098.超獣戦士イゴレフィスター
イジョラの兵士たちは土砂の撤去を命じられると、のろのろとこの作業に取り掛かる。
誰も好き好んでこんな重労働をするわけではないが、貴族よりの命令であれば仕方がない。
兵士はこんな苦労をせねばならない我が身の不運を嘆きながら、自分の腰ほどの高さがある岩を押して除けようとする。
転がせば、なんてことを考えていたのだが、押した感じ、絶対に一人では無理だとわかった。
「おおい、誰か手伝ってくれ」
「ああ、いいぞ」
背の高い男が、そう言って手を貸してくれた。
「悪いな、じゃあそっち持って……」
「いや、一人でいい」
「は?」
男は両手で岩を抱えると、大した力を入れたとも思えぬ姿勢でこれを軽々と持ち上げたではないか。
「す、すげえなおい! よし! ならそっちに放り投げてくれ!」
「そっちだな、わかった」
と背の高い男は、兵士が言った場所とはまったく別の、魔法使いが魔法で土砂を除けている場所に向けてこれを放り投げた。
やたら軽い、くしゃっといった音と共に、魔法使いとその側で作業していた兵士が岩で潰れた。
「いや投げるのそっちじゃないって」
「そうか? これでいいと思うが」
「……ああ、もしかして、敵、さん?」
「そういうことだ。てか、着てるもの見てすぐに気付こう、そこは」
「そうは言うがなぁ、俺なんてしがない農民上がりだし。見逃して、くれ、ないかな? 無理か?」
「ここは戦場で、君は兵士だ。諦めろ」
そう言って背の高い男、イェルケルは兵士の胸を剣で刺し貫いた。
同時に起こった騒動で、土砂の撤去を行っていた魔法使いが四人、更に犠牲になっていた。
イェルケルは視線の先にいる騎乗している男を睨み、言った。
「見逃す? 覚えてるぞお前ら、砦に最初から来てた連中だろ。せっかくの偶然と因縁だ、ここできっちり清算させてもらうさ」
イェルケルは一直線にその敵将目掛けて突っ込んでいった。
レア・マルヤーナの前に、兵士で壁を作った魔法使いが一人。
「はーっはっはっは! やっぱり来たか! 馬鹿めが! この私がいる限りカレリアの田舎魔法使いなぞに後れを取るものかよ!」
魔法使いは目の前に立たせた兵士に手を触れ、妙に堂に入った様子でぶつぶつと言葉を呟く。
おお、と思わず見入っているレア。そして手を出さぬ兵士たち。
「これぞ我が秘術! 超獣戦士イゴレフィスターなり!」
魔法使いが触れていた戦士が、見る間に巨大に膨らんでいく。
鎧が弾け飛び衣服が千切れるも、代わりにその全身を生え伸びる剛毛が覆っていく。
さしものレアも、これには言葉も無い。
生まれて初めて見る高位魔法であるのだから無理も無かろう。
それでも、体積の変わらぬ変化ならばまだ理解の範疇であろうし、気持ち悪いで済む程度だったかもしれない。
だがこれは、体積すら明らかに変わってしまっている。
体内から何かが常に生じ続けており、これによりどこまでもその体は膨張していくのだ。
おぞましい。人の理から逸脱したありように対し、人が真っ先に浮かべるのはそんな感情だろう。
周囲からはさんざ人外認定されてきたレアであったが、こんな自然の摂理をすら踏み躙るようなあり方は、レアの知る強くあるための何かではない。
超獣戦士とやらはおよそ人間の倍ほどの背丈でその成長が止まる。
人の倍の背丈と、それが不自然に見えぬぶっとい手足に胴体頭部を持つ、巨人へと変化したのだ。
熊よりも一回り以上大きいだろう。
となれば、自然界にこれほどの巨体を持つ生物はそうはおるまい。
「よーしよしよし! 今日は絶好調だ! これだけ巨大な変異ができるのは私ぐらいだろうな! さあ! お前も魔法を見せてみろ! カレリアの田舎魔法がこの私のイゴレフィスターに通じるわけがないがな!」
