怖がりな二人の話
彼は危ない人だ、と人は声を揃えて言う。
ふらりふらりふらり、
脱色のし過ぎで真っ白な髪を揺らす彼は歩いているだけなのにどこか官能的で。心底怠そうに流す目線は人々を一瞬で蠱惑させる力を持っている。薄い唇からチロチロと覗くのは真っ赤な舌と、その中央に存在する銀色のピアス。
彼が発した音は恐ろしいほどに鼓膜を刺激するし、彼の吐息は狂いそうになるほど甘い。
そんな人間離れした彼が、
「…あんた、死にたいの。」
いつものように屋上の隅っこで寝転がっていた私が見たのはフェンスを越えて空を見ている異質な彼の姿。
思わず声をかけてしまうほどに、その姿は儚かった。
まるで今にもふありと、飛び降りてしまいそうなほど。
その白い頭がゆたりと回る。
「……死にたいと、思うかァ?」
その危険な流し目で私をみる彼。
その声に、すこし身震いする。
喉が震えそうになるのを抑えて、ため息を吐いた。
「どっちにしろ、ここで死ぬのはやめて。」
「あァ?」
「気分が悪いから。」
「ほォ、んじゃ、やめっかァ。」
ふらりふありはらり
白が秋風に揺れる。
なんてことないように高いフェンスを越えて、こっちに戻ってくる。
「んん、千博、だっけかァ?」
「…名前、知ってたの。」
「お前は何かと有名人よォ?」
「あんたに言われても、ね。」
「あんた、じゃねェだろォよ、俺の名前知らねェ?」
「…知らない。」
「あーらァ、残念だなァ。」
彼はちょっと目を細めて、舌をチロチロと覗かせて笑った。
銀がチラついて、眩しい。
「俺、七重っつーの。」
「ふうん。」
「じゃ、ちィちゃん、これからは有名人同士、よろしくなァ。」
「ちィちゃん?」
「千博、だから、ちィちゃん。」
「ふうん。」
「きひひひひ、つれねェ奴だなァ?」
「あ、そ。」
「そーゆー態度取られるとよォ、食いつくしたくなるからやめろよなァ。」
ニタァと獰猛に笑って、私の体を視線で捕らえる。
どうにもならないような妖艶さに腹がたつ。
「…しね、」
「じゃ、殺せよォ。」
す、と見つめれば、なんだ、
「なんで、そんなに嬉しそうに笑うの。」
いつもみたいな危険な笑みじゃなくて、誰かを蠱惑するうな艶麗な笑みでもなくて、
ただの高校生らしい、くしゃりとした子供っぽい笑顔。
きひひ、と彼は笑う。
「ちィちゃんが殺してくれたらよォ、俺この世に未練ねェわ。」
「…私はぜったい嫌。気分が悪くなる。」
「きひひひひ、つれねェ奴だなァ?お仕置きしてやらねェと。」
そういって彼、七重は、一歩で距離を詰め、
私の首筋に噛みついた。
「…っい、」
彼の歯が私の肌に食い込む、痛い、プツリと音がした気がした、熱い、痛い、彼の舌が私の肌をなぞる、痛い、
抵抗すら、できない。
何時間のようで、数秒だった。
七重はそっと顔を上げて唇をテロリ舐め上げた。
「ちィちゃんが俺のもんっつう、し、る、し。うれしーかァ?」
赤い舌をチロチロと覗かせながら、笑う。
年相応のくしゃくしゃな笑みが、ゆたりと人を惑わす艶やかな笑みに変わっていく。
「…うれしいなんて、言うと思う?」
「これが消えねェ間は、お前は俺のもんだなァ。」
きひひひひ、と笑う。
近寄るな、危険だと思わせるような、危ない笑みを惜しげもなく晒す七重。
「最悪。」
「またつれねェこと言うなら、今度はキスでもしてやるかァ?」
「……」
「きひひひひ、んな身構えんなよォ。やらねェよ。」
瞳孔が開いた目を細めて、笑う。
今度はあの、人を蠱惑するような、そんな笑み。
そんなに人を蠱惑して、
七重はどこに行きたいんだろう。
ぽつり、こぼれ落ちた。
「…明日も、ここにくる?」
七重は、すこし、固まった。
目をしならせる様に細めて、口だけで笑う。
「…千博に、会いに来てやろうかァ?」
