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088.若気の至りと老人達



 将軍たちに向かって言いたいことを言い放ったイェルケルは、後は好きにしろとばかりにテントからさっさと出ていってしまう。

 その後をついていったレアは、イェルケルの歩き方が普段と違ってかなり乱暴なものであることに気付く。

 だが、これが歩くにつれ少しずつ変わっていった。

 最初は横柄に肩を怒らせ大股に歩いていたのだが、それが普通の歩幅に縮まってきて、更にどんどんと早足になっていく。

 開いていた肩幅が徐々に縮まっていき、昂然と反らされていた胸はいつの間にか猫背にまでなってしまっている。

 レアはもしかして、と横から顔を出し、イェルケルの表情を窺ってみる。


『あちゃー』


 斥候隊長に怒られた時と同じ顔をしていた。

 第十五騎士団に割り当てられたテントに戻ると、スティナもアイリも、イェルケルの表情を見てすぐに何かがあったと察する。

 テントに戻るなり、またすみっこで膝を抱えてヘコみ始めたイェルケルをとりあえず置いといて、レアは二人に起こった出来事を話した。

 スティナが状況をまとめる。


「つまり、あまりに頭に来たんで思うがままを口にしてさっさと帰ってきてしまって、テントから出て冷静になったらかなりマズイことをしでかしたんじゃないかって気が付いて、今ここで大いにヘコんでいると」

「うん、それ」

「……殿下は、本当に……知能が低いわけでも学習能力が低いわけでもないと思うのですが、しかし、これは……」


 スティナがからからと笑って言った。


「あれよね、やっぱウチの騎士団の入団基準は今ので良かったわ。こんなの、私たちでもなきゃ付き合いきれないでしょ」

「私的には、王子の対応は、間違ってないと思う。というか私も、すっごく頭に来たし」

「世の中、理屈だけで通ることばかりではない。時に我慢も必要であろうに」

「アイリが言うな」

「アイリが、言うな」

「何故そこだけ即座に反論してくるか!?」


 三人が賑やかにしていてもイェルケルは落ち込んだ顔でしゃがみこんだまま。

 レアから細かなやりとりまで聞き出した後、スティナはイェルケルに総評を述べてやる。


「怒るのも無理ないですけど、それで頭に来てさっさと出てきてしまったのは良くないですわ。きちんと説明して、反論しておかないと。ああして将軍たちの前で意見を述べられる機会ってそうそうあるわけじゃありませんし。それに、どの将軍がどれだけ悪意があるのかも確認しないで、将軍全部一緒くたに敵意煽ってきたのはもう最悪ですね。最低限、後見してくださってるお二人の将軍には、これから謝りに行きませんと」


 うずくまったままでイェルケルは返事する。


「わかった、そうする。あああああああああ……私はどうしていつもこう……」


 大きく嘆息するアイリ。


「殿下は、窮地においては本当に頼りになる方なのだが、こう、苦手なこととなるとどうにも……」


 スティナは機嫌良く笑っている。


「あら、私はこういう殿下結構好きよ。可愛いじゃない」


 真顔のままでレアは言う。


「スティナが言う、可愛いとか好きとかって、捕食者的意図が垣間見えて、とても怖い」

「……レアがいつまで経っても私に懐いてくれないのよ。結構優しくしてると思うんだけどなぁ……」







 イェルケル王子が去った後のテントでは、将軍たちが難しい顔をしたまま黙り込んでいた。

 その重苦しい沈黙を破ったのは、イェルケルの相談役である将軍だ。


「さて、どうするかね?」


 イェルケルを脅し返していた血の気の多い将軍は苦々しい顔を隠そうともしない。


「あのような態度、許されるはずもなかろう」


 言葉には出さぬが、皆も同意しているようだ。

 相談役の将軍は、ならば、と席を立つ。


「では、以後はワシ抜きで話を進めてもらおうか。イェルケル殿下にどのような処分を下すつもりかは知らぬが、宰相閣下に頼まれた王子を処断したとして、誰がそれを宰相閣下に説明するつもりなのだ? ワシはごめんだ。宰相閣下に睨まれるのも、あの王子を敵に回すのもな。やりたければお主たちで勝手にやるがいいさ」


