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090.外れるタガ



 イェルケルたちの警戒も当たり前だが、それは見当外れな心配事であった。

 戦が終わり、ターヴィ将軍が後始末に奔走し、そこら中に転がっている負傷者やらを回収しつつ軍を再び軍らしく整える。

 これにはかなりの時間がかかるので、逃走した敵本陣への追撃はすぐにはなされなかった。

 そしてその間に、ヘルゲ・リエッキネンへ至急の出頭命令が出ていた。

 ヘルゲは乗っていた馬から飛び降りると、馬をそのままにテントの中へと走り出す。

 入り口の布を払い、中に飛び込み叫ぶ。


「おじいさま!」


 すぐに、目に入った。

 戦場の最中だというのに用意されているベッド。

 その上に寝たままこちらを見ている、枯れ木のような老人。

 誰が信じよう、この痩せ細った皺だらけの顔の老人が、つい先程三万の軍勢を完膚なきまでに叩き潰した軍神、ドーグラス・リエッキネン元帥であるなどと。

 そのあまりの変貌ぶりに、悲鳴をあげそうになるのを必死に堪えるヘルゲ。

 何より、ヘルゲはすぐにしなければならないことがあったのだ。

 今すぐにでも祖父に駆け寄りたい、だが、それを拳を強く握って堪えつつ、ヘルゲはベッドの隣に座る青年に向かって頭を下げた。


「し、失礼いたしました、宰相閣下」


 ベッドに横たわるドーグラスのすぐ隣には、アンセルミ宰相が彼の手を取り座っていたのだ。

 たとえいかなる状況であろうと、彼への無礼は許されるものではない。

 アンセルミもヘルゲの忍耐がわかっているのか、余計なことは言わず頷くのみでこれを許し、すぐにドーグラスのもとへ招きよせる。

 ドーグラスはヘルゲを見るなり目を細めた。


「おお、よう来た。よう来たの、ヘルゲ。ささ、そこに立つが良い」


 元帥はヘルゲの手を、時間をかけてゆっくりと取ると、アンセルミの方へと顔を向ける。


「宰相閣下、これなるが我が孫、ヘルゲにございます。まだ若輩者故、宰相閣下にお目にかけるほどではありませぬが、此度の戦でも手柄を立てましてな。いずれ、閣下のお力になりましょう、どうぞお見知りおきを」

「ああ、噂は聞いている。まだ若いが将の器があると聞いたが真か?」

「ええ、ええ、もちろんですとも。東部での戦でヘルゲは……」


 ドーグラス元帥は、それはそれは嬉しそうにヘルゲの戦果をアンセルミ宰相へと語る。

 そして最後にこう言った。


「アンセルミ様、ワシが貴方に残せる最後のものが、ヘルゲでございます。貴方の偉業に、最後までお付き合い出来ぬのが無念ではありますが、どうぞ、カレリアを、よろしくお願いいたします」

「ああ、任せておけ。ドーグラス元帥はゆっくりと身体を休め、私とヘルゲがカレリアのために働く様を見ているがいい」

「はい、はい、アンセルミ様」


 アンセルミはここで席を立った。

 また気を利かせた他の従者たちも共にテントを出る。

 テントの内には、ドーグラス元帥とヘルゲのみが残った。

 そこで、これまで我慢し続けていたヘルゲが決壊した。


「おじいさま!」


 そう叫んで側に寄る。

 ドーグラス元帥は起こしていた身体をベッドに横たえながら、満足気に洩らす。


「ようやっと、我が望みは果たされた。もう、これで悔いは無い」

「おじいさま! そのような弱気は!」

「ヘルゲ、おお、ヘルゲ。すまなかったな。ワシのわがままをお主に押し付けてしまった。ワシはな、お主にはアンセルミ様のお力になれるような男になってほしかったのよ。アンセルミ様が認めるような、男になってほしかったのよ」

「はいっ、はいっ! わかっております!」

「すまなかったなぁ。辛かったろう? 苦しかったろう? ワシがお主に押し付けてしまっておったのはわかっておったのだ。ワシには時間が無いからと無理ばかりさせてしまった。騎士学校の頃から、お前には厳しい条件ばかり課してしまっていたな。だがな、お前はようやってくれた。ほんに見事な手柄じゃ、まだ年も行かぬというのに無理をしたのじゃろうなぁ。すまなんだなあ」

「何をおっしゃいます! 軍で身を立てるのは私の望みでもあります!」

「知っておる知っておる。お主は優しい子じゃからのう。その優しさに、付け込んでしまったわ。許せ、許せよヘルゲ。それでもワシはな、お主を本当に大切に思うておるんじゃ。なあヘルゲ、許して、許してくれい」

