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間奏 ヴィクトリーヌ

ちょっと本編から外れます。

 色とりどりのドレスをまとった女性達のおしゃべりは、樹上に仲良く連なる小鳥達のさえずりに少し似ている。だがここには、小鳥のようにヴィクトリーヌの心を和ませてくれる存在はなかった。

 少女が笑う高い声から、声を潜めた大人の低い声まで、誰もが自分のことを噂しているのではないか。そんな焦燥に駆られるのは、もう何度目のことだろう。今日はせっかくの晴天で、素晴らしい庭での茶会に参加しているのに、泣きたい気分だった。ヴィクトリーヌは胸中で嘆息するばかりで、彼女らの輪の中に入れずにいた。


「――リベ嬢。こちらにいたのか」


 少年から青年へと変わろうとしているその声は、少し掠れている。振り向くと、先日ヴィクトリーヌの婚約者となったテオドール王子が立っていた。いつまでも茶会に加わろうとしないヴィクトリーヌに業を煮やして、自ら迎えに来たのだろうか。こちらを見る彼の目には何の感情も浮かんではいないが、だからこそ冷めた失望が如実に見て取れた。

 テオドールの黒い髪はきっちりと撫でつけられていて、秀でた額と直線的な眉がはっきりと見える。そしてその下の、色のない双眸も。


「申し訳ございません、殿下」


「……いや。君をすぐに迎えに行けなかった私も悪かった。既に王妃陛下と王太后陛下も到着なされたから、奥に行こう」


 ヴィクトリーヌの謝罪に淡々と応じると、テオドールは少し遠くに見える白い天幕を指し示した。あの下に、この茶会の主役である高貴な方々がいるのだ。そしてあそこが、今日のヴィクトリーヌを吊し上げる場になるのだろう。いよいよ顔色をなくすヴィクトリーヌを見て、テオドールがほんの少し眉をひそめた。彼がいちいち怯えるヴィクトリーヌの態度にうんざりしていることは、分かっている。それでもどうにもできないほど、ヴィクトリーヌは怖かった。


(今日はみっともない格好はしていないはず。体を締め付けないゆったりとしたドレスにして、その代わりに髪はすっきりと整えたわ。だから……いいえ、こんなに薄い色だと、体が膨らんで見えるかしら。やっぱり、暗い色にして腰を絞るべきだったのかも……)


 今さらのような不安ばかりが頭に浮かび、先を歩くテオドールについて行くので精一杯だった。それでも背筋を伸ばし、顎を引いて姿勢良く歩けているはずだ。だが、隣に並ぶことのない婚約者の背中を見ていると、また情けなさがこみ上げてくる。すれ違う紳士や婦人達の視線が怖くてたまらない。

 屋敷で母や侍女達が懸命にほめそやしてくれたドレスだが、彼女らの励ましの効果は既に消えていた。それでもなんとか逃げずに歩いていられるのは、リベ家のためだった。国王陛下の寵臣である父に、貴婦人として名高い母、そして優秀な兄と幼い弟。己の失態が、彼らの評判をも傷つけることになるのだ。そんなことになれば、ヴィクトリーヌの優しい家族達も、萎縮するばかりの不器量な娘をいつか持て余すのではないかという恐れが頭から消えない。

 しかしついに、この国の女性の頂点である二人の前に立ってしまった。


「ヴィクトリーヌ、よく来ましたね」


「本日はお招きいただき、ありがとうございます。陛下方におかれましては、ご機嫌はいかがであらせられますか?」


 最敬礼と共に挨拶をすると、小さく息を吐く音が耳に入った。粗相はなかったはずだが、額に冷や汗がにじむ。王妃スザンヌは長いまつ毛を瞬かせてヴィクトリーヌをじっと見ると、穏やかに挨拶を返してくれた。


(やっぱり、このドレスはわたくしに似合っていないのね)


 恥ずかしさで紅潮するヴィクトリーヌに、「そなたはいつまで新参者のように振る舞うつもりだえ?」と冷たく言ったのは王太后ファビエンヌだ。声が詰まりそうになるのを押して、とにかく詫びるしかない。


「申し訳ございません、王太后陛下。王族の方々からこのように親しく言葉をかけていただける誉れに、わたくしの心は舞い上がってしまっているようです」


 全く浮かれていない顔をしている自覚はあるが、ほかにどうしようもない。「緊張していた」だの「粗相のないように振る舞ったつもり」という言い訳は、以前に使ってしまっていた。結局、この王太后陛下の前ではどんなに取り繕っても無駄なのだが。現にファビエンヌは、苛立たしげに目を細めている。


「その堅苦しい態度を改めよと申しておるのだ。わたくしがそなたを怯えさせているようではないか」


 そう言われても、くれぐれも無礼のないようにと注意を払い敬うべき方々を前にして、砕けた態度で話しかけるなど無理な話だ。それでなくても嫌われているのに。

 すると、二人の間に流れる不穏な空気を断ち切るように、テオドールが取りなした。


お祖母様(おばあさま)、リベ嬢は本当に緊張しているだけなのです。あまりからかってはかわいそうですよ」


 孫の遠慮のない物言いに、ファビエンヌは愉快そうに笑う。そして「そなたに免じて許そう」と広げていた扇をぱちんと閉じ、テオドールを自分のかたわらに呼んだ。こうしてファビエンヌを中心に、両隣にスザンヌとテオドールが座り、ヴィクトリーヌはファビエンヌの向かいに座ることになった。

 どうやらファビエンヌの勘気に触れずにすんだようだ。礼を言おうとテオドールの方を見ると、彼は目顔でそれを制して優雅に座る。ヴィクトリーヌもそれにならうと、スザンヌがやわらかな声でお茶と菓子を勧めた。


