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消えゆく物は美しい。当事者としては溜まった物じゃありませんけど。
落日を眺め、黄昏まくっていた。
『新しい町に来たときは、夕暮れを見るといい。情景がいっちゃん綺麗で、きっと親しみを感じるはずだよ』
なんて、かつての友人の言葉を思い出しながら。
(だめだ。どうにも好きになれそうにない)
広場である。節々が粗雑で、急拵えの石畳が敷かれた町の中心。
自分の今後に暗澹たるものを感じる。
空腹で目眩がして、起きてから何も口にしていなかったと気づいた。
「まさか全部断られるとは……」
見通しが甘かった。
冒険者が無理ならば。
町を駆けずり回って、業種問わずあらゆる働き口を探した。
結果? 惨敗ですよ、ウケる~!
以下、今回のハイライト。
『働かせてほしい? へえ、その腕でか?』
『腕をなんとかしてきな、客が怯えちまう』
『腕が』『腕を』『腕よこせ』
などなど……
オレは賢明なので、これらを踏まえて分析する。
「全部ドリルのせいじゃねえか!」
うがー! と憤懣をドリルにぶつけた。
がきぃいん! ドリルは白々しい金属音で骨に痛みを浸透させた。
「いってえし、ドリルはずれねえし」
叩きつけた手の平が痛い。
「ふざけんなよ……なんでオレがこんな目に」
疑問で歯軋りした。
どうして。
そう考える度、ドリルの奥で右手が微痛を訴える。
夕焼けが、死の直前の景色と重なって、ついでとばかりに腹が痛んだ。悪乗りが過ぎるぞまじで。
「ぐぐぅ……」
うずくまり、腹痛が過ぎるのを待つ。
こんなの、存在しない痛みだ。
ズキズキ。ぐさぐさ。
オレはまだ此処に居るぞ──なんて、健気に主張しているみたいだ。殊勝な態度だなぁ、泣けてくるよ。無論痛みで。
嵐が過ぎ去るのを待っていると、
「あれ? その汚い赤髪は」
本人曰く汚い赤髪に、降りかかる声があった。
顔を上げる。今朝方すれ違った二人組だ。
アルトとダッキのあきれ顔とぶつかる。
「よう、今朝ぶりだなランス男」
「どうしタ? 死にそうな顔しテ? 野垂れ死ぬ五秒手前だネ」
「アルト、ダッキ……?」
言われてみれば、ドリルの表面に反射する顔は、これから葬式にでも行こうかって面をしていた。葬られる寸前です。
泣けてきた。情けねえよ。
今日だけでたくさんの人格否定を受けてきたから、ケッコー憔悴してるのかも。まあ、否定される『自分』は持ち合わせていないのだけれど。
「ダンジョン見つけれた?」
「ああ、おかげさまでな! 大量だよ!」
快活に笑うアルト。
オレはひとつ決心を固めた。
膝の埃を払い、一度ふたりを見上げた。
日中ダンジョンに籠もっていたのだろう、汚れた顔がきょとんと曇っている。
喰らえ、最終兵器だ……!
「そりゃよかった。道案内のよしみで、どうか飯を奢ってください!」
土下座。恥も外聞もなかった。
同情した上で金もくれ!(強欲)
案内された酒場は、びっしりとテーブルが並んでいた。
鎧姿の男達が客席を埋めている。冒険者や採掘者。ダンジョン帰りの人間が客層みたいだ。
テーブルに所狭しと料理を運んでもらって、今宵の祝勝会(うちひとり惨敗!)が幕を開けた。
「目覚めたらダンジョンだったのか。いきなり一文無したぁ、キツいなぁ」
アルトは、身の上話を聞き、哀れみを向けてくる。
褐色の少年、ダッキは醒めた表情である。
「ボクはゼロより下だけどネ」
「どういうこと?」
「借金してル」
不幸レベルではダッキの圧勝。
「どれだけ借金重なってるの?」
「ン」と、なんの動物かわからない肉を頬張りながら、四つ指を立ててくる。
「4……?」同じ料理を食べる。……筋肉質だ。鶏肉、あるいはワニ肉か?