「おじいさま! 私の望みは! おじいさまのご期待に応えることでございます!」

「うむ、うむ、そうか、そうか。ようやったぞ、ようやったぞヘルゲ。おかげでワシは……」


 ドーグラス元帥とヘルゲの二人は、二人だけで満足行くまで話を続けた。

 そしてその夜、ドーグラス元帥は亡くなったのだった。







 第十五騎士団のテントの内で、イェルケルと三騎士が集まっている。

 常に無く真顔のイェルケルに、容赦なく切り込んでいったのはスティナであった。


「殿下、好機ですが、いかがいたしますか?」


 イェルケルは無言。

 スティナはわかりやすくはっきりと言ってやった。


「元帥の庇護が無くなったヘルゲ・リエッキネンなぞ、今の我らの力ならば謀殺したところでさしたる問題にはなりません。いえ、問題はあるでしょうが、後々アレが伸びることを考えれば、今すぐにでもケリをつけておくべきでしょう」


 スティナの意見にアイリが否を唱える。


「アレは随分と国軍の中に味方がいるのでは?」

「死人に味方する馬鹿は居ないわよ。公にはできないけど、私たちがアレを消す理由は誰もが納得するものだしね。変に時間をあけたらまた妙なのが動き出すわよ」

「なるほど、道理だ。ケネト子爵と一緒だな。偶々、お互い殺す機会を逸していただけの話か」


 レアがイェルケルに訊ねる。


「王子は、それでいいの?」

「……アイツは、敵だ。敵以外のヘルゲなんて考えられない。大体、だ。今更、アイツが何言ったって、信用なんてできるわけないじゃないか」


 そう呟くイェルケルがあまりに苦しそうなので、レアはそれ以上の言葉を止める。

 そしてスティナが尚も言い募ろうとするのを、アイリが止めた。

 三人はイェルケルのみを残し、テントを出る。

 アイリは一言だけ、残していった。


「我々は殿下のご指示に従います。ですから殿下は、存分にお悩みください」





 テントから離れた場所で、レアが首を傾げている。


「王子にとって、ヘルゲって、どういう人間なの? 私はてっきり、私で言うところの、オホト・バルトサールなのかと思ってた。だとしたら、和解とかありえないし、隙見て殺して、せいせいするだけなんだけど」


 アイリが不思議そうに問い返す。


「他の学校の者はいいのか?」

「んー、私を騙して、追い出す段取り組んだの、アレだしね。嫌がらせぐらいは、我慢してもいいけど、あのやり方だけは、絶対に許せなかった。ただ、私オホトと一緒に居たの、一年も無い。王子はアレと、四年居た。そこに差はあるの? むしろ殺意が、膨れ上がってるだけだと、思ってたけど」

「わからんよ。ただ、側で見ていて、殿下にとってのヘルゲ・リエッキネンは特別であるのでは、と思った。良い方向にではなくな」

「タダ殺すのが、嫌って? 痛めつける、とか?」

「だからそれはスティナの領分だと」

「真面目な話してんだから真面目に話せ黄色チビ」


 スティナの容赦ないつっこみで一度会話が途切れる。

 小さい咳払いの後、アイリが続ける。


「どう特別なのかはそれこそ殿下にしかわからぬことだ。故に今、どう殿下に声をかけていいのかわからん。見逃すなら見逃すで、それでも私に文句は無いのだがな」


 レアもアイリと一緒だ。

 だが、スティナは何かスティナなりの考えがあるようで、自信無さげにだったが話を始めた。


「殿下のするヘルゲ・リエッキネンの話って、ちょっと面白いのよね。腹が立った、そんな出来事の話から入るんだけど、いつの間にか、ヘルゲはどうあるべき、なんて話になってるの」


 アイリもレアも、ヘルゲの話はイェルケルから何度か聞いたことがある。

 言われてみればスティナの言う通りであった。


「国軍にツテがあるのならもっと優れた兵士に剣を教えてもらうべきだとか、お金があるのなら下らない作業はお金で誰かにやらせてその分勉強すべきだとか、元帥の孫なら遠征にも必死に頼めば連れていってもらえるんじゃないかとか。殿下は自分がヘルゲなら、ってそんなことを考えてたんじゃないかなって思うのよ」


