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前編 ─運命の図書館─

 ────何度目になるか。既にそれはこの網膜に焼き付いてしまっている。青空を背景に、黒い髪をなびかせて。彼女は僕に気付かない。天を仰いだその瞬間、彼女のかかとは浮いてその姿は見えなくなる。

 音もなく────彼女は声もあげずに空の中へ消えていった。そしてそれを見ていた僕も声をあげなかった。白く奥の空に映る残像を見て、ようやく僕の口は音を吐き出す。「またか」と。それは風に流されて、誰にも届かずに消えていく。僕は何度目かの頭痛に襲われた。同じ。毎回同じだ。このじんわりとした痛みも、空に揺らめく彼女の影も……。

 目を閉じる。何も湧きあがらない感情。強いて言うなら、僕は落胆していたのだろう。でも、それすらも分からないくらい、その時僕は疲れていた。


 * * *


 僕の一番古い記憶は「痛み」である。衝撃と共にやってきた、体を引き裂かれたような痛み、そのあと感じた、地面に叩きつけられたような痛み……正確には、「ような」はいらないのだと思う。それ以前の記憶はすっぱりとない。僕がそれまでどうしていたとか、どういう家で育ったとか、そういう記憶が一切ない。「彼」によるとそれは正常な処理であって仕方のないことだと言うけれど……家族として縁の結ばれた人のことや、いたのであろう友人の名前も思い出せないというのは苦しいし悔しい。これが死ぬということか。


 ……うん、そう。僕は死んだのだ。


「目が覚めたかい」

 そう言ったのは……言ったらしいのは、目の前に立つ細長い人影。人の形をしてはいるが、道化のような衣服に包まれた体が全体としてカカシのように細いのはそれとして、少し曲がった奇抜なシルクハットの下にあるのが黒く不定形なモヤなのだから明らかに人ではない。その中に二つ、白く光る玉がじっと浮いているのが目なのだろう。さっき「言った」を「らしい」と言い換えたのは、彼に本来声を発するべき口がないからである。

「え……と」

 僕は尻餅をついたような格好でそこに座り込んでいる。全く、この状況が呑み込めていなかった。

 ──そもそもここは一体どこなんだ?

 僕の手が触れているのはザラついたフローリングだった。辺りは薄暗く、カカシのような男(多分)の背後で大きな天球儀のようなものが淡く青色に光っている。それを取り囲むように円形に何重にも本棚が置かれ、さらにそれを取り囲む壁も一面が本棚で、見上げれば吹き抜けの二階もあり、本棚はそこまで続いている。ドーム状の天井がその上にはあって、上から不思議な形状のモビールが夜空の星のようにいくつも吊り下がっていた。

「何が何だか分からないって顔だ」

 カカシがシルクハットを傾ける。僕はとりあえず目の前のそれに質問をぶつけた。

「ここは……どこなんですか」

「ここはどこかって? そうだな、どこだろう。難しい質問だ」

 彼は満月のようだった目を三日月型に変えた。多分笑ったのだと思う。僕は続けて質問する。

「あなたが僕をここへつれて来たんですか」

「うん。その質問の答えはイエスだ」

 三日月型だった目が、元に戻る。目しかないので表情というものがよく分からない。

「でも君はまず、ボクやここについてより君自身のことについて訊くべきだと思うけど」

「え」

「君は、君が誰であるか分かっているのかい?」

 僕は、答えられなかった。思えば、自分のことが何も分からない。なじみ深いはずの自分の名前すら────。

「『運命の書』、書名『ハシミ・オルト』。君の現世での名だ」

「!」

 いつの間にか、彼の手には一冊の分厚い本があった。その白手袋の隙間から見える表紙には「端見居人」の文字が見える。その時、頭の奥で何かがカチ、と抜けていたものがハマったような感覚がした。立ち上がった僕に、彼がぽつりと零した。

「変な名前だよね」

「……うるさいな」

「おっと失敬。さて、これで少し『自分』ってものが安定したろう」

 彼が言うように自己の認識が出来るようになって来たと同時に、激しい痛みの感覚が蘇ってきた。僕は身が震えた。この、この感じは……。

「思い出したかい。君は死んだんだ、オルト君」

 言われて感じたのは、驚きと言うより、「やっぱり」という納得感だった。生きていた記憶がないからだろうか、死んだことをそれほど惜しくは思わなかった。……少なくとも、その時は。

