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1 熾火

連休に名画鑑賞番組をチラ見して思いつきました。

 舞台の上で激しく踊る女の姿に、観客は熱狂している。熱情の名を冠するこの劇場にふさわしい一幕に、一人の女はひっそりと物憂げな溜め息をこぼす。同時にわあっと歓声と拍手が上がり、女の吐息などかき消されてしまった。

 種々の酒を取り揃えたカウンターの向こうにいるのは、きらびやかな別世界の住人達だ。そして、カウンターの内側にいる女は、どこまでいってもただのバーメイド。


「――シャンパンを」


 声をかけられ、女――ロクサーヌは舞台の方に向かっていた意識を目の前に戻す。するとそこには、一組の男女がいた。これまでに見た誰よりも着飾った若い女と、彼女に腕を取られたこちらも若い男だ。

 手早く飲み物を手渡すと、男の方が硬貨を放ってきた。その様子を見るに、若さの割にここで遊び慣れているようだ。


(……この年で、こんなに慣れているだなんて)


 呆れながらちらりと若い女の方を見ると、もっと呆れたことに、夢見るような目で男を見つめている。しかしバーメイドであるロクサーヌと目が合うと、とたんに剣呑な目つきになった。


「メイド風情が、不躾な視線を向けないでちょうだい」


 胸元の大粒のエメラルドを見せつけるようにして、女が居丈高に言った。それに逆らうほど面倒なことはないので、ロクサーヌは平身低頭謝る。散々罵倒され、せっかく注いだシャンパンの気が抜けてしまったのではないかと思うほど時間がたってから、二人組は去って行った。

 無駄に豪華な衣装をまとった女と、装いは地味だが所作から明らかに上級貴族と分かる男。なんだかちぐはぐな組み合わせだった。見送りながらそう思っていると、次の客が現れた。今度も酒を所望するお客であってほしい。そう願いながら注文を聞くと、祈りむなしく客の男はロクサーヌに「野薔薇を」と告げた。


 ロクサーヌは気怠げな笑みを浮かべて客に赤ワインを差し出す。するとグラスを持つ手を上から握られて、部屋の場所を耳打ちされる。ロクサーヌが客に買われる、いつもの流れだった。

 あらぬる娯楽を提供するこの劇場が、娼婦の斡旋も行っているのは公然の秘密だ。ロクサーヌ自身も劇場が扱う商品の一つというわけだ。先ほどの若い女がそれを知っていてロクサーヌに突っかかってきたとは思えないが、まあ、どうでもいいことだった。

 ここに通い慣れていながら女を買ったことがない男など、いるのだろうか。値踏みするように自分を見つめてくる客と目を合わせたまま、ロクサーヌは考える。

 世間では愛妻家と謳われる貴族の男はここの常連客だし、昔大恋愛の末に結婚したという男もよく見かける。そんなものなのだろうという諦観と共に、ロクサーヌは「では、後ほど」と客に手を振った。


 舞台が人気の珍獣使いの出し物に変わった頃に、ロクサーヌと共に働く若いメイドが話しかけてきた。この出し物の時は特に観客が舞台から目を離さないので、バーカウンターは当分暇になるのだ。


「さっきの二人組だけどさ、あれって今噂になってる王子サマ達でしょ? あんた、何か話してたけど、どうだった?」


 このまだ慣れない様子の若い同僚は、あまり見ない顔のロクサーヌを同類とみなしたようだ。慣れ慣れしく話しかけてきたが、本当は心細いのかも知れない。しかし、彼女の緊張を解すような話はできそうにない。そこでロクサーヌは彼女に水を向けた。


「わたしは目が合っただけで罵られただけなんだけど……。あの二人、そんなに有名な人達だったの?」


「あらぁ、あんたなんにも知らないのねぇ。まあ、そんなことだから、ここにいるんだろうけどさ」


 ロクサーヌが没落した元貴族だと知っているのか、毒のある口調でそう言いながらも、メイドはおしゃべり好きなようで色々と教えてくれた。

 曰く、さっきの〝王子サマ〟は立派な家の娘と婚約していながら、一緒にいたあの若い女にうつつを抜かした挙句に乗り換えてしまったのだそうだ。

 この劇場でバーメイドとなって長いロクサーヌには、自分が貴族だった十六歳までの知識しか残っていない。そして、高貴な方々とは縁遠い身の上となってから、その手の噂話への興味を失った。だから王子と言われてもすぐに誰のことか分からなかったが、ロクサーヌと同年だった王太子の末の弟ならば、あの位の年だと思い当たる。

