1.5
もうひとりの僕が「ダッシュが読みづらいぜ!」と指摘してきたので、この話をきっかけに全話―を─に修正しました
むかし、小学生の頃だったか。
クラスで些細なイジメがあった。
ガキ大将を中心に、女子ひとりを標的に。
看過できず、逆らったオレは徹底的にイジメられた。
子供心に『わからされた』。強者に逆らうのは利口じゃない。
オレの笑みが軽薄に飾られるようになったのは、そんな小さな絶望を味わってからだった。
◆
「しみったれた面しやがって、どうした」
不安の螺旋に滑り落ちていく思考を、そんな声が引き留めた。
寒空の底の町。
冷え切った空気の中で、落ち着いた声は力強く胸に届いた。
広場の隅で、うなだれていたときである。
怯えるように顔を上げる。
「アンタ、まだ町を出てなかったのか」
「……ゼルノさん」
「なんだ、覚えてやがったか」
ばつの悪い顔で、ゼルノさんはオレの隣に腰掛ける。
……やべえ、隣にクマがいるみたいな恐怖感。家内かと思ったらクマでな。
「まあ、会って一日ですし」
「そういう話じゃねえよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、彼はがさついた髪をガシガシと掻く。
「頬が腫れてるぞ……ちゃんと殴り返したか?」
「転んだだけですぅーもめ事じゃありませんー」
勘違いしないでよねっ! と反抗。
今日一日、ゼルノさんの忠告で心がズタボロにされたのだ。顔も見たくないのが本音。恐怖の象徴みたいに、心に刻みつけられている。
かがみ込んで、視線を逸らした。
「……ほっといてくださいよ」
ガキみたいな台詞だ。自嘲すると、心が寂しげに震える。
「ほれ」と、冷たいものが頬に押しつけられた。
つめてぇっ!?
肩が跳ねて、驚きのままに振り向いた。
「な、なんすかっ!」
「酒だよ、酒。酒は全人類を救済する」
格言じみたことを言いながら、オレの頬に押し当てた酒瓶を手渡してくる。
キンッキンに冷えてやがる。
突然の厚意。額面のままに受け取れず、訝しげに強面を見上げた。
「どういうつもりですか」
「……いや、今朝は悪かったな」
「え?」
想定外の謝罪に、頭がぶち抜かれた。
鋭く尖った彼の瞳。その目尻が、ほんの少しだけ垂れている。
「さっきの啖呵聞いてたぞ」
「短歌……?」
「自分より強い相手に立ち向かっていける根性があるんなら、アンタは大丈夫だ」
はあ……? 急な太鼓判だ。感動よりも、戸惑いがデカい。
「そんな精神論でどうにかなる?」
「さてな……だが、勝つつもりもないやつに、勝利は訪れないのは確かだ」
「おおぅ、スポ根だ」
渋いねぇ。あんた渋いよ。
「この町にアンタの居場所はない。だが、自分を貫けば、体ねじ込める隙間くらい作れるだろうよ」
言って、彼は立ち上がる。
「これもなにかの縁だ。今夜の宿を紹介してやる」
「は……?」
つくづく分からない。
ゼルノさんは、オレを邪険にしたのではなかったか。
「どういうつもりですか?」
懐疑的に目を細めた。
嘘を言っている雰囲気はないけれど、裏を考えずにはいられなかった。
髭の蓄えた口を酸っぱくさせ、彼は無愛想に言い放つ。
「どうもこうもねえ……ただ、アンタがみっともなく町を駆け回るのを見て『そういう生き方もあるのか』って思わされた俺の負けだ」
「……見てたんすか」
居心地の悪さを誤魔化すように、オレは受け取った酒を飲んだ。
舌が焼け付くほどのアルコール濃度に、噎せ返った。
ひ、人が飲むものじゃねえ!
「ごほっ、ごほっ! なんだこれ!」
「酒も飲めねえのか」
何が楽しいのか、彼は肩を揺すって笑う。
くそ、人が苦しんでるのを笑うなよ。
内心毒づき、乱暴に酒を押し返した。
「おい、雑に扱うなよ」
ゼルノさんは危うげ無く酒を掴み、ぐびー、と飲み干す。
信じられねえ。それ、人の飲み物じゃねえぞ。
口元を粗雑に拭い、アルコールで蕩けた目で見据えてくる。
「……実のところはな、アンタの右手に興味がある」
「右手に?」視線を下ろすと、夜気に沈黙するドリル。「……そりゃ酔狂だ。酔っ払って頭がご機嫌あそばれてます?」
「分かってないとは言わせねえぞ。アンタの異常性は、ぜんぶ右手に集約している」
「…………」
口を閉ざした。
彼の目に鋭さが戻っている。
「〝鑑定〟のまったく通じねえ魔法具、ないし呪具なんざ聞いたこともねぇ。大小あれど、魔力を通した瞳ってのはある程度の情報を暴き出すもんだ……だが、アンタの腕は『ゼロ』だった」
交易所の事務員さんとのやりとりが、頭を駆け抜けた。
──鑑定できない?
事務員さんの言葉が脳裏でリフレイン。
鑑定……魔法を行使してですら、オレのドリルは分析できなかった。
生唾を呑み、鷹の視線からドリルを覆い隠す。
「その腕は何だ? 最初はトンチキな呪具かと思っていたが、興味が湧いた」
「……何が狙いなんですか、あなたは、何者だ」
くらり、と頭が揺れる。
不自然な目眩に困惑して、思考が進まない。
夜吹く重たい風が意識を攫う。
じょりじょり、と顎の無精髭を撫でながら、彼は呆気からんと言い放った。
「──錬金術師。アンタの腕を解明する」
錬金術師。
『万人を魔法使いに貶める魔法学』
彼女は、そんなことを嘯いていたか。
思考がまとまらない。
上体の感覚が判然とせず、バランスを失って倒れ伏した。
「飲み物に、なにをいれた…………!?」
毒物を仕込まれたに違いない。
しくじった。
ぼやけた視界のままゼルノを仰ぐ。
間抜けを騙し仰せて、きっと、したり顔でもしているのだろう──!
「え、いや……ただのお酒だけど? 酒に弱いんだな?」
驚いて目を白黒させていた。
そうでした、オレ、とってもお酒が弱いのでした(てへっ☆)。
ばたんきゅー。
「ぐびゅうううう」
呻きながら眠りに落ちた。