「君は多分、もうそれを実感できていると思う」

そう言いながら、ぱらぱらと彼は僕の名前の書かれた本をめくった。

「君は十七歳の秋、高校からの帰り道で横断歩道を渡る途中、信号無視の車にはねられて死んだ」

 これもまた、僕はすんなり受け入れた。合点がいった、という方が正しいかもしれない。この、体に残る痛みはその時、死の間際に感じたものなのだろう。そう納得し、そして彼は一体僕をどうするつもりなのだろうと思ったその時、衝撃的な言葉が僕の頭を打った。


「────君が十七歳で死ぬのは十五度目だ」


「……え」

 僕はゆっくりと顔を上げた。淡々とした声の主の表情は、やはりよく分からなかった。

「端見居人君。君は十五回目の『不幸な死』を迎えた」

 言葉が出てこなかった。こればかりは、すぐには受け入れられなかった。理解を逸脱している。だって、人生は一度きりのはずで。

「さっき君はここがどこかと訊いたね。そうだな……ここは、現世から離れた地。君たちの言う『あの世』とは少し違うと思う。見ての通り図書館だ。君たちの人生が記された『運命の書』が管理されている場所」

 呆然としている僕に、彼はやはり淡々と言う。はっとして、僕は周りの本棚に入れられた本を見渡した。よく見ると、背表紙に人の名前らしきものが書かれているのが分かった。今、彼の手にある本と同じように。

「人生の……本」

「そう。これは君の人生が書かれた本だ」

 頷くと、彼は本を見ながら僕の周りを歩き出した。

「君はこの『信号無視の車にはねられる』という運命を今回含めて三度繰り返し、ほかに『通り魔に刺される』が五回、『自殺』が二回、そして『工事現場で事故に遭う』が五回。いずれも十七歳で生涯を終えている」

「…………ちょ、ちょっと待って」

 足音の代わりに、床の軋む音がぐるぐると僕の周りを回る。急に寒気がした。

「『運命の書』には必ず一つ、『最良の結末』が用意されてる。大抵の人は五、六周ほどでそこへ行き着けるんだけど、なぁ」

 僕の背後で、足音がぴたりと止んだ。

「君は未だたどり着けずにいる。悲しいかな、そろそろやり直しは効かないんんだ」

「ちょっと待って……やり直しって、何」

 僕が振り向きそう訊ねると、彼の目が少しだけ大きくなったように見えた。

「あぁそうだ、そこからだった」

 人と話すことってあんまりなくってね、と目を今度は-の形にした。

「君たち人間は定められた『最良の結末』に行き着くまで、人生を繰り返さなきゃならない」

「……どうして」

「そりゃ、さ。誰だって一度は幸せな一生を送りたいものだろう」

 そうじゃないの? と言いたげに首をかしげる。……僕に訊かれても困る。

「まぁ、ほかの周回の記憶は勿論ないんだけどさ」

 まぁそうだろう。だって今の今まで僕は、人生を何度も繰り返してるだなんて知らなかったのだから。普通は誰も思いやしない、そんなこと。

「死ぬと記憶がリセットされる。君はその状態でここへ来たから一切合切の記憶が無かった。名前の情報を取り戻したことで一部は戻っただろうけど、ほかの記憶は基本的には戻らないよ」

「……どうして僕をここに?」

 大体のことは分かった。でも、一番気になるのはそれだ。僕をここへ連れてきたのは彼だと自分で言っていた。なら、何か理由があるはずだ。

「言っただろう。君はそろそろやり直しが効かなくなってきたって」

 と、彼はそういうと僕の『運命の書』を目の前に示した。厚みのある表紙はよく見ると薄汚れていた。緑色の表紙は色あせ、文字もところどころ掠れている。

「これは君の魂の状態だと思うと良い」

「!」

「リセットだって何度も綺麗にできるわけじゃないんだ」

 白い紙に鉛筆で書いて、それを消してまた書く。それを何度も繰り返していると、いずれいくら消しても真っ白にはならなくなる。それと一緒だと彼は言った。

「回数を追うごとにデジャヴの起こる頻度と長さが大きくなる。あれは魂への負担が大きいんだ。……ん? デジャヴを知らない? ほら、時々あっただろう、経験したことのないはずなのに、以前経験したことがあるような気がするやつ……って、今の君に言っても分からないかな」

 つまるところ、人生を繰り返せる回数には限度があるということだ。僕はもう既に十五度目の人生を終え、そして残り回数はあと僅か……。

「正直、周回限界までに君が『最良の結末』にたどり着ける確率はゼロに近い。このままだと君の魂は壊れて消えてしまう。だからまぁ、これは救済措置というわけで。あぁ、心配しなくても君くらいだよ、こんなの」