 若い将軍が立ち上がる。

 彼はイェルケルを詰問していた将軍である。


「そ、そのような無責任な……」


 若い将軍は、相談役の将軍に睨まれそこから先の言葉を封じられる。


「黙れ若造。ロクに戦場も知らぬ馬鹿が偉そうに弁舌で戦を語りおって。責任だと? ならば貴様が責任を取って宰相閣下に言うがいい。頼まれていたイェルケル王子はこちらの邪魔になったので処分しておきましたとな、得意の弁舌とやらで宰相閣下を言いくるめてみい」

「わ、私は別に私利私欲でそうしたのではなく、当たり前の軍のあり方として……」

「ワシは貴様に黙れ、と言ったぞ。貴様の軽佻浮薄な言葉なぞ、どうせ誰の耳にも届いておらぬわ。それでも貴様に将軍職を認めておるのは、多少なりと知恵の回りが速く気が利くせいであって、貴様の軍略なぞ欠片も期待なぞしとらん」

「な、んなっ」

「挙句、宰相閣下肝いりの相手を怒らせおって。責任と言うのなら貴様、今すぐ殿下の下に向かい機嫌を直すよう平伏すでもなんでもして詫びてこい。最早貴様にはその程度しかできることなぞ無いわ。よりにもよってあれほどの武を敵に回そうなぞと、貴様には今が戦の最中であるということすらわからぬのか?」


 侮蔑の言葉に顔色を失った彼に代わって、別の将軍が口を開く。

 彼は第十五騎士団を除く他全ての騎士団を受け入れた、イェルケルの相談役を引き受けた将軍のもう一人である。


「そう追い詰めるような言い方をせんでも良いではないか。仮にも一方は将軍位を持つハハリ将軍の証言だ。これに重きを置いてしまうのも無理は無かろう」

「あの馬鹿めを見誤った我らの責、というのであれば確かにその通りではある。ならば責任を取ってハハリめの首でも晒すか?」

「それは後の話よ。ハハリの証言、何一つ信じるに足る物なぞない。皆は調べたか? ワシは兵士たちから確認は取ってあるぞ。誰もがイェルケル殿下を称えこそすれ、責める者なぞおらなんだわ」


 これには他将軍たちも唸ってしまう。

 小生意気なイェルケルの態度は許せないが、ハハリ将軍の言葉が欺瞞に満ちているというのであれば、それを理由にイェルケルを責めるのは宰相閣下の怒りを買う行為となろう。

 宰相閣下は公正に遇したうえでならば、自分が推す者の反目に回ったとしても納得はしてくれるのだが、そこに恣意が入れば必ず見破ってくる。

 そういう恐ろしさのある人物なのだ。

 更に追い討ちのように将軍は告げる。


「大体からして、全員元帥に引きずられすぎだ。殿下が元帥に嫌われているからと、戦にそんなものを持ち込んでどうする。昔から、それが許されるのは元帥のみであったろうに」


 全員、ばつが悪そうにしながら目を逸らす。

 元帥が誰を好もうと誰を嫌おうと、他全員がそれを考慮に入れず正しく判断していれば、国軍は健全なままで元帥は気持ちよく好悪を表に出せるというものだ。

 血の気の多い将軍が手をひらひらと振る。


「ええいわかった、わかったわ。殿下のことはお主の好きにするがいい。だが、一つだけ認めてもらう。イェルケル殿下はこの後の戦には参加させん。これ以上手柄が一箇所に集中されてはかなわん」

「うむ、妥当な所じゃ。殿下には後方警戒に当たってもらおう。……手柄も認めて良いのじゃな」

「一番槍でありながら、殿を引き受け、敵将の首を取り、挙句最後まで戦場に残って退却を援護し続けているのだ。これを評価せねば兵が納得せぬわ」

「なんじゃお主、なんだかんだと言いながら、殿下の手柄調べておったのか」

「当たり前だ。俺はそもそもハハリの奴が大嫌いだからな。ハナから奴の言葉なぞ信用しとらん」

「……だーから、好き嫌いで物事を決めて良いのは元帥だけだと言っとろーがー」


 この言葉に将軍たちは皆一斉に笑い出す。

 昔からずっと元帥の下で、共に数多の激戦を潜り抜けてきたのだ。

 多少の行き違いがあろうと、意見の相違があろうと、こうして一つ笑えばすぐにいつも通りに戻れる。

 元帥世代からの世代交代を進めている国軍であるが、やはりまだ一番上の最も責任ある立場には、元帥と共に戦場を駆け続けた者たちが居た。

 それは組織として不健全な部分でもあり、実際に元帥の好き放題が許されているのも彼らが下で支えているせいなのだが、現在のカレリア国軍において最も効果的に軍を運用できるのも元帥含むこの陣容であるのだ。

