097.王子、女騎士達に慰められる
イェルケルは目が覚めるとまずは食事を取る。
砦の兵士たちが驚くほどの量を食べきった後、じっと食べ終わるのを待っていたスティナ、アイリ、レアに向き直る。
三人の表情が神妙なものであったことにイェルケルは不思議そうな顔をする。
彼女たちの表情の理由がわからないのだ。
「どうした?」
スティナは額を押さえて首を横に振る。
アイリは大きく大きく嘆息する。
レアは口をへの字に曲げたままだ。
三人を代表して、スティナが言った。
「殿下、顔、ヒドイですよ」
「え?」
寝て、起きて、ご飯を食べても、イェルケルは回復しきらなかったようだ。
もちろん体力的なものではなく精神的な意味で。
イェルケルは自覚も無かったようで、だが、あまり落ち着きのある精神状態ではない、というのは自分でもわかる。
スティナは明るい口調で言った。
「ねえ殿下。私、一つオススメあるんですよ。ほら、今近くにイジョラの軍が来てるじゃないですか」
「ああ」
「あれ、みんなでぶっ殺しに行きましょう。ね、アイツら気分良く殺してうさを晴らしましょうよ」
「ころそー、ころそー、ねーおーじー」
即座にアイリがつっこむ。
「いや、ね、じゃなかろーが! 主君に八つ当たり勧める騎士がどこにおるか!?」
「何よ、八つ当たりじゃないわよ。うさ晴らしようさ晴らし。気分が悪い時はほら、他人に当たるのが一番っ。しかも今なら当たっても文句の無いのがこんなにたくさんっ」
「みーなごろしー、いっしょにいこー、ねーねーおーじ、ねーおーじー」
「だーから気晴らしで戦するでない! あとレア! 貴様はさっきから何を歌っておるか!」
「がんばれ、おーじの歌」
「皆殺しの歌かと思ったぞ!?」
「じゃあ、それで」
「あっさり諦めるな! 応援する方でもう少し頑張らぬか!?」
かなり本気で落ち込んでいるイェルケルの前だというのに、やかましいことこの上ない。
イェルケルは思う。
こうして今回止めに入っているアイリからして、腹を立てれば即座に剣が出るタチではないか、とか。
いつもは馬鹿をやらかさぬよう止めに入る側のスティナも、このようにはっちゃける時はまるで遠慮が無い。
レアに関してはもう、何処まで本気なのかイェルケルにもよくわからない。
だが、それでも三人共がイェルケルを気遣ってくれているのはわかった。
彼女たちの主としてこれ以上無様は晒せまい、とイェルケルは気を取り直す。
「よし、わかった。八つ当たりやら気晴らしやらはともかく、我々第十五騎士団が揃っていてカレリアに侵入したイジョラ軍を前に何もせんというのはありえん。さすがに一万超えの兵をどうこうというのは無理だが、嫌がらせの一つでもして少しでも足止めをするとしようか」
待ってましたー、とスティナとレアが互いの手を打ち鳴らす。
アイリは苦笑しつつ問う。
「手柄の話はよろしいので?」
「あの時点でイジョラの話は出ていなかったろ。こうなった以上、カレリア全体の利益を優先して考えるべきだろう」
「はっ、ならば私にも異存はありません。せいぜい暴れ回ってやりましょう」
それに、とイェルケルはここから先は言葉に出さず思う。
あの砦で共に戦った勇敢なる三百人の、仇とまではいかぬが彼らの分も戦いたい、と思うのだ。
ただ、それが私怨と呼ばれる忌避すべきものなのか、戦友の無念を晴らす価値ある戦であるのか、イェルケルには判別がつかなかった。
イジョラ魔法王国南西部遠征軍。
これがノーテボリ砦を陥落させた軍の名称である。
この軍の将は、先遣隊を任せたグレーゲル・カールソン将軍の能力を疑ってはいなかった。
彼にできぬのであれば、今この軍にいる他の将にもできぬであろうというまでに。
実際報告にあった、見張り塔を全て同時に無力化したという話はさすがと唸らせるものであった。
しかしその後がよろしくない。
備えの整わぬ間の襲撃は失敗し、更にバケモノが出たとある。
魔法戦士に匹敵する強力な戦士の登場により、攻城戦が大いに滞ったと。
