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後編 ─空き瓶のような僕たちは─

────マジか。頭がガンガンと痛い。目の前がチカチカしている。

「お帰り」

 細い脚が目の前に現れた。見上げると真っ黒い顔がそこにある。膝をついていた僕は、なんとか立ち上がった。

「まぁ、そう簡単には行かないよね」

 一回目、失敗。佐倉君と同じクラスになったものの『田中太郎』は彼と友達になれず、微妙な関係のまま秋を迎え、彼は八回目の自殺をした。いずれ来たる明るい未来の光を見もせずに……。

「……何も出来なかった」

 そう呟くと、シショは「でも」と、僕の肩を叩いた。

「君は確かに助けようとしたよ。まぁ何事も最初は上手く行かないものさ」

 そんなこと言われたって慰めにならなかった。やろうとしたって何も出来やしなかったんだから……僕は彼が虐められるのも助けることが出来なかった。

「さ、もう一度トライだね」

「ちょっと休ませて……」

「勿論。彼が九度目の2014年に到達するまでにはまだ少しかかる。……けど、そうだな。今度は少し早めてみようか」

「え」

「一年生から行ってみる? よし、それで行こう」

 と、シショはどこからか『田中太郎』と表紙に書かれた本を取り出すと羽根ペンで何か書き始めた。

「2013年4月、中学に入学した太郎は佐倉春臣と同じクラスになる……と。よし」

「……ねぇ」

「何?」

「それで強制的に太郎と佐倉君を友達に出来ないの?」

 どうだ名案だろ、と思ったがシショは首を振った。

「ボクの力ではそこまで介入出来ないんだな……」

 ……そっか。出来るなら案内人なんていらないもんな。というかその出来る出来ないの線引きってどこなんだ。

「そういえば雨子は?」

「雨子ちゃん? さっき君より少し先に現世から帰ってきたところだから……庭かな?」


  * * *


 扉を開けるとやっぱりそこは夜で、真っ黒な空に色とりどりの砂のような星がちりばめられている。その下に、やっぱり傘を差した彼女がいる。僕からは横顔が見えた。傘の下から彼女は空を見上げていた。手には小瓶。蓋の空いたそれから、キラキラとした光が空へ昇って行っていた。

「綺麗でしょ」

 彼女の声が、すぐそばで聞こえる。

「一生懸命生きた人の命は綺麗なの」

 雨子がこちらを向いた。その顔はやっぱり人形のように無表情だった。

「ここはいつも夜なんだ」

「うん。眠る場所だから」

「誰が?」

「みんな」

 音のない風が吹く。空も怖いくらいに静かだった。広く、どこまでも続く、その星空は────。


  * * *


 二度目の田中太郎は中学一年生の春……入学式の一週間後から始まった。前回と同じように姉の声で飛び起きて、学校へ行くと、クラスの片隅に佐倉君の姿を見つけた。昼休み、一人で弁当を食べていた彼に話しかける。彼は少し驚いた様子を見せたけれど、喋っているうちに打ち解けた。彼は笑ってくれた。前回、来年の時期に見たあの陰鬱な表情とは正反対の明るい表情だった。


「友達一人の影響ってそんな大きいものなのかな」

「大きいさ。まぁ、何でもいいんだけれど。現世に繋ぎ止められる理由があればそれでね。彼にとっては『たった一人の友達』がそうだった」

「……僕にとっては何だったんだろう?」

 訊いてはみたけれど、答えは返って来なかった。

「そんなの、今となっては意味のないことじゃないか?」

 そうだって考えてみるくらいいいじゃないか。だって僕は────僕は、一体どうして『最善の結末』までたどり着けなかったんだ?


  * * *


 人は何の為に生きるのだろう。

そう思うようになったのはいつ頃だったか。いろんな人の人生に関わった。自殺を止めるのは段々と簡単になってきた。中にはなかなか止められない人もいたけれど。だが、何より難しかったのは、死期を定められた人をいかにして『最善の結末』へ導くか────だった。

