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087.敗戦の報告



 その手紙を受け取ったドーグラス・リエッキネン元帥は、それはもう飛び上がらんばかりに喜んだ。


「おいっ! おいっ! これを見ろ! ヘルゲが! ヘルゲが遂にやりおったぞ!」


 元帥の身の回りの世話役兼護衛である騎士は、当然元帥がヘルゲを溺愛しているのを知っている。


「良き報せですか?」

「おおう! 最高の報せよ! あのヘルゲがだぞ! 軍を率いて手柄を立ておった! もちろん、ワシは知っておったがな、ヘルゲには軍才がある。それはもう五歳の頃からはっきりとワシには見えておったのじゃから……」


 この話は本当に長いのだが、騎士は頷きつつきちんと聞いてやる。


「……そのヘルゲが、だ。遂に手柄をのう。待ちに待った日がとうとう来おったわ。しかもじゃ! これっ! これが凄いのじゃぞ! 最初にヘルゲは作戦を申請したのじゃが、寸前で敵の罠を見抜き軍を引いたのじゃ! こーれは、中々出来る事ではない。正にこれこそが将器と言うべきものよ!」


 ここら辺は騎士もまだ初耳の話。

 それも、話半分に聞いたとしても、とてもまだ年若い士官にできるような動きとは思えなかった。

 思わず身を乗り出して聞いてしまう騎士。


「しかも! その後平気な顔でもう一度行かせてくれと抜かしたらしい! ふはっはっはっは! 肝の太さは誰に似たのかのう!」

「元帥閣下の家系で、最も胆力に優れるは元帥閣下ご本人でありましょう」

「はーっはっはっは! なるほど! ならばヘルゲの胆力はワシ譲りか! それは良い! それは良い!」


 元帥は、喜びのあまり目尻に涙すら浮かべていた。


「これで、これでワシにはもう不安は無い。宰相閣下と、ヘルゲと、二人がおればカレリアは安泰よ。ならば後は……」


 元帥から漏れた弱気の言葉に、騎士は焦ってこれを否定しようとするが、元帥からかえってきた言葉は彼の予想を大きく外れたものであった。


「このワシが! ヘルゲと! そして宰相閣下にお見せせねばなるまい! 我が渾身の戦というものをな!」


 全身から放たれる凄まじい覇気。

 直前まで孫自慢をしていた老人とは、とても思えぬ気の満ちようである。

 そして出た言葉がこれだ。


「というわけで! ワシは寝る! 後は他の奴らに任せる故好きにするよう伝えい! 後! 起きたら食事を取る故準備をしておけい!」


 言うが早いか元帥はまだ日も高いうちから、自分の寝台に向かっていってしまった。

 付き合いの長い騎士にも、今日の元帥は全く理解が及ばぬものであった。

 だがこれもまた、ドーグラス元帥らしいとも言える動きなので、騎士は言われた通りにする。

 感情のままわがままに振舞うのは、老齢に至り頭脳が衰える前からのことである。

 人情味があるといえば聞こえがいいが、感情的で独善的な基準により人の好き嫌いを決め堂々とそれを表に出すのだから、好かれた者はともかく嫌われた方としては堪ったものではなかろう。

 およそ集団の長に相応しからぬ人物であるが、その天から愛されたとも言うべき優れた軍才と、祖国カレリアへの深い愛情が皆に認められ元帥にまで登り詰めたのだ。

 また、彼は軍事に限らず専門外の人事や政治、経済においても勘所を見抜く獣のような嗅覚を持つ。

 なのでたとえ気に食わぬ人物でも、その嗅覚により重要な地位につける必要があると判断する時もあるし、気に入った人物が相手でも殺さねばならぬとの判断を下すこともできる。

