔓延り始めたのだ。だがこれも仕方ない一定の成果を上げていたのは事実だ。始まったのは俺のような劣等者を狩ることだ。劣等者狩りと呼ばれるこれは激しく、俺は容易に捕まった。当時俺が幼かったのもある。大人は即処刑なんだが、子供は稀に十歳くらいの時に才能を獲得する可能性があるから施設にぶち込まれる。
俺も例に漏れずそこに入れられた。俺も終わりかと思ったんだが、そこで仲の良い友達ができた。アイだ。同室だったこいつと俺は仲良くなった。この友達を得ることができたことだけがこの施設に入った唯一のメリットと言っていい。飯は一日一食、部屋は汚い、トイレも汚い。管理人の暴力も当たり前のようにあった。子供達はバタバタと死んでいった。俺たちはがんばった。管理人室に忍び込み、食事を盗んだりして、何とか飢えを凌いだりした。おしくらまんじゅうをして、一緒に暖をとったりした。
厳しい状況だからこそだろう。俺たちは運命共同体だと感じるほどの結びつきを得た。
ただそんな苦しくも一片の楽しさのある時はすぐに終わりを迎える。得てしてそういうものだ。楽しい時はすぐに過ぎるし、すぐに嫌になる。
研究者のような装いの人間が俺たちの部屋に訪れた。俺たちは身を寄せ合いそれぞれがそれぞれを守り合った。
「喜びたまえ。君たちは実験の対象に選ばれた」
その男は仰々しそうに手をうった。俺達はそれを怪訝な目でみた。俺たちにはまだ理解できるような歳ではなかったし、この頃には大人の言うことなどモウ信じられなかった。
ただここで口を出すと殴られることはみんな知っていたので誰も一言も喋らなかった。
「だが残念なことにこの実験は今のところ一人しかできないのだよ。生憎この部屋には二人いる」
そう言ってニタニタと人の悪い笑みを浮かべる。
「適当に話し合って一人を決めなさいと言ってもいいんだ。そっちの方が人間の醜さが見られて、とても楽しい。だが私は研究者なもので実験の成功率は1%でも上げておきたい」
彼は懐から計測機器のようなものを取り出した。
「これは潜在魔力値を測る装置だ。この装置の計測値が低い奴には実験を受けさせられん」
彼は乱暴に俺らの額にこの計測機を押し当て始めた。ピリッとした鋭い痛みが額を襲うが、大したことはなかった。殴られる痛みに比べればなんてことはない。誰も悲鳴も上げずにやり過ごした。
「はははは、これは愉快だ!!潜在魔力が一万を越える子とゼロの奴がいるとは!」
俺らには何のことだかさっぱりだった。だが俺らのうち一人だけが仲間外れにされることだけは何となくわかった。
「魔力値ゼロはこれから先も魔法を使えるようになることは絶対にない。だからこれはもう結界の外に捨てていいぞ」
指差されたのは俺だった。
「その子は連れていけ、才能ありだ。クククこれはサラ王国の歴史が塗り変わるぞ…」
「やだセンも連れてって!!」
アイがそう叫ぶ。俺たちはこの施設内に置いていつでも一緒だった。離れ離れになることは体を割かれることに等しい思いをすることだった。
だが現実は非情だった。
「それは無理な相談だ」
取りつく島もなく、俺とアイは引き剥がされた。アイは担がれて、施設の奥へ、俺は施設の外へ連れて行かれた。
「必ず助けに行くからね!!」
アイがそう叫んだ。俺はその言葉だけで十分だった。俺はもがくこともなく、運ばれるままにした。抵抗しても仕方のないことはもうとっくにわかっていた。