また白が揺れる。ふわりふありゆらり。
「…七重。」
真似するみたいに笑った。
「んあァ?」
「明日、きてね。」
そして、この私に軽い気持ちで触れてきたことを後悔すればいい。
首筋の痛みに意識をやる。
濡れた部分が秋風で冷えて肌寒い。
痛い、痛い、痛い、痛い、
痛くて、
震えるほど、歓喜した。
誰でもよかったんでしょう。
それにしても相手が悪かった。
この私を七重自ら七重のものにしたんだもの。
三神 七重にずっと前から心底焦がれていたこの私に。
***
「・・・ちゃ・・・ん、」
「お・・・ん、起き・・・ちィ・・・、」
「ちィちゃーん、起きろよォ、」
ふ、と目を開ければ、目の前に七重がいた。
泣きそうな顔をした、七重がいた。
寝転がった私に覆いかぶさる様にして、崩れかけた笑いを見せた。
「お前は、バカだなァ、」
「…失礼ね。」
「千博、」
「ん?」
「これ、…何してんだよォ?」
指差すのは、昨日七重が付けた印。
緩く開いたカッターシャツの襟から見えるその傷は、
「こんな、千博、なァ、こんなこと、しちゃ、ダメだろォよ、」
ズタズタだった。
七重は動揺したように目を揺らす。
口だけで忘れかけたように笑いながら、私の名前を呼ぶ。
私もつられてあげる様に笑ってみせた。
その笑顔を見て、七重は1度目を伏せて、ゆっくりと崩れかけでも嫌になるような妖艶さで、薄っぺらく笑う。
何故ズタズタかって、私がそれを、消えないものにしたからだ。
昨日帰ってから印をなぞるようにカッターで切り刻んでやったのだ。
痛かった、だけど、ねえ。
七重。
私、そこまでするほど、
「…おれのもんが、そんな嫌かァ?」
ずっと七重のものになりたかったんだよ。
「…七重は、バカだね。」
もう一生消えない、七重の印。
「・・・私みたいな奴に、こんなもの背負わせるからダメなの。」
「っ千博、」
「もう死のうとするなんて、許さない。私を手放すのも、許さない。」
七重が目を見開く。
貼り付けた笑みは、もうそこにいない。
これが、本当の、七重でしょう?
それだけで、
あぁ、涙が出てきた。
溢れた水がこめかみを伝って、ゆっくり落ちていく。
「ずっと七重に、触れたかった。名前を知らないなんて嘘。なんだって知ってる。今だって、触れたい。七重のこと愛してるの。七重が見るもの全部、壊してやりたいぐらい。すき、すき、だいすきなんて言葉じゃ足りないはずなのに、溢れてきて、仕方ないの。七重の回りにいる奴等なんて、いつも殺したいと思ってた。七重のこと何処かに閉じ込めて隠しておきたいって、ずっと思ってた。
ねぇ、なんで、我慢してたのに、ずっとずっと隠してたのに、なんで、なんでこんな、七重、あんたってほんとバカ、」
カッターで七重の痕を残すたび、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
ねえ、これで私、あんたのものになれた?
「お願い、私のこと貰ってよ。嫌なら、殺してよ。七重が死ぬなんて許さないけど、七重が私を殺すなら、私この世に未練なんてないの、」
視界いっぱいに広がる青空の真ん中で、七重が静かに私を見つめる。
こんなに捨て身じゃなきゃ、あんたに思いを告げるなんて許されないと思っている。それくらいの愛なのだ。
ねえ、バカなあんたに教えてあげる。
「七重、…好きだよ、」
きっと七重は私を選ばない。
だから最後に思い切り告げるのだ。
最後くらい、最後くらい私に少しでも囚われればいいのだ。
「七重、ななえ、っ、好きだよ、っ」
涙が邪魔で、七重がよく見えない。
何重にも乱反射で重なる世界の中で、
七重が笑った気がした。
「・・・ちィちゃんってよォ、」
「かわいすぎだろォが。」
は?