 確か十歳下だったか。奇しくもロクサーヌが貴族ではなくなった年頃と同じ。

 身分が高いといっても、あの男が王族とは。周到に自分を追い込んだ王太子らを知るロクサーヌからすると、呆れるほど迂闊だった。だから、自分は変装しながら、お相手には悪目立ちするほど着飾ることを許したのかと納得もしたが。


「乗り換えるって、言うほど簡単なことじゃないはずだけど……」


「ああ、やっぱりそうなんだね。あたしだってそう思うけどさ。あの王子サマ、親に散々ねだってごねて、しまいには、婚約者のお嬢サマに難癖つけて無理やり……って話だったよ」


 親というのは言うまでもなく国王陛下と王妃殿下のことだ。しかし、その不敬な物言いを咎めるどころではなかった。


(そんな無茶なことが、またまかり通るのね……)


 ロクサーヌの実家は半ば詐欺のような方法で没落させられたのだから、この国では何があってもおかしくはないのだろう。雲上人の醜聞を嬉しそうに語るメイドの隣でほほ笑むロクサーヌの心に、黒いものがじわりと燻る。

 没落の心労が祟って両親は既に儚くなり、兄弟はそれぞれ生計を立てるのに必死で、その行方も知れないままだ。十七で娼婦となったロクサーヌには彼らを探す伝手もない。こんなことになるとは、父が罪を着せられた時には考えてもみなかった。そんな自分は世間知らずの幸せな小娘だったのだと、苦い後悔と共に思う。


「――それでさ、王子サマはコソコソ済ませたかったらしいんだけど、あの女の方ががとんでもなくって、パーティーでたくさん人が集まった中で()()()()()んだって」


 この劇場でバーメイドをしているうちに、ロクサーヌも「やらかした」という砕けた言い回しを理解していた。ここに来た当初は戸惑うばかりだったことが、今は懐かしい。ロクサーヌが大人しく聞き役に回って気を良くしたのか、若いメイドは身振りも交えて話し出す。


「聞いた話だとさぁ、婚約者のお嬢サマが王子サマ達の周りで悪いことをしてたから婚約をやめたんだって、言い放ったらしいんだよ」


「まあ、本当に……?」


 信じられない思いで呟くと、ロクサーヌの驚嘆ぶりに満足したメイドが、大げさに頷いてみせる。まるで自分がその場で見てきたかのようだ。


(悪夢のようだわ)


 王族が再びあんな愚行を繰り返すと分かっていたなら、今もこんな立場に甘んじてなどいなかった。命をかけてでも、抗議すべきだったのだろうか――貴族でもないのに、そんな考えに引きずられそうになる。そんなロクサーヌに気付かず、若いメイドはなおも続ける。


「本当の本当だって! こないだ取ったあたしの客に、その場にいたってお貴族サマがいたんだけどさぁ。馬鹿なことをしたもんだって、愚痴ばっかり言って帰ってったんだから!」


 声高にそう言った同僚の背後に、普段この場所で見ることのない男が立っていた。目を見開くロクサーヌを、怪訝な顔でメイドが見返す。後ろ、と口だけ動かしてやると気付いたようで、メイドのまだ幼さの残る顔はみるみる青ざめた。


「リリアーヌ、お前は随分と暇そうだな。何ならそのよく動く口を、舞台で披露するか?」


 突然現れた壮年の男――この劇場の支配人にそう言われ、リリアーヌと呼ばれたメイドはぶんぶん首を振る。それを冷たい目で見やると、支配人はロクサーヌに視線を移した。叱責が飛ぶものと身構えるが、支配人は早く客のところに行けとだけ言って立ち去った。


「ちょっと、早く行きなよ」


 いい気になっておしゃべりしていたことを棚にあげ、リリアーヌは巻き添えを食うのはごめんだとばかりに急かす。戸惑いながらも、仕立ての良い上着の背中を追いかける格好で観客の宿泊棟へと向かう。すると、先を行く支配人がふと振り向いた。


「――あなたにお会いしたいというお方がいらしている」


 そう低くささやいた支配人の目は、変わらず冷たい。しかし彼は、己の支配下にある娼婦のロクサーヌのことを「あなた」と呼んだ。

 何か厄介なことに巻き込まれようとしているのではないか。そう問いただしたかったが、目の前の男がそれに答えてくれるとは思えない。結局ロクサーヌにできることは、ただ従順に彼について行くことだけだった。

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