銀色のロープ
月の原でうたた寝をしていた銀兎は、寝返りをうったとたんにコロンと転がった。
そして黄金色の月光草を左右に分けてコロコロと転がって、ポォンと夜空に飛び出した。
機織りをしていた織り姫が、新月の暗い夜空に転がる銀兎に気づいた。
あわてて助けようと両手を伸ばしたけれど、コロコロ転がる銀兎は流れ星よりも速くて、あっという間に流れて、つかまえることが出来なかった。
銀兎が月から落っこちた知らせは、たちまち月兎たちに届いた。
十二兎いるはずの月兎が、一兎欠けてしまった…
残された十一兎は、月の原の真ん中にある十六夜の塔に集まった。
それぞれの名札がついた席についた。
最初に一番年長の月兎、白兎が話し始めた。
「さて、みんな。どうしよう?」
「どうしようって、きっと銀兎はおつとめを怠けてたんだよ」
五番目の月兎、弦兎が意地悪く言った。
「そうだよ、あいつは小さいのを良いことに、いつも遊んでばかりだ!」
八番目の月兎、夜兎が怒って言った。
「…それなのに、主様は銀兎がお気に入りなの…」
悲しそうに言った十一番目の月兎の月影は、ついには大声で泣き出してしまった。
白兎は泣き続ける月影を優しく慰めながら、このことを主様に知らせるべきか考え込んでいた。
だけれど主様は忙しい。今夜も天の川の果てまで出かけている。
はてさて、困ったものだ……。
月兎たちが銀兎のことを心配している頃、当の本人はコロコロ転がりながら夢を見ていた。
大好きな主様の周りをコロコロ転がる夢で、とても楽しそうな主様を見て嬉しくなった銀兎は、もっと上手に転がれるように小さな体をさらに丸めた。
そんな調子でどんどん転がって、ついには遠く離れた星に落ちてしまった。
ぽちゃん……
その時、銀兎の体は水たまりに沈んだ。
ブクブクブク……
銀兎はハッと目を覚まし、あわてて水面に顔を出した。
うっすらとした靄の向こうから、満月より眩しい光が差している。見たこともない光に銀兎は目を細めた。
「……どうしちゃったんだろう、ボク。さっきまで月の原で月番をしてたのに」
辺りには黄金色の月光草はなく、濃い緑の草がみっしり生えている。草をつたって水たまりから上がると、フルっと体を振って水を飛ばした。
フルっ、フルルル……と、何度繰り返しても、銀兎の毛皮は水を吸ったまま、ぺとりと体にはりついた。
「おーい」銀兎は仲間を呼んだ。
「おーい。月の兎、月の兎、ボクの周りに集まって、満月を歌おう!」
耳を澄ましても、誰からも返事がない。心細くなった銀兎は、もう一度みんなを呼んだ。
「みんな、出てこい! 朔の月に灯りを持って、みんなで踊ろう!」
おーい、おーい…… だんだん声が小さくかすれて消えた。
「朝から喧しいのは誰けろ?」
水たまりから大きな黄色の目のカエルが、銀兎に声をかけた。
「ボクは月兎、月に帰りたいんだ」
「ツキっておいしいものけろ?」
「違うよ! 月は白い光で輝くんだよ!」
「けろろろ、それなら、あっちの森で見たけろ」
銀兎は濡れた体を引きずりながら、カエルの言った森の奥に来た。森は薄暗くて、コケや枯葉の匂いがした。
「こんなトコに月があるのかな……」
月は月光草の甘やかな香りがしてた。ここの古びた匂いに、銀兎は不安になった。
その時、小さな光がフワッと目の前を横切った。
「あっ、待って!」
その声が届いたようで、小さな光は落ち葉のようにフラフラと、銀兎の手のひらに落ちた。
「オイラを呼んだのは、あんたかい?」
銀兎に応えたのはホタルだった。その小さな光は、少しだけ月の光に似ていたが、あまりにも小さすぎた。
「この森で白く光る月があるって聞いたんだ」
「月って? この森で光るのはオイラだけさ」
「月じゃないって……、間違えたんだボク。ごめん、ごめんね」
銀兎はホタルに繰り返し、最後にはシクシクと泣き出した。
ホタルは銀兎の涙に見向きもしないで、森の奥へ飛んで行った。小さな光はあっという間に、森に飲み込まれた。
何の手がかりも無いまま、銀兎は森をさまよった。
歩き続けた足は腫れて、耳は折れている。体は乾いたけど、顔は涙でぐっしょりだった。
「そこで泣いてるのは、だぁれ?」
声がした方を見上げると、ツバメが小枝にとまっていた。
「ボクは銀兎、十二番目の月兎だよ」
「ふーん、でもさ、月兎は月にいるもんだろ? きみってホントに月兎なの?」
濡れてみすぼらしくなった姿を見たツバメは、銀兎の言うことを信じてくれなかった。
「ホントに、ホントだよ! だって、さっきまで月の原にいたんだもの……!」
「でもキミさ、空をごらんよ。月はすっかり消えてしまったよ!」
月が消えるなんて……、ツバメの言う通り、見上げた空は青く澄んでいて、さっきよりもっと眩しい光が輝いていた。
ツバメは動かなくなった銀兎に興味を失くすと、スイッと翼を広げた。気持ち良さそうに風に乗り、クルンと宙返りをして飛んで行った。