寝転んだままの私をそっと抱え起こして、驚いたまま力が入らない私に、流れるようにキスをした。
涙が止まる。
「なにィ?俺ら両思いだったっつーことかァ?きひひひひ、なんだよ、先に言えよなァ。」
「…へ?」
「閉じ込めてどこかに隠しておきたい、だァ?奇遇だなァ、俺も同じこと考えてたんだよなァ。」
チラリチロリ、舌舐めずり。
顔を合わせて笑って見せる。
そして膝の上で私を横抱きにして、痛いほど強く抱き締める七重。
わからなくて、わからなくて、そっと腕に手をかけるとゆっくり離れてくれた。
目を合わせる。
「ど、ゆ、こと?」
「お前みたいな奴が今まで何で平穏に暮らせてたか考えてみろよォ。」
「…私みたいな奴?」
「だから、俺いっただろォ?お前は何かと有名人だってなァ。」
嫌われ者で有名なのは知ってるよ。
眉をひそめると、七重は仕方なさそうに笑った。
「千博も案外バカだよなァ?」
「…平穏に暮らせてたのは、当たり前じゃないってこと?」
「俺が勝手に言いふらして、勝手に守ってたんだから悪ィことしたなァ。でもま、気づいてなかったっつーことは、して正解だったみてェだなァ。」
「言いふらす・・・?」
「お前は俺のもんだってなァ、手ェ出さないでねってことをちょっと言っただけだけどよォ、案外回るのはえェよなァ?」
また、キスをする。
驚きでまた思考が止まる。
舌が侵入してきて、すこし苦しくて涙が出た。
なにが、なんだか。
「俺が、千博のこと、好きだって、知ってたかァ?」
「……っ、え、」
「俺だけの片想いだと思ってたけどよォ、」
わからない思考の中で、涙だけ溢れた。
「ほんとう?」
「なァ、お前がバカだよ、気付くの、おせェんだよ、」
「そんなの、」
「俺はずっと、お前しか見てなかったじゃねェか、」
「七重、」
染み渡る様に言葉が落ちて、
体に伝わっていく、
どうしたってこの男が好きだった。
「なんだよ、もっと早く捕まえりゃよかったじゃねェか。」
すがり付くように首に腕を回して、抱きついた。
あぁ、やっと。
私の、七重。
七重は、少し涙を浮かべながら笑った。
「俺が貰ってやるからよォ、千博、」
「ん、っうん、」
「お前も、俺を貰ってくれるよなァ。」
「・・・っうん、っうん!」
そして、また、キスをする。
交わる目線
絡み合う腕
離れぬ唇
ひとつになる影
そして、刻まれた所有印
ほら、もう怖くない。
(怖がりな二人のお話。)
(蠱惑して、蠱惑され、そして堕ちる。)
***
彼女は危ない人だ、と人は声を揃えて言う。
ゆらりゆらりゆらり、
甘美な匂いを纏わせて真っ黒な髪を揺らす彼女は歩いているだけなのにどこか官能的で。ふいに流す目線は人々を一瞬で蠱惑させる力を持っている。すこし厚めで真っ赤な唇は思わず食らいつきたくなるほどに妖艶で。
彼女が発した音は恐ろしいほどに鼓膜を刺激するし、彼女の吐息は狂いそうになるほど甘い。
そんな彼女は、
「あァ、やっと俺のモンだ。」
白い蛇は笑う。
「もう一生離せねェなァ?」
黒い宝石を守るように巻き付いて、笑う。
高校生のときに書いたものを手直しして上げました。あの頃にありがちな、死に対する異常な軽視感と全部を捨てる覚悟の恋愛。私はあのバカさがとても恋しいです。
***
余談
千博は嫌われてないです。七重のものって噂があったから、彼のお怒りに触れないように誰も近寄らなかっただけ。またその噂がなくても近寄りがたい雰囲気を持った彼女でした。
七重は昔から早く大人にならなきゃいけなかった、ただの男の子。そのアンバランスさが色気を生んでたっていう裏設定があります。