超獣戦士イゴレフィスターは魔法使いの指示に従い、レア目掛けてまっすぐ突っ込んでくる。
これを暴れさせるつもりであったので、レアの周りに他の敵は居ない。
完成するまではひとごとのように見守っていたレアであったが、これが走ってくるとなるとそうも言っていられなくなる。
はっきりと言ってしまえば、かなり怖い。
見上げんばかりの巨体が、大地を揺らしながら走り迫ってくるのだ。
それだけでも十分な恐怖があろうが、この巨人、命令に従い、はっきりとした殺意をレアへと向けてくるのだ。
つまりこの未知のバケモノは、一つ恐るべき可能性を秘めている。
『コイツ、にん、げん?』
人間だから殺すのに躊躇するといった話ではなく、これだけの巨体をもつ存在でありながら、魔法使いの指示を聞く知能を持った、人間の延長であるのではということだ。
初撃。レアはこれで判断しにかかる。
巨人は助走をつけた勢いで足を振り上げる。
『人間、だ、ね』
今の自分の体で、レアに対し最も攻撃しやすい手段を選んできた。
レア、恐ろしくはあるも冷静さは失わず。
巨人が後ろに振り上げた足を前方へと伸ばしにかかった瞬間、動く。
人の体と似た造りなら、その挙動も似たものになるはず。
果たして、レアへと迫る巨足は人間の骨格がそうできているように、まっすぐ前方へと伸びてきた。
レアの右方より強き風が吹き付けてくる。
空振った足が生み出したものだ。レアの髪がこれで靡くぐらいには勢いがあるが、そんな程度で体勢を崩してやるほどレアはお優しくはない。
背後に回りこんで、巨人の軸足の方にいつの間にか抜いた剣を打ち込む。
折れこそしなかったものの、剣は肉を切らず。
巨人の足を覆っている剛毛の表面を、剣は甲高い音と共に滑っていった。
レアは剣の起こした結果を見てすぐ、今度は真上に目を向ける。
ちょうど巨人が振り返ってこちらを見下ろしてきたところだ。
レアは急いで巨人から距離を取る。
実に厄介な相手だ。
斬るために踏み込んでしまうと、サイズの違いから巨人の顔を見るのに一々真上を見上げなければならない。
これは、近接戦闘を行ううえで致命的なものだ。
相手の視線がどこを向いているかを確認できずに戦い続けるというのは、レアほどの達人からすればとんでもなく不利な条件となる。
相手が素人であればもちろん、達人であってすらその視線の先がどこに置かれているのかという情報は重要だ。
敵の視覚をいかに誤魔化し裏をかくか。それは剣士が当たり前に考える戦い方であるのだ。
ましてや巨人との体格差を考えるに、レアでは足が触れただけでふっ飛ばされてしまいそうで、常よりもその動きを読む必要性が高い。
レアは一定の距離を保ちながら、巨人からの攻撃を丁寧にかわし続ける。
魔法使いは苛立たしげに怒鳴る。
「いつまで遊んでいる! さっさと殺してしまえと言っているだろうが!」
そう叫ぶ魔法使いに向かって、レアはこれみよがしに舌を出してやる。
彼は、即座に発狂した。
すぐ前に居た兵士に、再び巨人と化す魔法を唱える。
こちらは怒りで集中が乱れでもしたか、最初の巨人と比べて多少背丈は小さくなっている。
それでも危険度は全く落ちてはいないが。
「アレを捕まえてこい! 手足を千切ってもいいが殺さずにな!」
二体に増えた巨人に対し、レアはただひたすら逃げに徹するしかない。
小さい体は伊達じゃない、とばかりにひらりひらりと巨人たちの手から逃れ続けるレア。
巨人の手も足も、かわすにはその全身が攻撃範囲から逃れなければならず、剣を避けるのとは全く別の技術が必要になるのだが、レアがそれを苦にしている様子はない。
走る速度の加減速で全ての攻撃を凌ぎきっている。
苛立たしげな魔法使い、必死に走り続けるレア、右往左往しているようにしか見えない巨人二体。