その先には青々とした麦畑が続いていた。若い稲穂は青々としてスクッと空に向かっている。
そこには、たくさんのツバメが飛んでいた。ツバメが仲間と一緒にクルンと宙返りをすると、銀兎には話しかけて来たツバメが分らなくなった。
仲間と空を飛ぶツバメたちは楽しそうだ。二股に分かれた尾羽をピンと立てて麦畑を高く低く舞っている。
ボクだって仲間がいるんだ。でも、ひとりは寂しい、悲しいよぅ……
ホントだったらみんなと主様の帰りを待っているのに。そして主様は、名前を呼んで頭を撫でてくれる。
みんなに会いたいよう、ひとりぽっちはイヤだよう……。
「ボク、はやく戻らなきゃ」声に出して言ってみる。
そうすれば、みんなに聞こえるよね……
こんな所まで迷ってしまって、きっとまた怒られちゃう……
それでも銀兎は、自分の知ってる場所に戻りたかった。
闇色の空、足下には月の光、頭上の星は静かに瞬く……自分の場所に。
月兎たちは銀兎の行方を尋ねてまわり、ついに織姫星にたどり着いた。
「月兎さんは、あちらに飛んで行ったわ」
織姫星が指差した先には、蒼い水晶のような翡翠星があった。しかし、星は遠過ぎて銀兎を探せない。
「きっと、今ごろ、ひとりで泣いているよ」
月影はまた泣き始めた。今度は残された月兎みんなが、月影の周りに集まって丸くなった。
月の兎は十二兎がそろって「月兎」だ。
甘えっ子で頼りない銀兎でも、欠ければ満月の来ない月のようなもの。
そして銀兎は、とても寂しがりやで、ひとりぽっちが大嫌い。このままだと、自分の涙に溺れてしまうに決まってる。
「そうだ!銀トンボのトーミさんに頼もう!」白兎が言った。
銀トンボのトーミさんは銀河の果てまで見渡せる『遠見鏡』を持っているのだ。そのことを思い出した。
そうだ、そうだと、月兎たちは口々に言ってトーミさんのいる丘に向かった。
丘は月待草の花がたくさん咲いていた。月兎たちは蒼い花の間を一列になって登って行った。丘のてっぺんにあるやどり木に、ちょこんと翅を休めているトーミさんを見つけた。
白兎はぴょんと跳ねて、やどり木の下から声をかけた。
「トーミさん、トーミさん、お願い!」
「おお、月兎ども、そろって何を騒いでおる?」
「翡翠星に落ちた銀兎を探して欲しいんです」
「なに、翡翠星だって? そんな遠くに落ちたら、生きておらんじゃろ」
「そ、そんなぁ……」
トーミさんの言葉にガックリした白兎は、うつむいて言葉を失った。その時、白兎の後ろにかくれていた月影がピョコンと前に出て言った。
「大丈夫だよ! 銀兎は跳ねるのが一番上手だ。きっと上手に着地してるよ」
白兎の腕をギュッとつかんだ月影の目は真っ赤だけど、もう泣いてはいない。
それを見たトーミさんは、ゴホンとせき払いをひとつして自慢の『遠見鏡』をのぞいた。
「ンムムム、翡翠星は遠いからのう。ちょいと待つのじゃ」
虹色の光を放つ遠見鏡は、トーミさんの目の動きに合わせてクルクル回る。その動きに合わせて月兎たちも伸びたり、縮んだりしている。
その様子を見た織姫星がクスッと笑うと、天の川がキラキラ輝いた。
「おお、見えたぞ。今宵の翡翠星は雲ひとつ無い、よぉくみえる」
月兎たちは両耳をピンと立てて、トーミさんの言葉を待った。22本の耳は高さの違うアンテナみたいだ。
「ふーむふむふむ、おや、秋津島に銀色の光が見える……」
「銀兎だっ!!」
月兎たちは声をそろえて叫んだ。彼らは銀兎の光に呼びかけるように銀色に輝いた。
その時、麦畑で空を見上げていた銀兎は、青空の中に白く浮かぶ月を見つけた。
ツバメは消えたと言ったが、確かに明るい空にも月はあった。
白い月には海の影が見えるのに、とても遠くて銀兎が跳ねるのが得意でも届かなかった。
見えるのに帰れなくて、いっそう寂しさが募った。
「おーい、おぉーい、ボク、ここだよ! ここにいるよ! ここにいるのに…」
銀兎が月に向かって、大声で呼びかけた。すると、それに応えが帰ってきた。
「おーい、おおーーーーい、銀兎ぉ、こっちだよぉ!」
「みんなだ!」
自分の名前を呼ぶ声に、心が跳ねた。声のする方に行くと、豆粒にしか見えなかった月が、大きく近くなっていた。
月からは銀色のロープが続いていた。よく見ると、月兎たちが手をつないで月から垂れ下がっていた。
涙でくしゃくしゃになった銀兎は、一目散に仲間のもとへ跳んだ。
「み、みんな、来てくれたんだ!探してくれたんだ……!」
ぺちゃんこだった心が、満月のようにふっくらした。
「ほら、銀兎、早くつかまって!」
いち、にい、さんっと、力いっぱい跳び上がると、思いっきり体を伸ばして白兎の手をつかんだ。
銀毛の十二兎がつながった月兎のロープ。
月のブランコのように、ゆやんゆよん揺れると、するすると短くなって月の影に消えた。
その晩の月は、ひときわ明るく輝いた。
そして麦畑のツバメたちは、昼間のように明るく輝く月明かりの中で、クルンと宙返りをした。