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「意識はハッキリしてる? 歩けますね、なら結構です」
「あの、助けてくれてありがとう、ございます」
「いえ、責務ですので。あなたは採掘者ですね、そのまま振り返った先が出口です。一本道ですが、巣作りの魔物がいないとも限りません。警戒を怠らず」
「…………ふぇぇぇ」
「未開拓の洞に目が眩むのも分かりますが、冒険者と組み、安全を確保した上での採掘を推奨しますよ。洞窟を抜ければ、そのまま真っ直ぐ。10分ほどで街が見えるはずです」
「採掘者? 冒険者?」
要領を得ない単語に目を白黒。
「では」と、短い所作で彼女は一礼する。
エクセレントなドリルロールがひらついた。
颯爽とした振る舞いで少女は奥に進んで行ってしまった。
「あ、ありがとー!」
小さくなっていく背中に声を浴びせる。
引き留める間もなかった。
ズキズキと痛む頭は、ようやく記憶をフラッシュバックさせていた。
頭痛で軋んだ隙間に、目を覚ます直前の意識が蘇っていく。
夕暮れ。
顔も覚えていない少女。
約束、裏切り。刺殺。
死んだ。受け止めきれない事実に吐きそう。うぷっ。
我慢できずに嘔吐。
「オロロロロ……! うわ四皇の笑い方みたいになってるろろろろ」
人狼の死体にべちゃべちゃ。死者への冒涜である。
狂気判定に失敗。
ごめんね、人狼くん。次は良い奴に生まれ変われよ。
「最悪だ……夢じゃないのか、これ?」
腹をまさぐるが、傷はひとつもない。
服装も、死ぬ直前の格好のまま。
だのに、腹の異物感が拭えない。
「オレは死んで、なぜか異世界に転生している。そんでなぜか右手がドリルになっていた」
神の祝福か、悪魔の呪いか。
どちらにせよ度し難い。
意味わかんねー。深く吐き出した息は、ひどく熱かった。
魔法の余韻によるものか、周囲は乾いた空気だ。
ピリピリと肌を刺す緊張感が息苦しい。
「ひとまず、出口を目指すか」
思考に区切りを付けて、歩き出す。
悩むのは余裕ができたときに。いまは身の安全を確保せねば。
死んだ直後にまた死ぬなんて、とんだ笑い話だ。
幸いなことに、出口までの道のりで魔物に遭遇しなかった。
胸を撫で下ろし、光の差す方に向かう。
(あの子、大丈夫だろうか)
最後に一度だけ、洞窟を振り返った。
照りつける陽光がオレを迎えた。
白日に晒されるドリルの鋼肌が、白々とした光を跳ね返す。
眩しい。目を細めて、洞窟の岩陰から周囲を観察した。
ずっと鼻腔をくすぐっていた鋼の匂いに、森の青々とした香りが混じる。
遠くで川があるのか、静けさの底で、かすかなせせらぎの音が滑っていった。
鬱蒼とした獣道だ。
人の手が入った形跡がなさそう。
「……人気はないな」それに、動物の気配も。
もっとも、都会のパンピーであるオレが察知できるものと思えないが。
緊張で喉が鳴った。
少女の言を信じれば、10分で街が見えるとのことだけど。
警戒するに越したことはない、慎重に森を抜けよう。
慣れない獣道を歩む。
時折風が吹いて、木々の梢が擦れ合ってざわめきを生んだ。オレを追い立てるような、獣の息吹。すげえ怖いぞ。
不安と混乱で動悸が激しい。
思考を整理したかった。
転生したこと。ドリル。
魔法、魔物、冒険者。採掘者。
(どういうことだ?)心中で疑問を提示する。
通常の人間なら、その疑問どまりだろうけど……
オタク知識を司る脳の何かしらの部分が囁いている。
オレはサブカルに強かった。人として残念なことに。
よって摩訶不思議な現状を的確に分析できるのだ。
異世界転生。
近年、若年層向けの小説……ライトノベルにて発展を続ける一大ジャンル。
火を噴くドラゴン。
超常の魔法を嘯く魔法使い。
そういった非現実が存在するファンタジーな世界、すなわち異世界に、現代人が転生(ないし転移)する物語。
それを、オレは実体験している。
よって。
「オレ、死→転生→異世界(いまここ!)」
Q.E.D.(証明終わり、閉廷)
仕組みはともかくとして、経緯は言葉ではなく心で理解できた。
さすがオレ。IQ200のブレインだ。すなわち天才。
自画自賛で己を奮い立たせる。
悩みの種が失せたわけではないけれど、事態を見据えられた。
なら、順を追って解決していくだけだ。
「生まれ変わってもがんばるぞい」
拳をつくり、力づける。
とても成人男性とは思えない挙動である。
「せっかく異世界にきたなら、魔法だって使ってみたいよなぁ」
雷鳴が幽かな残響を脳に刻みつけていた。
オレを魔物から救った少女の魔法。
瞳を閉じれば、鮮烈に思い出せる。
──と。景色が唐突に開けた。
直線に道が続いている。
剥き出しの大地は、明らかに人の足が踏み固めたものだ。
一安心だ。荒れた心が落ち着くのを感じる。
視線で道を辿ると、遠方に町らしき影が窺えた。
「よかった。無事まっすぐ進めていたな」
森の緑で遮られていた空が、視界に澄み渡る。
胸が晴れやかだ。ひとまず、魔物からは逃げられた。
人影を見つけて、自然と頬が綻ぶ。
二人組だ。青年と少年。青年は胸や間接部をカバーするように鎧を身につけている。戦士を彷彿とさせる出で立ちだ。
彼に追随する少年は、煤けた皮の服。それから、鳥のくちばしのように尖ったピッケルを背負っている。
冒険者。採掘者。
少女がこぼしていた言葉が、ストンと胸に落ちてきた。
ふたりは何事かを話しているみたいだけど……
「まずは情報収集……言葉が通じるかどうか」
茂みにひそみ、会話を盗み聞く。
「──で、どうしてダンジョンが増えたって睨んでんだ?」
精悍な顔つきの青年は、そう首を傾げていた。
ダンジョン──魔物が蔓延る迷宮。ゲームにおける冒険の舞台。
オレが目覚めた洞窟が、そうか?
