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革命は胎動する


 太陽はたなびく雲の向こう側にその身を沈め、薄暗い学校を吹き抜ける風はますます冷たさを増していた。

 そして、そんな校舎の陰に立つ人影がふたり。

 

 

「僕が、野球を出来ているか……だって?」



 僕は、しずしずと少女の方に顔を向ける。

 夕陽を背にして立つワンピース姿の少女は、逆光になってその表情を知る事は出来ない。

 いったい今、少女は何を問うているのだ? 



「ごめん、何の話だい?

 今言ったけど、僕は野球の練習があるんだ。もう戻るよ……」


「少年よ。私の見るところ――」



 少女はいきなり口を開いた。その語りは、気のせいか先程よりも芯の通る、清廉さの中に深みを含んだ声になっていた。不思議と、聞いてきて心地のよい声だ。

 だが、そんな声とは裏腹に――



「君は"搾取"されている。憐れにも権力に使役される、哀しき奴隷(プロレタリアート)だ」



 少女の小さな口が紡ぐ内容は、いよいよ混迷を極めていた。



「…………………………………、

 なんだって?」

 

「ふむ……聞こえなかったであるか?ならばもう一度述べよう。

 今の君は、悪辣非道な豚共に洗脳され利用される、どこまでも悲惨でおぞましい一匹のあわれな仔羊だと言ったのであるよ」

 

 

 ちょっと待て、さっきよりひどくなってないか?

 いきなりこの娘は何を言っているんだ……僕が、あわれな仔羊だと? 何の事だ。ワケがわからない……。

 

 しかし、僕はその場を逃げる事も忘れて、そこに立ち竦んでいた――少女の言葉には、その内容に関わらず思わずその続きが聞きたくなるような、奇妙な"魔力"のような力が宿っていたのだ。

 

 

「……すまない、いきなり失礼な事を述べたであるな。無礼を詫びよう」



 少女は右手からすらりと伸びる5本の指を蠢かし、おもむろに顎を撫でた。



「少年。君は今、野球の練習をしていると言った。私の聞いたところによれば、9人だったかで硬く小さな球を投げ合い、バットなる棒で打つ――そんな球技であった筈だ。

 そして、その球は非常な高速に達するがゆえに、投手や捕手は専用の皮の手袋を着用していると聞いた。

 成程、スポーツ選手が安易にその"価値"であるところの肉体を痛めるわけにはいかないのであろうな。

 だが、少年……今の君の手は泥にまみれている。切り傷も目立つ――まことに痛々しい。

 およそ、スポーツをする者の手ではない」



 僕は自分の右手を見た。確かに僕の掌はボールに付いていた泥がべったり貼り付き、ところどころ小さく切れている。ウチの部に、「雑用係」に持たせるだけのグローブなど無いのだ。

 しかし、この少女は数十秒にも満たない今のやり取りの内で、そんな細かいところに目をつけ……

僕の背景、境遇を想像するに至ったというのか。



「……そうかもね。

 で、それが……、何なんだ。何を言いたいんだ、キミ」



「先程言ったであろう? 

 その手は、スポーツをする者の手ではない。つまり――、」

 

 少女は言葉を切り、

 

 

「スポーツの球を拾う"雑用"に従事させられ、まともな用意も無しに酷使されている者。

 すなわち、労働者(プロレタリアート)の手だ」



「……ぷ、ぷろれたり、あーと……だって?」



その通り。(ダー)

 まったく、何と言う愚かしい時代であるか……かかる少年さえもが資本主義・個人主義という怪物に呑み込まれ、順調に権力に仕える奴隷としての生き方を仕込まれている。教育システムは今や権力に都合の良い奴隷を生産する洗脳工場にすぎない……。

 ああ、革命の日は未だ遠いのであるな……私は涙に堪えない……」


「……え、何? 今、何て?」


「おお、済まない。つい感慨に耽ってしまったである。

 とにかく――私が言いたかったのは。君は恐るべき事にも愚鈍で狡猾な悪魔の罠に掛かり、既に息も絶え絶えの憐れむべき毛虫だと言う事であるよ」



 ついに毛虫にまで落ちてしまった。


「け、毛虫って……

 キミに、僕の何がわかるんだ」



「手に取るように判るとも。君のその、苦痛に濁った眼を見た時から判ったのであるよ、少年。

 なにしろ君は今、過酷なる重労働に君の肉体を害され、君の時間を奪われ、そしてついにその人間性までもを剥奪されつつある。

 そして、それを疑問に思う己れとそれを受容しようとする己れの間で葛藤し、結論を出せないままでいる」

 

「な――――――」



 なんなのだ、こいつは。

 僕が、人間性を剥奪されつつあるだって?

 そんな事――

 

 

「……………………それは」

 

「……違うであるか? 違うならば違う、と言ってくれ。すみやかに私の稚拙な誤解をあらため、大いなる失礼を詫びようではないか……。

 だが。もし、私の突飛な憶測が僅かでも当たっているならば――」

 

 少女は髪を払った。燃えるような紅い髪が宙を舞い、微かな夕陽を散乱させて宝石のような光を投げかける。

 

  

  

「"答え"を教えよう。この果てしない壁を打倒する、唯一の答えを」

 

  

 

「……、答え、だって?