 今回元帥が参陣しているのは、当人のたっての希望からだ。

 本来なら健康上の理由で皆が止めていたのだが、来たら来たで士気は滅茶苦茶跳ね上がるので、なんとかして皆で支えようということで連れてきている。

 なので今の軍を動かしているのは次代の元帥と評されている将軍で、この戦は彼のお披露目を兼ねているのだが、彼は今宰相閣下を出迎えに行っているので留守であった。

 そして元帥はというと、孫の手柄の話を聞くなり自分は寝ると言い出してテントに引っ込んでおり、そんな所に砦失墜の報告が飛び込んできたというわけだ。

 将軍たちの間で方針が定まると、イェルケルの相談役である二人の将軍は、二人だけで話し合いの場を設ける。


「いや、すまなんだ。お主に嫌な役を押し付けてしまったな」

「なんのなんの、お主には騎士団丸抱えさせているのだ。このぐらいはワシがやらねばな」

「そう言ってくれるか、すまぬな。しかし、まあ、思わぬ流れになったものよな」

「うむ。普段話をされている時や外見からは想像できぬほど、激しいお方のようじゃな。あの馬鹿に振り回されて戦場駆けずり回っていたせいかもしれんが」

「ま、あれはあれで良かったであろう。おかげで皆が殿下を兵ではなく将として見るようになった」

「兵ならばただ命ずればいいだけだ。逆らわぬし逆らったところでたかが知れておる。だが将は、強い弱いはあるにせよやり返してくる。争いになるとなれば、勝つ算段も付けぬうちに戦う馬鹿はおるまい」

「然り。とはいえ、できればヘルゲ殿のように穏やかに将器を示してほしかったものじゃがの」

「ふはははは、それはそうだがな。殿下の置かれた状況を考えれば、ワシは良くやっている方だと思うぞ」

「……確かに、な。先程も最低限の所は守ってくれたようだし」

「それよ。あそこで剣でも抜かれていたら、それこそこちらも命懸けで止めねばならなかったわ。冷や汗が出たわい」

「宰相閣下も難しいことをおっしゃるものよ。大体からして宰相閣下はあれほどの難物をいかに手懐けておるのやら」

「じきこちらにも来られよう。その時是非お聞きしておかねばな。ワシらの平穏のためにも」

「そうだな。で、ハハリはどうする? アレが余計なことを吹聴して回れば、また我らが後始末せねばならなくなるぞ」

「仕方あるまい。大した兵もおらぬし、ウチで捕らえておくか」

「完全に、見誤っておったな。ああも露骨に野心を出してくるとは」

「最後の最後で半歩でも前に出て元帥位をかっさらうつもりであったか。ここまで正体を隠し通してきたのは見事と言う他無いな」

「……宰相閣下には申し訳ないが、やはり、どうにも文官共とはソリが合わぬ」

「ハハリは随分と話せる文官だと思っておったからな。まさかあそこまで軍も戦も知らぬとは、アイツ今までさんざ従軍してきてその辺りまるで学ばなかったのか? まったく、我らと文官との間を取り持つ宰相閣下の苦労は並大抵のものではないのだろうなぁ」