まあ、それも過剰な表現はさておき、そういうこともあろう。
だが。
「城壁を跳んで越える? 魔法も無しで? 挙句城壁から飛び降りて兵を殺し、疲れたら飛んで戻って休憩する? グレーゲルは何を血迷ったのだ?」
当然の疑問であった。
幾ら超常現象の塊、魔法を使う者たちとはいえ、できることとできないことははっきりとしているのだ。
こんな真似ができる大魔法使いがカレリアに居るなんて言われても、俄かには頷けない。
もちろん、魔法も無しでこんなことができる人間がいるなんていう馬鹿げた現実なぞ、想像もつかないわけで。
だから、最初に斥候部隊があっという間に半減させられたのも、敵軍が本格的に対斥候の兵を展開したせいだと判断した。
すなわち、敵軍主力が近くまで来たということ。
将軍はここらで最も防戦に相応しい場所を拠点と定め、陣地を作り始めた。
万の軍勢が篭るに足る砦でもあれば良かったのだが、無いなら無いでやり方はある。
西方伯爵領に向かった魔法兵団とは違い、こちらの軍には百人程しか魔法使いはいないが、それでも陣地の作成ならば充分だ。
大地は魔法使いのたった一言で大きく盛り上がり、はたまた魔法使いの命に従い人が隠れられるほどの深い溝となる。
魔法という存在に慣れているはずのイジョラ兵たちからすら、驚きと感嘆の声があがる。
何十人もの魔法使いが一斉に魔法を使う光景なんてそうそうお目にかかれるものでもないし、最も凄さがわかりやすい地形改変となれば尚更だ。
大地がまるで生き物であるかのようにうねり波打ち、自分たちを守る壁となり堀となっていくのは、兵士たちのみならず、魔法使い達にとってすら興奮を隠せぬものだろう。
これで、万を超える軍が駐屯する陣地全てを覆う土壁が出来上がったわけだ。
これだけやって目に見える代償は魔法使いたちの額の汗のみなのだから、兵士たちが勝利の予感に盛り上がるのも無理は無かろう。
ここ十年でカレリアは、馬の増産により騎馬兵力が大きく増しているとの情報は得ている。
それでもこの魔法を用いた陣地ならば、騎馬突撃を防ぐには充分すぎるであろう。
まるで砦であるかのような壁や堀を即座に用意できるのが、多数の魔法使いを擁するイジョラ軍の強みである。
ただ、それもあくまで人間、もしくは馬を相手にする前提で作られたものだ。
将軍の下に伝令が駆け込んできた。
「大変です将軍!」
その慌てふためいた様子に、ただならぬ何事かを感じ取った将軍は、周囲がその報告の体を為していない話し方を咎めようとしていたのを目線で封じた。
「何事だ?」
「わかりません!」
返ってきたのはとても思い切った言葉であった。
大変だ、との言葉に、何事か? と問うて、わからない、と返ってくる。
さしもの将軍も、このような返答を受けた経験は一度たりともない。
将軍は逆に、そこに何がしかの意味を見出そうと悩みだしてしまう。
幸い、伝令はすぐに言葉を続けてくれたので、将軍はこれ以上不毛な思考に時間をとられることはなかった。
「土壁が次々壊されているのですが! 何故そうなっているのかがわからないのです! 周辺には兵士の死体が飛び散っており! 何者かの襲撃と思えるのですがその姿を誰も捉えられておりません!」
将軍の脳裏に浮かぶ数多の魔法。
とても信じられぬことだが、先のグレーゲルの報告と合わせて考えれば明白だ。
カレリアは魔法使いを投入してきている。
それも、そこらの木っ端魔法使いでは手も足も出ぬような高位魔法の使い手だ。
だが、そうとわかれば対応手段はある。
彼はイジョラ魔法王国の将軍であるのだ。
「兵を百人単位で密集させ弓矢を構えさせろ! 敵魔法使いが何者であろうと、無数の矢に対応する魔法はそう幾つも無いからな!」
これで足止めがされれば後は難しくはない。
これほどのことができる高位魔法の使い手を、特攻のように敵陣に放り込むなんて素人丸出しの真似をされて、魔法に長けたイジョラの将として見過ごすわけにはいかないのだ。