「病気で死ぬことは不幸じゃないんだ」

「そうよ」

 吸い込まれそうな星空の下。雨子は傘をさして立っていた。僕は音のない草原にじっとうずくまっている。輝く星空から身を隠すように。雨子の影にうずくまっている。

「いかに死ぬかは重要じゃない……」

「『終わり良ければ全てよし』はウソ」

「終わるまでに……」

「何をするか」

「何のために?」

「幸せに生きるために」

「……何のために?」

 僕は顔を上げる。その気配を察してか、彼女が僕の方を見た。相変わらずの無表情。僕も多分、同じ顔をしていたんじゃなかろうか。

「意味なんてある?」

「ないわ」

 ひどくあっさりした答えだった。あっさりしすぎて、僕は思わず聞き返してしまう。

「ないの?」

 雨子はやはり無表情で答える。

「人生自体に意味なんてない。神様の暇つぶしだから」

「神様?」

「……いえ。違うわね。時間を持て余した悪魔の暇つぶし」

「────シショのこと?」

「あぁいう存在のこと。あれは描かれる物語を読んで楽しんでいるだけ」

 そう言う雨子は、哀れなものを見るような目で僕を見た。僕はその時、気付いた。否。それ以前にとっくに分かっていたんだ、本当は。雨子が人間でないことくらい。彼女がシショと同じ側の存在であることくらい────。

「あなたを案内人にしたのだって、彼が飽きた本をさっさと処分したいだけ。オルト君はいいように使われてるの」

「……君にも?」

 僕がそう訊くと、雨子は少し考えた。そして、ほのかに笑う。

「そうかもね」

 僕は彼女から目を逸らして、草原へと向けた。空と同じように、青々と茂る草原は静かにどこまでも続いている。

「怒った?」

 雨子の声が上から降ってくる。僕は首を振った。

「別に。僕がそうしたいって思ったんだから。意味もなく死ぬよりはマシ」

「そう」

「ずっと意味があると思うよ、何でもないただの学生のまま死ぬ人生よりは」

 ……そうか。人生自体に意味はない。ないけど、ないわけじゃないんだ。

「『意味』は作るものなんだ」

 僕は半ば独り言のように呟いた。耳に入ってきたその音が、僕の胸にじんわりとしみ込んでいくような感じがした。人生自体に、意味はない。ないものは、作ればいい。

「僕たちは空き瓶のようなもので」

 いつかの雨子の姿を思い出す。手にしていた空き瓶から、キラキラとした光が空へ立ち昇っていた。丁度見上げた空に見える、あの星々のような光。

「……生きる間に僕たちはその空き瓶をいっぱいにしなきゃならない」

「汚いものでいっぱいにされても困るわ」

 雨子が口を挟んできた。彼女が僕の隣に座ったので、僕はそちらへ視線を移した。傘が少し、僕に被る。

「綺麗じゃなきゃ意味ないの」

「それを君は集めてる」

「その通りよ」

「この星空は、『人の人生』そのもの」


────『一生懸命生きた人の命は綺麗なの』


「……うん、綺麗だ」

 赤、青、黄色、色とりどりの星々。それは数多の人間の、懸命に生きた証。己の人生に確かなる誇りと充実感を持っていた、その証。死神がその魂をさらいに来るまで大事に育てられた結晶である。僕が、得られなかったもの。僕のものはきっと、空っぽのまま割れてしまったのだろうな。

「君のも綺麗だよ」

「!」

 不意に新たな声がした。振り向くといつの間にかシショが立っていた。

「いつの間にそんなに仲良くなったのさ二人とも、ボクは寂しいじゃないか?」

「ひとりでいるくらい何でもないでしょ」

「酷いなぁ雨子ちゃん、ボクだって傷付くんだよ」

 真っ暗闇の顔の中に、辺が上の半円が二つ。そんなシショに雨子はフイとそっぽを向く。

「……綺麗って?」

 僕は近付いて来たシショに訊いた。すると彼はどこからか小瓶を出した。

「これ」

「え?」

「君の」

 ────なんで。

 その言葉が僕の胸の中でとどまったのかそれとも口から出たかは分からない。シショのいびつな三本の指に挟まれている小瓶。その中の半分ほど、空に浮かんでいるのと同じ光が溜まっている。

「────僕の?」

「そう」

「ほんとに?」

「本当よ」

 答えたのは雨子だった。僕は彼女の方を見る。

「あなたはここで生きている。現世から切り離されただけで」

「これは君が生に対する『意味』を見つけ始めた証拠さ」

 シショがそう言って、僕にその小瓶を手渡してきた。それを受け取り、僕はその中身を見つめる。キラキラと瓶の中をゆっくりと動き回っているそれは、少しずつ増えているような気がした。