そんなある種滑稽な景色に変化が生じたのは、乱入者の存在のせいだ。
四足疾走する野の獣の如く地面を駆けたその影は、巨人の一体の足元を通り過ぎる。
ぐらりと巨人の頭部が揺れた。
疾駆した影、アイリ・フォルシウスが巨人の片足首を骨まで斬り裂いたのだ。
倒れ落ちてくる巨人のぶっとい首を、アイリはこちらもまた一刀で斬り飛ばしてやった。
「なんとも恐ろしき敵がおるなレアよ。だが、この程度で何をてこずって……」
アイリはそう言いながらレアを見やると、彼女の表情から何をしていたのかに気付く。
「むっ、これは、もしかして余計であったか?」
くすくすと笑うレア。
その顔は、アイリではなく魔法使いへと向けられていた。
「余計、ってほどでもない。でも、もう少し引っ張って、得意絶頂のところで、落としてやりたかったかな」
アイリがそうしたのと全く同じやり方で、レアももう一体の巨人を簡単に仕留めてみせた。
魔法使いの目が驚愕に大きく見開かれるも、起こった現実は変わらない。
苦々しい顔でアイリ。
「悪趣味め」
「魔法、よく知らないから。いろいろ、見ておこうと思って」
「ふむ、確かに。あちらで見た魔法使いは岩だか火だかを飛ばす程度しかできなかったようだし、コレはもしかしてそこそこできる魔法使いかもしれんな。おい、そこな魔法使い。待っていてやるから何か他の魔法があるのなら早う使えい」
憤怒の表情の魔法使いは、怒りに我を忘れたせいか、魔法の理屈を一つころっと忘れて術を唱え始める。
「蛮人風情が見くびったな! 魔法の奥深さを知って後悔するがいい!」
そう言って唱えたのは、対象を魅了する魔法だ。
どちらも強化の魔法を使っている二人ならば、お互いをぶつけてやるのが良いと思ったのだろう。
「ん? 何か、起こったか?」
もちろん、精神操作魔法なぞが、アイリにもレアにも効くわけがないのだが。
魔法で最も恐ろしいものは、相手の精神を自在に操る類のものだ。
高位魔法においては相手を魅了し長年の親友であるかの如く錯覚させるものや、幻覚を見せ敵を混乱させるようなものが存在する。
だが、そうした相手の精神に影響を及ぼす魔法は、一定以上の精神力を持つ者には全く効果を発揮しないのだ。
これはもう術者の力量云々ではなく、魔法で人を操るといった行為そのものがそもそも無理筋である証拠であると言われている。
たとえ強い意思を持たぬ者であっても、精神を平静に保つ術を学んでいれば、こうした魔法は効きづらくなるのだから、案外に使いづらい魔法でもある。
魔法の知識のない者に対しては、絶大な効果を誇る魔法でもあるのだが。
この辺の魔法の知識は、本来カレリアの人間はあまり知りえぬものであったが、スティナがこのことに妙に詳しく、そういった魔法は第十五騎士団の面々にはほとんど効かないだろうと言っていたのだ。
常人が行なったならあまりの苦痛に逃げ出さずにはおれぬような鍛錬を、日常的に行なっているのが第十五騎士団である。
心のタフさは他に類を見ぬ程であろうて。
アイリとレアがじーっと魔法使いを見る。
魔法が全く効果を発揮していないとわかると、魔法使いはそこでようやく精神操作魔法の理屈を思い出し、顔中を真っ赤に染める。
「ま、まだだ! イゴレフィスターは一体や二体ではない! 私ならば何体も作り出すことが可能なのだ! 恐れおののけ! あの巨人が軍団を作り貴様らを蹂躙していく様を見せてやろう!」
レアは思いつくままを口にする。
「なんでそれ、最初からやらないの?」
「っ!?」
脅しの言葉にも全く動じることのないレア、そしてアイリを見て、魔法使いは自らにはもう打つ手が無いことを悟る。
自尊心の強い貴族らしい貴族である彼だが、だからとここが戦場であるという事実を理解していないわけではない。