将軍よりの指示は即座に実行に移され、程なくして敵の正体が報告されてくる。
判明している襲撃者は四人。
全員が強力無比な魔法戦士であり、魔法はもちろん矢雨も全て剣で弾くとのこと。
「……いや、百人の放つ矢を剣で全部弾くのは無理だろう」
将軍は魔法を自らも修めているイジョラの貴族らしい貴族であるが、その思考は現実的であり、できぬをできるなどとは言わぬしそう口にする者を嫌う男だ。
とはいえ高位の魔法を操るかもしれぬ相手の視界が通る場所に、自らの身を晒しだすような馬鹿もできない。
基本的に魔法とは、自身の目で見た先に放つものであるのだから。
なので敵の情報は部下の報告を頼る他ない。
四人の敵を取り囲み逃がさぬよう陣形を整えながらの戦闘になるが、指揮を執る者が皆四人を視界に納めぬようにしながらなので、どうしても対応が遅れがちだ。
そのうえ四人の速さが尋常ではないとくれば、完全な封殺なぞ望むべくも無く、イジョラ軍は良いように蹂躙されていく。
スティナの剣が飛来する矢を弾き飛ばす。
その腕の動きは常人には決して見切れぬほどの速度を持っており、それほどの速さであって尚、弾ききれぬ矢が生じるほどの矢の密度である。
「あーっ! もうっ! 鬱陶しい!」
そんな悲鳴のような声と共に、弾ききれぬ矢は体捌きでかわしながら走る。
土壁を壊そうと思ったら、いかなスティナでも一度足を止めて強く打ち込まなければならず、そうすると敵はここぞと集中して矢を射掛けてくるのだ。
走って移動さえしていればそれほど矢は集中しないので問題は無いのだが、こうまで徹底して矢での攻撃を行なってくる敵は初めてである。
土壁破壊はスティナとアイリが担当して、矢を射てくる集団に突っ込んで矢を射るどころではない状態にするのがイェルケルとレアの役目だ。
だが敵は、イェルケルとレアが眼前に迫っているというのに、これを無視してスティナとアイリに矢を射掛けてくるのだ。
おかげで当初予定していたよりもずっと土壁破壊は遅れてしまっている。
いや、最早作戦変更も已む無きと判断すべきだろう。
スティナはアイリに向かって怒鳴る。
「アイリ! そっちはどう!?」
アイリからの返事は、苛立たしげなその声の調子だけでわかる。
「駄目だ! 全然進まんっ! えいくそ! 先に兵を倒しに行って良いか!?」
「お馬鹿っ! それやるんなら一度引くべきでしょ! でんかー! でんかー! 聞こえますかー!」
敵に聞こえても構わぬと大声を張り上げるスティナに、イェルケルからの返事が。
「なんだー!?」
「これ失敗です! 一度逃げましょー!」
「わかったー! レアー! 逃げるぞー!」
レアの了承の合図を見てから、イェルケルは全員で合流し、四人一丸となって敵陣を突破した。
イジョラ側からすれば好き放題にしてやられた形だが、イェルケルたち側からすれば目標である土壁の破壊はほとんど進まぬままに撤退させられたのだから、こちらもまた作戦失敗と考えている。
予め逃げ道は決めておいたのと、四人の健脚のおかげで追撃はあっさりと振りきることができた。
当然、この時の会話はイジョラ軍側にも伝わっているのだが、こうまで好きに暴れた挙句壊された土壁もあるような状況では、四人の会話を額面どおりに受け取ってはくれず、将軍はこれを挑発の一種と受け取った。
そのような子供騙しに乗せられ軍を動かすほど愚かではないわ、だそうである。
たとえ言葉が通じても、異国間の意思疎通はかくも難しいものなのである。
眉根を寄せたレアが、不愉快げな声で言った。
「すっごく、気持ち悪かった」
イェルケルも深く頷く。
敵はイェルケルが敵陣に切り込む直前まで、見えているはずなのに完全に無視を決め込んでくる。
そのくせすぐ目の前まで行くと、最前列の兵士は驚き慌てて弓を捨て剣を抜く。
当然、即座に斬り殺すのだが、するとすぐ後ろの兵士は、まだ弓を持っているのだ。