「何故できもしない元帥位を求めるのか、ワシには理解できんわ」

「それを言うなら、領地を求める武官の存在も連中には理解できんのだろうよ」

「ぐ、ぐぬっ……そ、それは昔からあったことで……ああ、わかったわかった。ワシが悪かったから、そういじめてくれるな」


 都合の悪い話を振り払うように別の話題を切り出す。


「そうだ、大鷲騎士団が何か余計なことをしてるという話、そちらでは聞いておらぬか?」

「ん? 大鷲、大鷲、ああ、元帥閣下の今のお気に入りらしいな。そやつらが何かしでかしたか?」

「元帥のお気に入りだからと増長甚だしくてな。内では睨みつけて大人しくさせているが、外で何かやらかしとらんかと思ってな」

「そういう話は聞かんな。気になるというのなら調べておくが」

「頼む。大鷲騎士団はな、元帥がイェルケル殿下をハメた時に手足として使った騎士団らしくてな」

「おいっ! そういう大事なことは先に言わんか!」

「いやいや、ワシもこれ聞いたのつい一昨日の話でな。連中、元帥のために率先して嫌な仕事を引き受けておるようで、多少は大目に見てやるかと思っておったのだが、もし……」

「殿下とぶつかったらか。おお嫌だ嫌だ。とはいえこちらからは止めようもない。見かけたら自重するよう言ってやるのが関の山だな」

「それでいいから頼む。……いつものことだが、将軍ともなると、戦の場に出てすら戦以外のことで苦労するものよのう」


 二人は同時に、大きく嘆息するのだった。






 イェルケルが相談役の将軍のもとに、青い顔をしたまま頭を下げに行くと、彼らはイェルケルが考えていた以上に優しく接してくれた。

 そして他の将軍にも詫びに行きたいと言うと、彼らはこれを大層喜び、一人一人将軍の特徴を説明しつつ、細かい謝り方まで教授してくれた。

 これに従い全ての将軍のテントに謝りに行ったイェルケルは、それが自分が想像していたよりずっと楽な作業であったことに驚く。

 口汚く罵られると覚悟して行ったのだが、将軍は皆冷静で穏やかにイェルケルの非をたしなめつつ、こうして謝りに来たことを褒めてくれた。

 イェルケルを責めていた若い将軍なぞは、逆に彼から謝罪の言葉が出るほどで、あれほど怒っていたというのにこうしてイェルケルを立てようとしてくれるその配慮に、イェルケルは驚くやら自分の短慮が恥かしいやら。

 イェルケルの脅しに真っ向から脅し返してきた将軍は、イェルケルの謝罪を不機嫌そうに聞いていたが、最後にぼそりと、敵将を討ち取った騎士を指し、良き騎士を持たれたな、と言ってくれた。

 各将軍たちの大人な反応を見るにつけ、イェルケルの自己嫌悪はよりひどくなっていくのであるが。

 せめても指示には従順であろうと、イェルケルたちは軍の後方へと移動する。

 この時相談役の将軍が、大規模会戦を見るのは勉強になるからと戦場を一望できる素晴らしい場所を教えてくれた。

 いや本来は戦場が見えやすい、程度だったのだが、イェルケルたち四人は人外の領域で木登りができたのでこうなったわけだ。

 そこでイェルケルたちは、自分たち以外の非常識軍人を見ることとなる。






 カレリア国軍総司令官、ターヴィ・ナーリスヴァーラ将軍は、その報せを受けても動揺を外には見せなかった。

 敵が西方に一万の大軍を送ったことで、正面の敵は一万程度しか残っておらず、国軍二万はここぞと前進を開始した。

 だが敵は自領であることもあり、巧みにこちらを誘導し地形を利用しながら防戦に徹する。

 とはいえカレリア国軍にとってもまたここは勝手知ったる国内領土であり、そう何度も小癪な手は通じず、細かな戦では国軍が常に南部貴族連合を圧倒していた。

 少なくない損害を与えているのだが、敵に焦りの色は見られず。

 訝しげに思っていたところ、来たのだ。敵の切り札らしき、新たな二万の軍勢が。

 いったいどこから湧いて出たものか、兵士たちは動揺するし、戦略は一から組み直し、諜報担当は可哀想なぐらい慌てふためくしで、エライ騒ぎになったのだが、さすがに軍首脳はその程度ではビクともしない。