 何を、わかったようなコト」

 

「……聞きたくないであるか?

 ならば済まないな、私はここを去るとしよう。騒がせてしまったであるな」

 

 

 そう言うなり、少女はくるりと踵を返した。

 そのまま、校門へと延びる通路をすたりすたりと歩いていく。

 

 一体全体、何だったんだ?

 

 僕の頭を支配しているのはただ、この言葉だった。

 つい数分前に唐突に現れ、意味深な言葉を投げ掛けてきた……そして今、あっさりと消えつつある少女。彼女の語る内容は、1mmも理解できない奇怪な事柄ばかりだったが――

 

 その言葉には、言い知れぬ重みがあった。

 僕のすべてを見透かし、受け止めているような奇妙な"説得力"が宿っていた。

 

 

「待って」



 無意識に、僕の咽喉のどは少女の背中に向けて叫びを振り絞っていた。



「待ってくれ……"答え"って、何なんだ。

 この、どうしようもない状況をなんとかできるっていうのか……君の言う、答えって言うのは……」




「オイ1年!! 何やってんだお前!!!」



 不意に、背後から浴びせられた大音声に僕は肩を竦める。

 

 

「お前だよ、お前!! 何サボってんだよお前、聞いてんのか!!!」



 僕はおそるおそる首をそちらに向ける。

 そこに立っていたのは藤島コーチだった。眉間に深い皺を寄せ、目をこれ以上無い程に絞って僕を睨み付けている。

 滅多に見ない、本気の激怒顔だった。僕はその場に硬直し、何か言う事もままならない。

 

 その時、どこからか声がした。

 

 

「"革命"は……、君が思っているほど困難な事では無い。マッチを擦るように、火打石を叩くように……ちょっとした火を起こしてやるだけでいいのである。

 もし、こんな日常を変える事なんかとても出来そうにない、そう見えるのならば……それは、権力者共が眠れる君達にヴェールを被せ、視界を閉ざしているだけにすぎない。

 だが……仮にその手元が見えなくとも、そこに君の手がある事は間違いない筈だ。君の脚がある事は、間違いない筈だ」

 

 

 風に乗ってかすかに届く声――紛れも無く、少女の声だ。

 

 

「手足はある。ヴェールを払うのは君次第だ。

 闘うまでもない。君は、ただ立ち上がるだけでいいのだ――

 立ち上がれ、少年よ」

 

「………………立ち上がる?」


然り。(ダー)立ち上がれ。立って、ヴェールをかなぐり棄てろ。

 革命の本質とは、権力者を打倒する事でも体制を転覆させる事でもない。それらは単なる結果である――

 ただ、君達が立ち上がろうと"思う"事、それが革命なのだ。それだけなのだ。

 

 

 故に、立ち上がれ(フスターニ)立ち上がるのだ(フスターニチェ)、奴隷なる少年よ」


 

「……待って、立ち上がる、って――」

 

 僕は思わず周囲を見回したが、既に少女の姿は夕闇に消えてしまっていた。

 

 

「おい1年、ボール取りに行くのに何遊んでんだ?

 なあ、俺、怒ってんだけどさあ。わかんない?」

 

 

 藤島は、眼前に迫っていた。

 口に半笑いを浮かべてはいるが、相変わらず目に敵意を滾らせたまま、首を仰け反らせて頭上から僕の顔をじろじろと見下ろしている。相手を限界まで威嚇し、委縮させるためだけのポーズだ。



「1年、あのさあ日本語分かるか? 返事できない?

 お前さ、お前みたいなのが練習いるとスゴイ迷惑なんだよねぇ」

 

「…………」


「やる気ない奴がいてもさ、迷惑なんだよ。な。

 あのさ、お前さ、やる気無いならさ、……今すぐ帰ってくんねぇー?」

 

 

 藤島はドスの利いた声で語尾を上げる。「やる気ないなら帰れ」は、説教をぶつ時の藤島の常套句だった。勿論、生徒は「すみません。練習させてください」というお決まりの文句を吐かされる事となる。

 

 

「なぁ、帰れよ」

 

 

 藤島はますます声を張る。耐え難い威圧感を持った大声が、凄まじい重量で辺りの空気を圧し潰していた。

 しかし、僕はその雄叫びを浴びながら、味わった事の無い感覚を覚えていた。

 

 怖くない。

 

 藤島は、ただ猛犬のような大声量で僕を脅しているだけだ――ただの、それだけだ。

 今思うと、あの少女の語りには、人間を支配する不可思議な響きが備わっていた。僕の心を見透かすような妖しい能力(ちから)があった――

 この男の薄汚い唸り声には、それが無い。

 

 

「なあ、聞いてんのかお前? 帰れ、っつってんだけどさぁ。

 オレ困るなぁ、マジで日本語分かんないかなぁ!?」



「帰ります」



「あぁ!?」



 藤島がさらに猿のような声で喚き立てる。

 だが、僕は構わず繰り返した。

 

 

「わかりました、帰ります。

 お疲れ様でした」



 そう言って、僕は藤島の横を通り抜けた。

 雲に隠れていた夕陽はいつの間にか顔を覗かせ、辺りを燃えるような赤色に染め上げていた。




次回更新は今週末になります

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