「お前ら! 自身の全てを投げ出してでも私の命を守れ!」
この命令を聞くや、兵士たちの表情が悲壮極まりないものへ変わる。
同時にレア、アイリの視界から隠れられるように兵士たちは人壁を作り上げる。
魔法使いはこの間にもう一体、超獣戦士イゴレフィスターを作り出し、そして、人壁を良いことに兵士たちを置き去りに逃げ出した。
レアは突っ込んでくる巨人の前に立ち言った。
「アイリ、手出し、無用」
「よかろう、他は任せい」
最初にそうしたようにこの巨人もまた、駆け寄りざまレアを蹴り飛ばそうと足を振り上げる。
しかし今回のレアは、腰を低く落とし、なんとこれを待ち構えている。
駆け寄る勢いと自らの体重をある程度足に乗せることに成功した巨人は、粉々に砕けるレアの姿を幻視する。
が、そうはならず。
「ふんっ!」
レアは衝突の瞬間、レアの側からも足を突き出したのだ。
蹴り出すように、足裏をまっすぐ敵の蹴り足に向けて。
そこにいかな理が働いたものか、レアはその場を全く動かぬままに、蹴りにかかっていた巨人の方が大きく弾き飛ばされてしまったではないか。
勢い良く振りぬきにかかった足は、より勝る質量に弾き飛ばされたかのように、勢いそのまま真後ろへと振り戻されてしまう。
いや、レアは僅かにだが動いている。
レアを支える大地には円状に亀裂が走っており、ここに沈み込むように、ほんの僅かに動いていた。
巨人は必死に弾かれた足を制御しながら、理不尽をなしたレアを睨み下ろす。
片足を弾かれた悪い姿勢のまま、空中高くに片腕を振り上げ、倒れこむように握り締めた右拳を振り下ろす。
その飽くなき闘志に対し、レアもまた闘志で返す。
頭上高くより振り下ろされる拳に、両足を踏ん張りつつ体を捻ってしゃがみこみ、レアも右拳を大きく後ろに引き下げる。
今度の衝突は、大地からも大仰な地響きという形で抗議の声を発してきた。
全身全霊を込め振り上げたレアの拳は、巨人の拳を再び高く高くへと跳ね上げる。
これに引かれるように巨人は後ろにたたらを踏んで下がり、大きく尻餅をついた。
片足は砕かれ、右拳も完全に粉砕された巨人は、既に戦意を喪失していた。
レアは満足気に、ふんすと息を吐き言った。
「図体ばっかり大きくても、戦には勝てない。やっぱり、技も無いとダメっ」
この光景を目撃していたイジョラ兵たちは皆、同じことを思った。
『いやそれ力じゃん』
数多の技あってのこの威力でもあったのだが、その辺は理解を得られなかった模様。
もっとも、幾ら技術があろうと、充分な膂力が無ければこの蹴りや拳を同じ技で弾き返すことは不可能であろうが。
そしてこの騒ぎの間に逃げ切りにかかる魔法使い。
だが、そんな儚い望みも叶わず。
「イジョラの魔法使いとはこの程度であったか。興醒めよな」
アイリはこんな言葉と共に、魔法使いの両足を枯れ木の枝を折るような容易さでへし折る。
これを引きずって戻るアイリに対し、何故かイジョラ兵たちは一切の手出しをしてこない。
彼らは命令を忠実に守っている。
今、下手にアイリに手を出せば魔法使いの生命が失われる危険性が高い。故に、手出しできず、見逃すのだ。
アイリは、そんな兵士たちの反応がとても薄気味悪く思えた。
兵士たちにとって、指揮官でもある魔法使いをこうして拉致されるのは許しがたきこと、であるはずなのだ。
にもかかわらずこの兵士たちは、アイリと苦痛に声も出せぬ魔法使いを見て、薄ら笑いを浮かべている者すらいるではないか。
アイリの脳裏に、いっそ全て斬っていくか、といった思考が走ったが、これ以上無為に時間を浪費するのは好ましくない。
レアを誘ってアイリはこの魔法使いを連れたまま引き上げにかかる。
敵兵士たちは最後まで、アイリたちを襲おうとはしなかった。