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少女は質問する



「あの、何て?」



 僕の声が夕方の冷たいそよ風にかき消されていく。少女は、しきりに周囲を見回したかと思うと急にこちらに向き直り、声を上げた。

 

 

「で、あるから。

 ここはどこなのか、そして私は誰なのか教えて欲しいのであります」

 

 

 少女は問いを繰り返した。琴の音のような、どこまでも透き通った声だ。

 僕は少し考えて、ひとつの結論に達した。

 

 

(ひょっとすると、これは関わったらいけない人間というやつだな)



 

 既成の価値観が急速に破壊されていく今の世の中で最も警戒するべきは、意思疎通不能者ディスコミュニケーションである。「常識」なる幻想が打ち破られ、個人主義と多様性の爆発する現代において頻繁に発生するコイツは、もはや災害に等しいと言って過言ではない――。

 


「ここは、五星高校だよ……ごめん、僕は今ちょっと練習で忙しいから、他の方に聞いてもらえると嬉しいな。ごめんね」



 僕は子供と言えど礼節を失さない最低限の応答でその場を切り抜ける事にした。おそらく、正門の向こう側には帰宅途中の生徒や教師が少なからずいるはずだ。面倒は他人に任せるに限る。

 だが、少女は予想に反して粘りを見せた。

 

 

「イツツバシィ・コーコー……ですか。はて、ここは一体……?

 ところで。繰り返すようですまないのであるが……それでは、私に見覚えはないのですな?」

 

 

 私を知らないか?

 なんという哲学的な問いであるのか。「私」を最もよく知っているのは「私」のほかにいるはずは無い。一体彼女はどのような心理で、私の情報を僕に尋ねるのか?

 僕はまじまじと少女の顔を見つめる。紅い髪に隠された顔立ちは日本人離れして整っており、鋭く光る大きめの瞳が見る者に強い印象を与える容貌だ。こうして見ると、どこかで見た顔にも思えてくる。そう遠くない昔にどこかで見た、記憶の底にある顔だ――だが、どこだったかは思い出せない。

 

 

「ごめん、何の事だかわからないんだけど……」


「ふむ。そうか、私は貴方の知人ではないのか……

 ……一体、私は誰なのだ?私の意識は確かに私である、だがこの少女の身体と異国の情景は私のものではない……そして、私が立っていたここにいる者らの知る者でもない。私は、今ここで私について考えている私は……」

 


 少女は顎をさすりながら、もごもごと口を動かしている。どうやらこれではっきりした――相手は僕の想像を超えて関わるべきではない相手である。僕は手早く要件を済ましてしまう事に決めた。

 

 

「ごめんね、キミの足元のボールを取ってもらえると嬉しいんだけど……」



 少女ははたと気付いたように足元を見る。少女の右足の側には先ほど転がっていった硬球が静止していた。少女はボールを拾い上げると、夕日に掲げてまじまじと観察を始める。

 

 

「……これでありますか? ふむ、不思議な形状だ。見た事が無い……

 いったいこの縫い目は何なのだ……?何かの意匠か、あるいは何らかの機能があるのか」



「えっと、ただの野球のボールなんだけどな……」

 

 

野球ビェィズボール

 

 少女は言葉を反芻するように呟いた。

 


「そういえば、聞いたことがあるの……確か、アメリカで流行っている球技であったか。

 となれば、ここはアメリカの何処かと言う事か……? 言われてみれば、街中にも英語が散見された……。

 だが、見掛ける人々はいずれもアジア系の顔立ちである。アメリカには世界中から凄まじい勢いで移民が押し寄せていると聞くが、ここはアジア系移民によるアジアン・タウンというワケか……? となれば、このイツツバシィ・コーコーなる施設はさしずめ……」

 


「とにかく! ボール、欲しいんだけど……練習、あるから」



「練習? ……まあ、それならボールを返すに吝かではないが……」



「ならいいよね? ごめん、本当に急がないと」


 僕はそのまま少女に近付きボールを強引にもぎ取った。

 

「それじゃ、ごめんね」


 僕は踵を返し、練習場へ戻る道をとった。


「……少年」



 後ろから少女の声が追う。僕はきっぱりと無視して、足早に――

 

 

「少年よ。君は、本当にその『野球』を出来ているのかね?」




 僕の足は止まっていた。

 太陽はますます地平に近付き、僕と少女の長細い影を通路に投げかけていた。

 


 

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