 ぴんと来たのはレアだ。


「もしかして、王子、ヘルゲが羨ましかった?」

「多分ね。良く良く考えてみれば、学生だった頃の何もわからず剣の腕だけ磨いていた殿下からすれば、幼い頃から軍と繋がりがあって、お金もあるから色んなこともできる、貴族としても周囲からその立場を認められて、ってその頃の殿下が欲しかったもの全部持ってたはずよ」


 うわぁ、と顔が歪むレア。


「そんな相手から、四年間も理不尽に、嫌がらせされてたら、関係性が歪になるのもわかる」

「しかもその相手、ただの馬鹿貴族にしか見えないんだから。そりゃあ、殿下が腹を立てるのもわかるわよ」


 でもね、とスティナは続ける。


「今のヘルゲはきっと、殿下が理想としていたヘルゲに近づいているんじゃないかしら。私だってアイツの闘技場の運営、本気で見事だと思ったもの。その後にしたって、殿下をからかうところはさておき、それ以外は話で聞く限り馬鹿なんて一切やってないわよアイツ」


 それは、とアイリとレアが唸る。


「複雑であろうな」

「複雑、だね」

「そういうこと。だから殿下の中で引っかかるものがあって整理がつかないってのもわかるのよ。ただこれ、あくまで殿下の側の理由よね」


 そこから先のスティナの表情はあまり好意的なものとは言えなかった。


「ヘルゲの側からすれば、どっちに転ぶかこちらに全く提示してこないってのはおかしいのよ。戦力差は歴然よ、なのに何もしてこないってことはつまり、敵のままで居たいって受け取るわよこちらは」


 アイリもレアもスティナの見解に異論は無い。

 強い弱いではない。こちらに殺意を向けるというのであれば、それは全て隙あらば殺すべき敵となるのだ。


「ま、ヘルゲの側でも面倒なもの抱えてそうだけど、それは私たちが考慮するべきことじゃない。結局、殿下の胸のうち一つということよ」

「お前は既に結論を出しているように見えるが?」

「私なりに、ね。話して私も色々と整理できたし、ちょっと殿下の所行ってくるわ」


 レアがにこりと微笑みかけてきた。


「うん、スティナなら、任せられる。お願い」

「ええ、任せて」


 さらっと答えたスティナだが、いつもは全く懐かぬレアのこの言葉に、内心飛び上がって喜んでいたりするのである。




 スティナがテントに入ると、やっぱり出ていった時のままの姿でイェルケルはしゃがみこんでいた。

 殿軍の指示を出したり国軍隊長たちを従えていた姿は実に凛々しかったものだが、こうしていると拗ねた子供にしか見えない。

 だが今ここで笑ってしまってはイェルケルが嫌がりそうなので、我慢してその隣に座る。


「考え、まとまりました?」

「…………わからん」


 それきりイェルケルが黙り込んでしまうと、スティナは話題を変えてきた。


「そういえば、殿下ってどうして強くなろうとしたんですか? 殿下、相当鍛えてますよね。こう言ってはなんですが、よほどの理由でもなければ、そこまで鍛えるなんて無理だと思うんですけど」

「スティナに言われると恥かしい限りだがね。そんな珍しい理由じゃないよ、ただ、自分を鍛える分には、誰にも文句を言われないからさ」


 気分転換のつもりか、イェルケルはスティナの話に乗ってきた。


「文句?」

「私の回りには、私が強くなることを望まない人がたくさん居たんだよ。だけど、私が身体を鍛えて強くなるのだけは、彼らが何をしようと止められるものではないからね」

「随分と鬱屈してそうな幼少期ですわね」

「そうでもない。当時はそれが当たり前だと思っていたからね。……姉や、妹に、色々と頼まれ事をすると、自分が役に立ってる気がして嬉しかったんだよな」

「すみません、ちょっと引きました」

「それでも嬉しいだけじゃないから、鍛え始めたんだよ。別に私は奴隷になりたいわけじゃない。あと君、ちょっとは歯に衣着せてくれ。私の心に色々刺さる」

「今更ですわ、諦めてください。それで、鍛えて強くなって、姉妹に勝てるようにはなりましたか?」

「いやそれが全然。でも、自信にはなったかな。比べる対象がほとんど居なかったもので、自分がどれぐらいか全然わからなかったんだけど、これだけ苦しい思いしてるんだからきっと私は強いだろうって」


