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頭に孕んだ疼痛で目覚めた。
最悪な気分だ。腹の中に蛇でも潜んでんのかってくらい、胃が暴れ回っている。
胸の奥からせり上がってくる吐き気を抑えると、口が不自然に膨らんで「うぷっ」と空気を漏らした。これじゃ、デキの悪い風船だ。
「起きたか。あー、待て待て吐くな吐くな!」
「任務、了解……! おろろろろろ!」
「ぎゃあああ! やりやがったなァアァア! 何を了解したんだよ、アンタは!」
「やっちまったんだぜろろろろろ!!」
ゼルノの静止もむなしく、オレは異世界に来て通算二度目の嘔吐を成し遂げた。プレステだったら実績解除されてるぞ。
そうして数分後。
「大変申し訳ございません。でも、アルコールが化け物の酒飲ませたのはあなたですよね?」
埃だらけのベッドを毒々しく染め上げ、ゼルノにブツブツと文句を言われたあと、オレはそう深々と頭を下げたのだった。『勇』を失ったな……。
二日酔いだ。ぐわんぐわんと脳が絶え間なく揺れている。
「……アンタって案外ふてぶてしいな」
まあいい、とゼルノは苦々しげに吐き捨てた。
……居心地が悪い。
ゼルノの態度のせいじゃなく、シンプルに彼の家が汚かったのである。
朝の潔白な空気が、部屋の内装を浮かび上がらせる。
浮遊する埃が、キラキラと陽光を反射して、大変汚らしい。
蔵書らしき本が部屋の隅で積み重なっている。
石畳に、高級だろうラグが敷かれているけど、表面が灰色に近かった。……なるほど、ここ最近だけでは作られないレベル。積年のものか。
「すてきな汚部屋ですね」
「わかるか?」と、発音通りに言葉を受け取り、ゼルノはにっこり笑った。
美しきかな日本語。
やっぱり便利、ボクの軽薄な誉め言葉……♡
建前と本音、両方の性質を併せ持つ……♡
「よくぞ来たな、錬金術の深奥に」
「……運び込まれたっていうか」
「雰囲気重視しろよ」
錬金術師。言われてみれば、ゼルノの恰好はファンタジーにおける研究者じみている。
嘆息をこぼし、渋面をつくった彼が顔を覗き込んでくる。
「体調に異常は?」
「ありまくりです。頭痛と吐き気、眩暈にサイレン」
「問題なしか……上々だ」
「話聞いてましたぁ?」
オレの抗議は華麗にスルーされた。
ゼルノが、部屋の脇にある水瓶から、コップ一杯分すくって渡してきた。
「水でも飲んでろ」
「…………」
「死ぬほど安心するんだな、毒は入ってねー」
「いや、バッチそうで腹壊さないかと」
「壊さねーよ、若いだろうが」
渋々口に運ぶ。
あ、おいしい。ミネラル豊富だ。まるで水のような喉越し。
「うめーだろ。鉱山の近くを流れる川ってのは、毒素をうまいこと除けば絶品なんだよ」
「へ~……親切にもありがとうございます」
「なに、対価はいただいたしな」
言って、彼の笑みが歪んだ。
不穏な響きが、オレの背筋を粟立たせる。
対価って、この男、なにをした……?
オレは自身のあちこちをまさぐり、異常がないか検めた。
「アンタ、変な勘違いをしてるぞ。別に身体はイジってねーよ」
「錬金術でオレ、ホムンクルスに……?」
創作の世界では、錬金術と『人造人間』はセットがセオリー。
「──アンタ、何処でそれを聞いた?」
明らかに、男の纏う雰囲気が変わっていた。
初めて顔を合わせたときに感じた威圧感。
逆鱗に触れた、と本能が理解した。
理性が意識を急速に冷却していく。
二日酔いで鈍化していた思考が息を吹き返す。
知らず、気を許していた。ゼルノ、錬金術師。介抱されただけで、オレはこの人のなにひとつを知らないのだ。
「へ、どういうことですか?」
「恍けるな、確かに聞いたぞ。〝ホムンクルス〟ってよ」
へつらった笑みを圧殺し、彼は重たい息を吐いた。
「もう一度訊くぞ、何処で聞いた?」
質問はすでに、拷問に変わっていた。
厳しい眼差しは、如何な嘘も許さない糾弾の光を帯びている。
前世で、と素直に白状しても鵜呑みにしてもらえるかどうか。
「……故郷で、です」
「何処だ、そりゃあ」
「日本……」
無様に声が地を這う。
そうして声を絞り出したところで、オレの肩を委縮させていた威圧感が嘘みたいに失せた。
キマりの悪い顔で、ゼルノが伸ばしっぱなしの髪をボリボリ掻いている。
急に恐怖が氷解して、オレは暗闇に放り込まれた気分だ。
「白か黒かで言やぁ、白寄りの灰色か……」
「へ……?」
「アンタの嘘、魔法で見抜けるんだよ」
ほれ、と彼が手元で懐中時計みたいな計器を弄んでいる。
メーターは一本の針で両極端に振れる仕組みのようだ。
(嘘発見器、か?)
茫然と、針が揺れるのを眺めた。
簡素な造りだ。
交易所の事務員さんが装着した丸眼鏡に似ている。
「悪かったな、脅すような真似して」
「は、はは……」
「けど今後気を付けてくれ。それは、錬金術界では限りなく〝禁忌〟に近い存在だ。たとえ内容を知っても知らずとも関係ねー。呟けば学会が全霊でアンタを処断する」
乾いた声が出た。とんでもない言論弾圧を見た。
(これからは口に気を付けよう……!)