「今日はあなたが来てくれるから、テオドールに好みの菓子を聞いておいたのです。いかがかしら?」


 桃のパイと香しいお茶を前にして、ヴィクトリーヌは自制する間もなく頬がゆるむ。スザンヌの優しい気遣いと、テオドールが自分の好みを覚えていてくれたことへの喜び。それらは強張っていたヴィクトリーヌの心を温めたが、ファビエンヌの刺すような一言で凍りついた。


「王妃陛下のお心遣い、痛み入ります。こんなにすてきなお菓子を用意していただけるなんて……」


「大げさな。幼子でもあるまいに、そのようにはしゃぐなど」


 いつもの冷めた目を向けられて、ヴィクトリーヌは恥じ入りながら謝った。感情を露わにするのははしたないことだと、初対面で萎縮するヴィクトリーヌを叱責したのはこの王太后だった。以来、平静を装う努力はしているのだが、方々からの陰口やファビエンヌのこうした言葉にしおれるばかりのヴィクトリーヌは、まだ一度も褒められたことはない。


お義母様(おかあさま)。ここにはわたくし達しかおりませんし、ヴィクトリーヌもまだ慣れぬのでしょう。過度の怯えは見苦しいものですが、王家に嫁す者の責任を理解している故と思えば、無理からぬことかと」


 義母(はは)と呼び、今は身内だけの場なのだと訴えながら、スザンヌはヴィクトリーヌを擁護した。まだ数回しか会ったことのない王妃は、思っていたよりもヴィクトリーヌに肩入れしてくれていたようだ。いや、正確にはリベ家にだろうが。そんなことを考えながらファビエンヌの反応をうかがえば、閉じた扇で口元を隠しているが――。


「スザンヌ、そなたの口から責任などという言が出るとはな。それほどの思いがあるのならば、そなたも表に出てエドゥアールを助けてはどうだ?」


 ファビエンヌは、スザンヌとヴィクトリーヌを順に眺めて扇を下ろした。紅をさしたその唇は弧を描いているが、ヴィクトリーヌの思った通りの冷笑を浮かべている。スザンヌまで巻き添えにしてしまったことに気付いても、隣を盗み見ることもできない。しかしそんな心配をよそに、スザンヌは「わたくしにはお義母様のような才はございませんので」とあっさり流した。テオドールは母と祖母のこのようなやりとりに慣れているのか、静かに茶を飲んでいる。正直に言うとテオドールにこそ助けてほしかったが、彼が望んで得たわけでもない婚約者のために矢面に立てなどと、間違っても言えない。

 ファビエンヌはスザンヌの返しを予想していたのか、つまらぬ嫁だと呟いて矛を収めた。思いの外あっさりと決着したことに驚いてスザンヌを見ると、改めて菓子を勧められたのでヴィクトリーヌは銀器を手に取る。


「……おいしい」


 もっと気の利いた感想を言うつもりが、自然と口からこぼれ出てしまった。しかし、この一切れのパイを全て食べてしまえば、また食い意地の張った娘と揶揄されるのではないか。一口しか食べていない皿を見つめて固まるヴィクトリーヌに、テオドールが食べないのかと声をかけた。


「このパイは王宮の者でも今しか食べられないから、出されれば皆が残さず平らげるぞ」


 そう言うなり、大きめに切ったパイを頬張る婚約者を、ヴィクトリーヌはただ見つめた。そして気づけば、桃の芳醇な甘味とパイの香ばしさを存分に味わっていた。この王宮に来る時はいつも息を止めている気分だったので、久しぶりに呼吸をした心地だった。

 その後のファビエンヌはテオドールと和やかに会話し、ヴィクトリーヌはスザンヌの相手をしたので大過なく過ごせた。そしてテオドールに伴われて他の招待客達に混じったので、あからさまに無礼な真似をされることなく茶会は終わった。


「――殿下、本日はありがとうございました」


 別れ際に意を決して言ったヴィクトリーヌを、テオドールは不思議そうな顔で見た。


「特に礼を言われるようなことをした覚えはないが。茶会を楽しめたのならよかった。……あのパイは私も好物なんだ」


「は、はい。大変美味にございました。そして何より、殿下が私の好物を覚えていてくださったことが、嬉しゅうございます」


 つっかえながらも何とか言えた。頬が熱くなっているのが自分でも分かるので、もしもファビエンヌが見れば眉をひそめるような有様になっているだろう。それでもヴィクトリーヌは、帰る前に伝えておきたかった。

 そしてテオドールの方は、淡い灰色の目を見開いて、それから薄く笑った。


「祖母があの通りの性格だから、母はああしていなすようにしているんだ。君にもそうなれとは言わないが、無用に傷付くことはないと覚えていてほしい。あの人は、こと女性に対しては一言文句をつけずにはいられないだけだから」


 そのあまりの言い様に、ヴィクトリーヌは何と返して良いのか分からずにただ頷いた。


「リベ嬢は、よくやっていると思う」


 まるで出来の悪い生徒を見守るような顔のテオドールだったが、初めてかけられた温かい言葉にヴィクトリーヌはぼうっとなった。

 生徒でも妹分でも何だって良い。彼の隣にいられるのなら、それで。王太子に愛されたいなどと不相応な望みは抱くまいと思っていた少女の胸に、淡い恋心が生まれた瞬間だった。

キャベツ太郎がおいしい。あれを食べると口の中に青のりが潜むけど、ソース味の濃いところと薄いところがあるのがまた良い。

ハッピーターンと同じように、キャベツ太郎も魔法の粉(青のりに非ず)がまぶされているに違いない。

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