「うン、これだけって言ってタ」
基準とか単位とかわからない。
下手に踏み込めないから、曖昧なまま話を進める。
「言ってたって……誰がさ」
眉を寄せて、ダッキは煤けた灰色の髪の下で苦悶をつくった。
「コイツの取り立て人だよ」と、アルトが代弁。
言い辛そうに唇をすぼめたダッキの話題を継いで、酒気に赤らんだ顔のまま語り掛けてくる。
「労使契約、っつーの? コイツは採掘者として雇われてるんだよ。借金をすべて返すまで、自由がねーんだと」
「へー……」最初の会話を思い出す。そういえば、ダッキは自由を求めていた。「それは、なんとも酷な話だ」
ゼロに成る。年端もいかない子どもなのに立派な話だ。
「けド、もうすぐだって言ってたかラ!」
「いや、どうだかな」と、オレは水を差す。
思いがけない答えに目を丸くしたダッキは「な、なゼ?」と動揺している。
「借金取りが金づるを簡単に手放すわけない。金利がどーとか、理由づけて迫ってくるだろうよ」
口にするだけで反吐が出る話だ。
何処の世界にも、弱者を搾取する輩はいるのか。
「よくわからないけド……リュウは頭いいのカ?」
「悪いよ。大学にもいけず定職にもつかずで」
「ううン、頭いいヨ!」
にっこりと年相応の笑顔。
ひねくれた少年かと思ってたけど、素直なやつだな。
真正面から見れなくて、顔を逸らした。
「ひょ、ひょっとして計算できるカ?」
「難しいの以外なら余裕。石貫、数学は自分のもっとも得意とする科目のひとつであります。九九とか」
「教えてくレ! ボク、借金があとどれだケか知りたイ!」
「いいけど、計算くらい出来るんじゃないか……?」
公式で分かるのは、二等辺三角形くらいだ。
義務教育を受けたはずなのに、初歩的なものしか思い出せない。磨かないと知識って錆び付くんだな。歳取ってはじめて実感したよ。
「ボク……字とか数字、わかんないかラ」
「そういうもんか」と納得。
確かに、向こうでも発展途上国では充分な教育水準に達していない地域もあった。魔物に脅かされて、生活の不安定な異世界なら、勉強できる人間は貴重なのかもしれない。
「力になれる範囲ならいくらでも。飯のお礼もあるし」
「待てよ。あまりウチの相方に変なこと吹き込むなよ」
「そうだよな、アルトの確認もなしじゃ不安だよな」
釘を刺されて、意見を翻す。
アルトからしてみたら、相方の時間を奪われちゃ面白くないか。
チラリと、ダッキを盗み見る。
取り残された子どもみたいな、そんな顔。
──「あなたはいつも、いつもそうなの!? 他人の都合に合わせて!」
黄昏で突きつけられた凶刃が、再び腹を抉った。
別にいいだろ。弱者なりの矜持だ。
長いものには巻かれろ。
その場の発言力が強いものに従って、嫌われないように振る舞う。弱者は、そう易々と生き方を変えられない。弱者たる所以だ。強さが欠如しているから、オレは弱者なのだ。
「なら言うぞ。ダッキを勉強させてやれ。自由になったら困るのか?」
口を衝いて出た反骨心に、暫し茫然とする。
なんだ、いまのオレが言ったのか?
「弱いくせにデカい口叩くなよ。気分悪いな」
ダッキは、曇り空の目でオレを見上げていた。
耳の奥で、何かが煮え立つのを感じた。
「不満か? だったら言うぞ。根性なしめ! オレはな! その言葉が嫌いだ! なんだ気分悪いって! 『自分を慰めてくれ』ってでっけえ声で言ってるみたいでみっともねえ!」
頬に衝撃。勢いそのままに、椅子ごと背後に倒れ込んだ。
遅れてやってきた痛みが、殴られたって事実を伝えてくる。
酒が、アルトの苛立ちを加速させていた。
いってぇ……うわ、口切れた。
「お、落ち着ケ、アルト。酒の飲み過ぎダ」
「……クソ、お前のせいだからな」
「ああ、いや、それでいいよ」
どうしたんだ、オレ。
初対面に近い子どもに、何を肩入れする必要があるんだよ。
思い出せ、必要なのは処世術──でも、処世術が死を招いた──媚びてへつらう。
調子狂うなぁ。
「ごめんごめん、つい熱くなっちゃった」
「…………チッ」
舌を打ち、アルトが拳を引っ込める。
じんじんと痛む頬を押さえながら、席に座り直そうとして、
「お前に食わせる飯はねえよ」
「……こっちから願い下げだ」
売り言葉に買い言葉。
踵を返して酒場を出た。
腹四分くらいで、オレの夕餉は終わった。
酒場の喧噪と、往来の静謐とのギャップで、疎外感がひどく浮き彫りになった。