そしてイェルケルの姿を認めるやこちらもまた驚いた顔で弓を捨て、大慌てで剣を抜く。そこで初めて逃げ出そうとする者もいた。
そんな意味のわからない対応が延々続くのだ。
剣を抜き構えるにしても逃げるにしても、もっと早くにそうすべきだし、そんなこと言われるまでもなくそうするものだろうに。
また、斬った後の表情が最悪だ。
皆が皆、どうしてこんなヒドイことをするんだ、といった非難めいた顔をしているのだ。
普通の兵士ならば、苦痛に呻く、死に絶望する、悔しさに歯噛みする、等々、もっと戦らしい顔をするはずだ。
しかるにイジョラの兵は、まるでそこらの農民を無礼討ちでもしたかのような顔をする。
間違っても戦士のそれではない。
そのくせ、イェルケルやレアが近寄るぎりぎりまでスティナたちに矢を放ち続けるなんて度胸の塊みたいな真似をしてくる。本当に意味がわからない。
ただ、ここまで滅私の心で役割に徹してこられると、さすがのイェルケルたちでもキツイ。
アイリは忌々しげな声ではあるが、イジョラの兵を称賛する。
「薄気味悪いのは確かにそうだが、兵士としては見事な働きよ。将らしき者はおらぬかと探したが、その気配を捉えることすらできなかった。こうまで捨て身な動きをさせられておきながら、将は見事に隠しおおせるとは。いやはや、イジョラの兵も中々にやるものよ」
スティナはじと目でアイリを睨む。
「へー、人がどう効率的に土壁壊すか必死に考えてた時、アンタは敵将探してたんだー」
「もののついでだ! 変な所に絡むでないわ! ……で、良い手は考えついたか?」
「やっぱり敵の魔法使いなんとかしないとねぇ。そういう意味じゃアンタの敵将探してたっての、正しいやり方だと思うんだけど」
「なーら何故文句を抜かすかー」
「理屈じゃなく本能で答えだしたアイリにムッとしたから」
「でんかー、今すぐこの根性悪を成敗する許可を頂きたくっ」
「ほら、意味のわからんケンカしない。とりあえず一戦した感じ、本隊にちょっかい出すのはさすがに無謀だったと思う。斥候潰した時みたいに、回りから丁寧に嫌がらせしてくのが良いと思うんだが」
小首をかしげるレア。
「でも、私たちがいるのに、そうそう本陣を離れる部隊、ある?」
「うーむ、どういう訳か陣地作って篭り始めたからなぁ」
まさか自分たちの斥候への攻撃がそのきっかけになってるとは思わず。
この辺りは国軍の歴戦将軍なら気付いていただろう部分で、イェルケルたちがまだ彼らに及ばぬところだ。
はいはーい、とレアが手を挙げる。
「じゃあ、敵の補給路、潰そう」
「お、いい考えだなレア」
「うん、それだけじゃない。ここから、ノーテボリに続く街道、途中に崖があるから、崩して土砂で埋める。そしたらきっと、直しに来るから、これを殺す」
おー、とスティナとアイリも手を叩く。レアは得意気であった。
イェルケルはレアに確認する。
「迂回路は?」
「半日延びる。そっちを使うんなら、それはそれでいい。退却路が一つ減るのは、きっと嫌なことだろうし」
うん、問題なしだ。と皆でレアを褒め称えたのは、一行がその崖の上に行った時まで。
これを崩して街道を塞ぐ作業をたった四人でやるのは、第十五騎士団にとっても骨の折れる作業で。
丸半日全力で動き回ってやっとこさ街道を土砂で埋め尽くすことに成功するも、その頃にはイェルケルとレアはもちろん、スティナとアイリもへばってその場に寝転がるほどであった。
「ねえレア。ここ、街道、広すぎよね。……どこか他に、もっと塞ぎやすい所、無かったの?」
「そう言ってやるなスティナ。崖から、土砂を落とすだけな分、他よりは、マシであろーて」
「…………」(←地面に突っ伏して動けなくなっているイェルケル)
「…………」(←持ち上げ損ねた岩の下敷きになって寝てるレア)
顔を見合わせたスティナとアイリは、土まみれ汗まみれではあったものの、元より山篭り経験者であるし特に気にせず、自分たちも寝て果報を待つことにするのだった。