本当に、ゲームや小説の世界に入り込んだみたいだ。
「まだ推測だけんど、昨日地震があったロ? あれで、鉱山のどっかが歪んだはずダ」
「地震で、か? そんなことあるのか?」
「……こっちに来て短いだロ、オメー。ボクは2年働いてル」
「経験則ってやつか、なーる」
「……ケイケンソクってなんダ?」
「えっ……あー、過去があるから今がある。たぶんそんな感じだ」
「ちげーよ」
正しくは経験に基づく法則……あれ、あながち間違えてない?
「……は?」「エ……?」
真っ直ぐに、ふたりがオレを見つめる。
しまった、思わず口に出てしまっていた。
みつかっちゃっ……た。
「誰だ?」と、青年が背の剣に手を伸ばす。
まずい。オレは戦闘力5のゴミ……荒事になれば、確実にフルボッコにされてしまう。
睨みつけられて、冷や汗が背筋を伝った。
両手を挙げて、バンザイの姿勢で身をさらした。
暴力、イクナイ。
「……ども、元気?」
「ナニモノ? 同業者って身なりじゃないけド」
少年が問いかけてくる。
訝しむ、というより好奇心で尋ねているみたいだ。
よかった。話が通じそうな相手と見た。
「通りすがりだよ。そちらは? 子守りって雰囲気じゃなさそうだ、どうにも」
「俺が冒険者のアルト。いずれ英雄になる。んでこっちがパートナーの採掘者。いずれ大人になる」
「ボクはダッキ……自由、目指してル」
簡潔な自己紹介。
冒険者、採掘者。口内で反芻する。
まあ、粗方見当は付いていたし、さほど驚きはない。
魔物と戦う冒険者。
採掘者は……読んで字の如く、掘って採るのだろう。何を採るかは不明。
有名人を前にしたみたいな緊張感。なにせ交流がないタイプの人間だ。
「オレは石貫柳……えと、できれば剣から手が離せない?」
剣に添えた手は離れない。剥き出しの殺意を向けられているようで、身が縮む想いだ。
彼らの視線は、オレの右手に注がれている。
「そりゃ無理な相談だな。お前、物騒なもん付けてるしな。ランスか?」
「……ランスでやんす」
嘘です。見栄を張りました。
しかし、そうか……ドリルじゃなくて、ランスって線もあるのか。
印象だけでドリルって決めつけてた。
よし、オマエは今日からランスだ! 理由はドリルよりも格好いいので。よろしくな、ランス! できれば腕から外れてくれ。
「さっき目が覚めたらこんな状態だったんだよ。外れない。オレ自身もどうしてこうなのかさっぱりなんだ」
「へー、そうか」「そうなんだナ」
あれ? 受け入れるんだ。
てっきり怪しまれるかと。
「で、どこで倒れてたんだ?」
「呪具だろそレ、ダンジョンで手に入れたのカ?」
……ああ、そういうこと。
ふたりはオレを透かしてダンジョンを見ている。
オレの格好に寛容なんじゃなくて、単純に無関心なだけだ。
「経緯はわからないけど、オレはダンジョンで寝てたよ」
「おお」と、アルトは素直な歓声。
「よく生きてたナ、魔物に襲われなかったカ」
襲われました、実際。
曖昧な笑顔で頷き、うやむやにする。
「ダンジョンの場所を教えてくれ」
屈託のない声で、噛みつくように問われた。
さっきまでの警戒はどこへやら。冒険者の彼は、前のめりに顔を近づけてくる。
「い、いいけど、代わりに町の方角教えて」
「あっち」と、後ろを指差すふたり。息があったコンビネーションだ。シンクロ率高そう。
ふたりに倣い、茂みの奥をドリルで突きつけた(結局ネーミングはドリルで落ち着いた)。
「歩いてすぐだ。入り組んでるから、迷わないようにな」
「おう、あばよー! ランス男!」
「…………」と、ダッキは無言で立ち去る。シャイボーイだ。
アルトは、意気揚々と茂みを掻き分けていく。
積極的なアルトと消極的なダッキ。
対照的なふたりだけど、険悪な様子はなかった。案外、相性がいいのかも。
「……異世界で事実上初の知り合い、ゲットだ」
右手で拳を作ろうとして、ドリルだったのを思い出した。
邪魔くせー!