 ターヴィがどこか、と問うと、集まっている将軍皆がそれぞれの意見を表明するが、どれも決定打に欠ける。

 諜報担当によれば、敵兵士たちは他国の傭兵ばかりで恐らくどこかが大量の金を使ってかき集めたものであろうと。

 だが、南部貴族連合にそこまでの金は無いし、金が無さ過ぎて彼らの軍は現状色々と齟齬が出てしまっている。

 つまり、南部貴族連合に協力した何者かは、金は一切出さず兵だけを送り込んだということだ。

 ターヴィが問う。


「アルハンゲリスクは?」


 つい先日、イェルケルが揉め事を起こした国だ。

 現在休戦協定に関する話し合いが続いていて、むしろ向こうの方が一刻も早い休戦を望んでいるので、彼らとも考えがたい、と返ってきた。

 となると、とターヴィの視線が剣呑なものに変わる。


「帝国か」


 皆がターヴィと同じ感想を抱く。

 直接国境は接していないが、イジョラの更に西にあるこの帝国に対し、カレリアはイジョラ魔法王国と協力し何度もその侵攻を食い止めている。

 カレリアとは古くから因縁のある歴史的な敵国なのである。

 敵総数はこれで三万弱となり、こちらを上回る。

 だがターヴィ以下将軍たちは誰一人これを恐れる者なぞいない。


「ははっ、これが連中の勝算という訳か。笑わせよる」

「ちょうどいいではないか。勝てると思うておるのなら決戦にも応じよう、そこで叩き潰してやれば良い」

「南部の馬鹿貴族共め、傭兵と領地の兵とを一緒に扱ってどうする。それでは傭兵なぞただの弱兵でしかなかろうに」

「若い者たちもこれで身が引き締まろう。勝ち戦だと油断しておったからこそ、西部ではしてやられたのだからな」


 ターヴィもここで決戦を躊躇するつもりはない。

 敵もそのつもりで大規模会戦が可能な平野に出てきているようなので、カレリア国軍もここに布陣すべく前進を開始する。

 今回、不測の事態により、余裕があると思われていた戦はいきなり敵軍の方が多いということになってしまった。

 そこに宰相アンセルミが居るというのは、文官たちからすれば断じて受け入れられぬことである。

 だが今更敵が多いから都に戻る、なんて言い出せるはずもない。

 そんなもの知るか、さっさと戻せ、と言いつのる文官を無視し、武官たちは鷹揚に構えるのみだ。

 ターヴィは自信に満ち溢れた顔でアンセルミに言う。


「ちょうど良うございました。あまりに敵が弱すぎては戦の空気も感じられますまい。せっかく戦場においでいただいたのだ、宰相閣下におかれましては是非戦の醍醐味を味わっていただきましょう」


 アンセルミは周囲ほどこの状況を危険視しているわけではないが、彼ら文官の言葉も理解はできる。

 だからこそ、そういった弱腰を吹き飛ばすような威勢の良い言葉を欲し、ターヴィの発言にそれを求めた。


「醍醐味とは?」

「無論、血と悲鳴にございますよ」


 それが見える聞こえる場所に私が居ちゃまずいだろー、と思ったが口には出さないアンセルミである。

 元よりアンセルミはターヴィのこうした、戦となれば文官など歯牙にもかけぬ豪放な所を知っていたし、評価もしていたのでこんなこと言われても驚きもしないのだが。


「せいぜい楽しみにさせてもらおう。私の面倒は君がつけてくれた武官が見てくれるから、ターヴィ将軍は指揮に専念してくれ」

「はっ、必ずや勝利を宰相閣下に」


 残されたアンセルミの側に居る武官が、お互いの布陣の説明を始める。

 それを聞きながら、同時にアンセルミは全く別のことを考えている。

 カレリアの内乱に帝国が口を出すのはわかる話だし、以前にも何度かあったことだ。

 だがそれにしたところで、この程度の手出しでカレリアをどうこうなぞできるはずもない。

 だが、そこで思考が止まる。

 帝国は図体がデカイくせにカレリアほど法治が進んでいないので、担当する人間に大きな権限が与えられることが多く、人によって対応の仕方が大きく変わってくるのだ。

 内乱にて勢力を削ぐのが目的か、この程度でどうこうできると考えたか、もしくは別の一手を打ってあるか。

 現状では判断がつかない。

 世間様が言うところの辣腕宰相アンセルミほどに、なんでもできて何もかもを見通せるのであれば、仕事も随分楽になるのだが、とそんなことのできないアンセルミ宰相は武官に見えぬよう小さく嘆息するのであった。



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