「正直さ……驚いたよね、ボクも。『運命の書』は燃やしたし、君がもう自分の人生に執着することはないと思ってた」

「人間をナメすぎなの、シショは」

「うん、人間ってのはつくづく執念深いよネー」

 うんうん、と頷き、シショはない口からため息を吐くと肩を竦める。

「まさかボクが案内人紛いのことをしてしまうことになるとは」

「オルト君の人生に干渉したんだからそうなるでしょ」

「あ、そーだね」

 今さら気付いたの、とでも言いたげな目を雨子はシショに向ける。

「……どうして僕を助けたの?」

「ん? 言っただろう? 救済処置だって」

「それ本心じゃないでしょ」

「ホントだよぉ」

「だってシショは悪魔だって雨子が」

「え? ウソ、雨子ちゃんボクのことそんな風に思ってたわけ」

 しかし雨子は「知らない」、とでも言うようにまたそっぽを向いた。

「違うの?」

「……さぁね。君がそう呼ぶのならそうかもしれない」

「たちの悪いものを人は悪魔って呼ぶのよ」

「ボクはボクでそれ以上でもそれ以下でもないんだけど……」

「シショ」

「何?」

 僕が呼ぶと、シショは真円の目を僕へ向けた。真っ暗で何もない、全てを吸い込む黒の中にそれは浮かんでいる。

「ありがとう」

「……なぜお礼を言われるのかよく分からないんだけど……」

「僕を助けてくれて」

 すると、シショは一瞬固まったあと、その一瞬のうちに溜まったエネルギーを爆発させるように仰け反った。

「うわー! 無理! 無理です! ボクにはそんな純真なもの受け取れない!」

「シショ?」

「分かった! ボクは悪魔だ。それはそれはたちの悪いね。平気でウソを吐くし簡単に張りぼての人間を作っちゃうし気軽に人の人生に干渉したりしちゃう悪い悪魔だ」

 雨子がその横で「よく分かってるじゃない」と呟いたがシショは無視したようだった。

「というわけでボクは今から君に悪い提案をします」

「……何?」

「────『端見居人』として現世に戻らない?」

「え?」

 何を言ってるんだこの人は。と、予想だにしなかった言葉に僕はぽかんと口を開け、間抜けな顔をしてしまった。

「出来るのそんなこと? そもそも戻ったって僕は……」

「実は……君が今持っているそのキラキラから『運命の書』を復元することが出来ます」

「うっそ」

「本当です。しかもそのキラキラによって今度は確実に『最善の結末』にたどり着けます」

 ……なんだその口調、と思いながらも僕はその可能性について考えた。戻れる? 元に? こんなわけの分からないところを出て、単純明快な現世の生活に? しかも今度は幸せな人生を送れる……。それは甘い誘惑のように思えた。ぐらりぐらりと僕の心の針は揺れる。

「どうする? 戻るならここのこともさっぱり忘れて元の平凡な暮らしに戻れるけど」

「……まさに『悪魔の選択』だね」

「悪魔だもの」

 シショは半分ヤケになっているようだった。笑うシショに、僕は一つため息を吐き、そしてにやりと悪い笑みを返す。

「知ってる? シショ」

「なんだい?」

「───人間って、強欲なんだよ」


  * * * 


 柔らかな日差しの降り注ぐ、四月。桜の下、ついに来たる新たな生活に心を躍らせて、僕は校門を過ぎる。校舎の入り口の前、同じ真新しい紺色の制服に身を包んだ男女の群れがたむろしている。その中に知った顔はない。僕はその中をかき分け、張り出されたクラス分けの表から自分の名前を探す。

「……あった」

 三つ目のクラスの表の中ほどに自分の名前を見つける。一応、知った名前を探してみたがやはりなかった。そうだよな、と思い群れの中を出て教室に向かおうと、つま先に力を入れた時。不意に肩を叩かれた。

「?」

「初めまして。三組だよね? 僕も同じクラスなんだ、よろしく」

 人懐こそうな、少し童顔の少年がそこにいた。人と関わることに慣れない僕は、戸惑いながらもなんとか答える。

「よ、よろしく」

「僕、同じ中学から来た友達がいないんだ」

「あ、ぼ、僕も」

「そっか」

 彼はにこりと笑う。そして、僕へ右手を差し出してきた。

「僕の名前は田中太郎。────君は?」


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