 ……この人は人でないからか容赦なく他人の心を抉ってくるな。と、そんな僕の表情を察したのか、彼は慌てた様子で付け足した。

「あぁ、違うんだ。何も君が悪いわけじゃない。……いや、どう言えばいいんだろう? とにかく、君の『運命の書』はすこぶる運の悪いものになってしまっていて……うん、こちら側の不手際だ」

 ……細かいことは考えない方がよさそうである。一々聞いていてはきりがない。僕はそう諦め、彼の話の続きを待つことにした。

「さて、じゃあ本題に入ろうか」

 まだ本題じゃなかったのか。だいぶ重要なことは聞いたような気がするけれど。

ひとつ提案があるんだけど、と彼は少しいびつな右手の人差し指を伸ばした。

「君、『案内人』にならないかい」

「……アンないニン?」

 って、あの『案内人』だろうか……何の?

「簡単に言えば人助け、『最良の結末』までの道先()()()、橋渡しさ。君のように……君ほどではないけど、何度も躓いている人はほかにもいるんだ。ボクも古びていく本を見るのは辛くて、さ」

「僕にそんなことが出来るの?」

「出来る出来ないは君次第。ま、君がこのまま『人』として最後まで生きるっていうのならそれはそれで止めやしないよ」

「また車に轢かれたりしにて?」

「そうなる可能性が高いな──……っていうのが現実だ」

 体に痛みが蘇る。体が思わずぶるりと震えた。……あんなの、もう二度と経験したくない。

「案内人ってのになったら……僕はどうなる?」

「君は輪廻を外れ、不確かな存在になる。『君』としての人生を歩むことはなくなるよ」

「……よく分からない」

「なってみたら分かると思うよ」

 いや、そんな無責任な……。

「ほかに選択肢は?」

「ないかな」

 即答される。嘘……では、ないか。どうしよう。断った場合、僕は恐らく元の人生に戻るのだろう。どこかの家に生まれ、誰かの下で育ち、どこかの学校に行って、誰かと友達になって……そして、恐らく十七歳で、死ぬ。きっと何もしないで、何でもない学生のまま────


 ────そんな人生、一体何の意味があるんだ?


 僕は一呼吸おいて、まっすぐに彼の目を見て答えた。

「……じゃあ、なるよ」

「お、潔いね」

 シルクハットの下に、小さな三日月が二つ浮かぶ。その時僕にはさらにその下に、それとは上下反対の大きな三日月が一つ浮かんでいるように思えた。彼の手の中で、僕の本がメラメラと蒼白い炎を上げた。燃えて、無くなっていく。溶けるようにそれはあっという間に消えていった。あとには灰すら残っていない。僕は少しだけ、体が軽くなったように感じた。

「契約は完了した。歓迎しよう、オルト君。ようこそ我が図書館へ」

 手を広げ、そして紳士らしく恭しいお辞儀をする。彼がその真っ暗闇の顔を上げたところで、僕は一つ聞き忘れていることがあったのを思い出した。

「そういえば名前、聞いてなかった」

「名前? あぁ、ボクのか。うーん、ここじゃああまり名前は意味を為さないからね。ボクに正確な名前はないんだ」

「じゃあ、何て呼べば?」

「君の好きなように呼んだらいいさ。でもそうだな。名乗るとするなら、シショ。そう今は呼ばれてる」

「シショ?」

「深い意味はないよ。図書館にいるからシショ、くらいに思ってるし君もそう思ったらいい」

「……じゃあ、シショ」 

「うん。それじゃあ図書館を案内しよう。ついておいで」

 頷いて、シショは先に歩きだした。円形に置かれた本棚は、壁に近いほど高くなっていた。天球儀のある中心が一番低くなっているようだ。本棚と本棚の区切れは四か所あって、それぞれの間を進んだ先に重そうな両開きの扉があった。ここは多分図書館の中心だ。……一体どれくらいの広さなんだろう。

 シショが歩いて行った扉の取っ手の右横には「Ⅰ」と何かで引っ掻いたような文字が刻まれていた。なるほど、一応扉には印がつけてあるようだ。親切である。扉の先は廊下だった。窓はなく、壁には等間隔にお洒落な燭台がついていて、そのロウソクがその空間を橙色に照らしていた。幻想的、というか不気味、というか……。ロウソクの光を受けても、やっぱりシショの顔は真っ黒だった。光すら吸い込んでしまう闇。あの顔には果たして触れられるのだろうかと、ふとそんな興味が湧いたがそんな勇気はとてもない。 

 ────そういえば、僕はさっき何かに引っかかったような気がしたのだけど、何だっただろう。何だったかな。不思議なことばかりだと、一々何に引っかかったのかも分からなくなってしまう…………。

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