戒めて、ゼルノに向き直る。
彼は目の縁に隈の浮かんだ視線で、オレのドリルを見つめた。
「アンタの腕、一晩かけて調べたんだが……」
勝手に調べたのか。
「まあ、この際オレの意思は置いときますよ」
「さっぱりだ。まるでわからねえ」
「え? 錬金術師なのに?」
「……煽ってんのか」
「いえいえいえいえ滅相もない」
ドリルもいっしょに回転せんばかりに首を振った。
「ともかくそういうこった。ソイツは壊れないし外れない。魔法も錬金術も効かない。どんな薬品にも反応を示さず、微動だにしねー。わかんねーことがわかった」
「え、錬金術で作られた道具じゃないんですか、これ」
「ちげーな。こっちが聞きたいくらいだ。どうやってそれを作った?」
「ええと、ダンジョンで目覚めたら腕についてたとしか……」
呪われていたとも言う。
彼はじっと嘘発見器を眺める。
うわ、信用されてねえ。
「ダンジョンか……そういや、どういう経緯で此処にきたんだ?」
掻い摘んで、昨日から今日までのあらましを話す。
念のため、自分が一度死んだことは伏せて。
「なるほど。明日もわからない身か。道理で、町を駆けずり回って食い扶持を探すわけだ」
納得、と他人事みたいに頷くゼルノ。
実際他人事なのだけど、なんだか後味の悪い。
「それにしても、錬金術の観点からでも謎なのか……世情に疎いけど、錬金術なら解明できるかもって思ってました」
「まあ、物質の探求や魔法的な解剖は専門としてるが……まだ人類が到達できない場所もあるってことだ。日々邁進、魔法は地道に進歩していくわけよな」
おお、なんか研究者っぽい台詞だ。
感激で「お~」って声が漏れた。
調子を良くした彼は、 胸を張って声を大きくする。
「そこで、だ。俺は錬金術師としてソイツに名前を付けることにした」
急に話題が飛躍した。
まあ、確かに……陰陽師でも『不可解な現象』に名前を付けることで、魂魄を括って怨霊の実体を捉える、みたいな手段があった。
名前があるのとないのとじゃ、認識に差が出る。
その道の専門家が名付けるんだ。きっと適した名前をつけてくれるに違いない。
ごくり、と喉が鳴った。
錬金術師ゼルノは、オレのドリルに指を突き付けると、決め顔でこう言う。
「〝魔造未踏呪怪機〟」
「断る。オレは帰らせてもらいます」
なんだその城之内ファイヤーみたいなの。ダサすぎ。それで表参道歩いてみろ、死ぬぜ?
「待て待て待て。なら、アンタはどう呼ぶんだ」
「どうって……ドリル?」
「怒罹流、なるほど、いい名前だ」
「イントネーションおかしくありませんでした?」
ヤンキーの当て字みたいな発音してましたけど。
「ドリルです、ドリル」と訂正した。
一時期はランスとドリルで迷走したけど、ドリルの方がしっくりくる。
「なんにせよ、ウチの設備じゃそこまでが限界だ」
口惜し気に肩をすくめる。
「別の施設なら、あるいは……ってことですか?」
「まーな。だが、それでバカ正直に錬金術の総本山にあたってみろ。アンタ、瞬く間にモルモットだぞ。あの老獪共、他者を研究のために平気で貪るからな。錬金術師ってのは、自分の知識欲を解放する捌け口を求めてさ迷う化け物だからな」
「ひぇっ」
異世界に人権はないのか? いや、ある(反語)。
「ゼルノさんの知り合いに、適任とかいないんですか?」
「アンタ、俺が錬金術師としての格が低いって言ってんのか?」
「い、いや」と言葉を濁す。基準がないからわからない。
すると、ゼルノは寂しげに笑みを薄めた。
「まあ実際、実の娘に追い抜かれたしな……」
「え、ゼルノさんおいくつ」
「ざっと40。娘は16」
思ったより若かった。
しかし、娘さんのが錬金術に精通してるのか。
娘さんを紹介してください、なんて言ったら角が立ちそう。
「ドリル、外したいのか?」
「え、そりゃまあ……コイツのせいで散々働き口に困ってるし」
「しかし、当分は外れねーし、働けないアンタは餓死するしかねー」
「…………」言葉もなく頷いた。
「ひとつ、ドリルの使い道を教えてやる」
勿体ぶった口調で、錬金術師は、
「採掘者になれ。アンタに適任だ」
なんて、ドリルの本来の用途を告げたのだった。
「壊れない上に硬い。形状も鋭く、力を伝導しやすい。削岩に適しているぜ」
「はぁ……」
採掘者。パートナー。
選択肢がぐるぐると浮かんで、あの金色の髪が翻った。
カレア・スノー。
彼女に断られたときに体感した絶望が、まだ胸に絡みついている。
「でも、オレをパートナーに選ぶやつなんているかどうか」
「怖気づくな。足を踏み出さなきゃ、どの道そこで終わりだ。向こうから誘いが来るように、アンタの価値を世界に知らしめればいいだけだ」
肩を掴まれ、ゼルノを仰いだ。
「自分を貫け。そうすりゃ、自然と周囲も認める」
言葉を失う。
オレの人生に、こんなにも真っ直ぐ見てくる人間はいなかった。
溜まらず、オレはうつむいた。
わからない。だって、オレには貫く『自分』がない。
最初にゼルノも言っていた。『芯の無いヤツじゃ生きれない』
人に媚びへつらう。それ以外に生き方なんて……。
「ここが分かれ目だぞ。根性出して生きるか、ドリルに振り回されて死ぬか」
選択肢なんて、残されていないようなものだった。