 くすくすと笑い出すスティナ。


「普通一人で鍛えると、どうしても自分に甘くなるものですのに」

「それは読んだ本のおかげかな。鍛えるのは苦しければ苦しいほど良いって」

「……一応言わせてください。それ、体壊しますよ」

「うん、壊した。それで蔵書館で片っ端から体鍛える関係の本読み漁って、体を壊さない苦しい鍛え方を覚えたんだ」


 雑なんだか丁寧なんだかよくわからないイェルケルの鍛錬話に、スティナは小さく笑い声をもらす。


「やっぱり殿下って、どこかおっかしいですよ」

「それに気付いたのは、騎士学校入ってからだったよ」


 二人でひとしきり笑う。

 イェルケルは反撃とばかりに問い返す。


「スティナはどうなんだ? バルトサール侯爵が出てくる前も君きっと随分と強かったんだろ?」

「あ、それ聞いちゃいます? 実は殿下説得するのに、その話題持ち出そうと思ってたところなんですよ」

「へえ、そういう話なんだ。いいよ、聞かせてほしいな」

「私は、ですね。最初こそ侯爵殺すために山に篭ったんですけど、まあ、アイリ見て、何か馬鹿らしいなって思っちゃいまして。でも、だからって侯爵みたいな連中の下風に立つのも気分が悪いじゃないですか」

「まあ、なあ」

「だったら、なればいいんですよ。どんな奴だって殺せる。どんな敵にも殺されない。そんな人間に。そーいうのが本当に居たら、普通は敵に回そうと思わないでしょ?」

「……いや、それはさすがに」

「強くなる動機なんて単純です。自分がやりたくないことをやらないで済むように、自分がやりたいことを邪魔されないように、それだけです。実際は、世の中も私の頭の中もそこまで単純なものでもないですが、要約してみると根っこの所はそういうことなんだと思います」

「いっそ清々しいほどに自分勝手な話だなおい」

「いいでしょ? 殿下もですよ。法だの立場だの、どーだっていいじゃないですか。体裁なんてものは整えるものであって、それに振り回されるようなものじゃありません。ねえ、最初に考えるのは、殿下がどうしたいか、でいいんじゃないですか?」

「それは騎士、王族のあり方じゃない」

「騎士、王族でありたいというのも、そもそも殿下の望みじゃないですか。殿下がそうありたいから、そうしてるんでしょう? 同じですよ、殿下が王子や騎士であろうとするのと、殿下が望むように動こうとするのは」


 イェルケルは反論しようとしたが口を噤む。

 スティナがしたいのは、今ここでイェルケルと議論することじゃないだろうから。

 イェルケルはスティナの言葉をじっと聞く。


「ヘルゲを殺したいのか、殺したくないのか。そんなもの、どっちが気分が良いか、どっちが気分が悪いか、それで決めればいいじゃないですか。体裁なんて、どちらでも整えられるんですよ? 法も、理屈も、どちらでも正しいと答えを導くことができるんですよ? なのに、どちらが正しいかなんて考えるだけ無駄ですよ」

「……君の、まるっきり犯罪者そのものみたいなはっそーはともかく。そもそも私は、自身がどうしたいのかすらわかっていないんだ」

「じゃあ、今決めるのが苦しいんなら、決めなきゃいいじゃないですか。きっとこの問題に関しては、ほっとけば周囲も動き出しますよ。自分で決められないんなら、周りの連中に丸投げしてやればいいんですよ。その結果が気に入らなければ、その時改めてぶち壊してやればいい。簡単でしょ?」

「そーいう周りに迷惑かけるようなことはやめい」

「かける迷惑以上に、役に立ってみせればいい。強くなってさえいれば、借りを返す手段も機会も幾らだって作れます。直接殺さなくても、そういう使い道もあるんですよ、強さって」


 勢い良く続けた言葉を切って、スティナは口調をゆっくりとしたものに切り替える。


「ヘルゲをどうするかに関しては、どっちを選んでも正しいと思える考え方があると同時に、どっちを選んでも正しくないって思える考え方があるんです。なら、そんな基準で考えることに意味なんて無いですよ。ねえ、殿下。殿下は本当は、どうしたいですか?」


 スティナの言葉に、イェルケルは全く納得した様子は無かった。

 だが、イェルケルはイェルケルなりに、この問答で見つけたものがあるようだ。

 座り込んでいた姿勢から、勢い良くその場に立ち上がる。


「ま、どうするにせよ。ここで座ってても仕方が無いってことだけははっきりしてるか。なあスティナ」


 スティナもイェルケルに倣って立ち上がる。


「はい?」

「君が今したいことって、なんなんだ?」


 スティナは花が咲いたような屈託の無い笑みで答える。


「殿下の下で、アイリとレアと、騎士団をやることですわ」



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