 憎憎しげに嫌味を言いながら、心の内に悲哀を隠しながらではあるが、そうできるのであるからして、やはり一角の人物なのであろう。

 だが、そんな元帥の嗅覚も老齢により大きく衰えた。

 イェルケルと第十五騎士団を見誤ったまま放置しているなど、昔の元帥ならばありえなかっただろうに。

 殺すなら殺しきる、生かすのなら味方に迎える。それすらせずに、中途半端に嫌がらせのような行為をするのみなぞと、およそ軍人のやることとは思えぬ。

 元帥の考えるヘルゲの未来予想図にケチを付けたからと、イェルケルの優秀さにまるで目を向けず殺しにかかっている段階で、その衰えは明らかである。

 お互いにとっての不幸は、元帥のこの好悪に、ヘルゲのみならず周囲の人間も引きずられてしまっていることか。

 周囲への大きな影響力を残したままに、ドーグラス元帥が本来持っていた奔放で自分勝手な性質が表に出てしまっている。

 向こう百年は語り継がれるだろう、大いなる武勲を持つ生ける伝説。

 故に、誰もが、今の元帥を見誤るのである。







 敗北とは如何なることか。

 これを最も痛感できるのは、当然敗死した者ではない。

 敗残、敗れてなお命長らえた者たちである。

 最後の最後まで戦場に残ったイェルケルたちは、この悲哀を存分に味わうこととなった。

 国軍はそのほとんど全てが壊走であり、部隊として秩序立ったものではない。

 兵士たちは皆ばらばらと断続的にイェルケルの守る逃走路を訪れ、時に戦友を見なかったかと問いかけてくる。

 そんな彼らを見送りながら、抵抗の力も失われている友軍を、刈り取るように殺していく反乱軍を迎え撃ち続ける。

 敗北した軍に追撃をかけ今後の反撃の目を潰しておくのは、学校の図書室で見る分には効果的かつ効率の良いやり方だ。

 何せ敵は抵抗する力を失っているのだ、殺すならばこの時が一番楽で味方の犠牲も少なかろう。

 だがいざ、そうしてくる敵軍を見て、冷静でなどいられない。

 理性は辛うじて、これは軍としては当たり前の選択だと思いながらも、イェルケルが追撃軍に振るう刃には憤怒の色が添えられてしまう。

 大体からして、今回の戦で純粋に殺した数で言うのならイェルケルたち第十五騎士団が最も多いだろう。

 それは今イェルケルがしているような、恨みの刃を向けられる行為そのものだ。

 そんなことがわかっていても、怒りは止められない。

 血飛沫舞う戦場の最中にあっても、笑えることがあれば平然と笑い出すような第十五騎士団であっても、この任務は心に響くものがあるようで。

 時間が経つにつれ皆が無口になっていく。

 まあ、それでも動じないのも居るにはいるが。


「なにか、皆妙に殺気だっておらぬか? そうまで気合を入れるような敵は、さすがにもう来ないであろうに」


 アイリ・フォルシウスにはその手の動揺は一切無い模様。

 ぼそりとイェルケル。


「やっぱ、アイリって凄い、よな」


 レアが胡散臭そうな顔で。


「きっと、心の真ん中に、鉄の板が入ってる」


 スティナも今は笑う気になれぬようだ。


「ま、こっちがどんなに崩れても、すぐ隣に絶対に崩れない基準があってくれるのは有難いわよ。時に鬱陶しくなったとしても、そのぐらいは我慢しないと」


 ジト目になるアイリ。


「時に鬱陶しいとは私のことか?」

「自覚あるんじゃない。ねえアイリ、貴女に言ってほしいわ。私たちは、いつ引き上げるべきかしら」


 ぴくりとイェルケルの耳が動く。

 まだ誰かが残っているかもしれない。

 もっとたくさんの兵士たちが、助けを求めているかもしれない。

 だがそれは、キリのないことで。

 アイリはなんの気負いもなく言い放った。


「引き上げ時なぞとうに過ぎておる。我らはただ、殿下が納得するまで付き合うだけだ」

「戦が終わるわよ?」

「それも仕方あるまい。殿下には常に最高の状態で戦に臨んでほしいからな。案外、此度の戦も殿下が最初から乗り気であれば勝てたやもしれぬぞ」

「アンタのその無意識に人を追い詰めるところ、絶対今のうちに直しておくべきだと思うわ。ワリと本気で」


 大丈夫だ、とイェルケルが口を出してきた。


「もう切り上げ時だというのなら、引き上げるとしよう。まだ戦は終わっちゃいないんだしな」


 イェルケルが撤兵を口にすると、後は早かった。

 共に残ってくれていた兵士たちと共に、イェルケルは国軍の本陣へと引き上げていった。

 公式にはサルパウセルカの戦いは反乱軍の勝利ということになっているし、国軍側も敗北を認めている。

 最も重要な拠点である砦を取られているのだから、当然の評価であろう。

 だが、必ずしも快勝ではなかった。

 反乱軍は方面指揮官を失い、少なくない損害を被った。

 そのせいで引き上げていく国軍への大規模追撃は行なわれなかったし、国軍本陣を脅かすような動きもしなかった。

 ただ亀のように砦に篭ってここを堅守しているのみで、この砦の重要性をどちらがより理解しているかを、国軍兵士たちにこれでもかと見せつけてくれたのである。




 イェルケルは本陣にはレアのみを伴って向かうことにした。

 あまり良いことは言われなさそうなので、自分一人で行くつもりもあったのだが、敵将の首を取った騎士を置いていくわけにもいかない。

 本陣のあるここには、尚二万の軍勢が集まっており、出立前の喧騒はそのままであった。

 だが、戻ってきたイェルケルたちを見る兵士たちの目は厳しい。

 砦に篭って戦い、西との連携を断つ。

 そんな一兵士にすらわかる役割を無視して野戦を挑み、惨敗して砦を奪われたのだから当然であろう。

 悪いのは将軍だなんて言い訳、兵士たちにとっては知ったことではなく、せっかくの軍略を崩したことに対する非難の目は、生きて帰った全ての者に注がれている。

 ただ幸いというべきか当たり前というべきか、軍首脳はそんなアホな見方はしない。

 必死に逃げ帰ってきた兵士たちに、良く頑張ったと褒めこそすれ、責めるなどお門違いも良いところだとわかっている。

 彼らが責めるのは、戦の顛末に責任を持つ者だけである。


 イェルケルとレアがテントに入ると、中にずらりと揃った軍首脳からの視線が刺さる。

 悪い予感が当たった、と小さく嘆息するレア。

 イェルケルは努めて無表情を装い、彼らの前に立つ。

 帰還の報告をイェルケルが告げると、将軍の一人がねぎらいの言葉をかけてくる。

 もちろんこれは、イェルケルの後援を引き受けた将軍だ。

 そのまま穏やかな雰囲気に持っていこうとしたのだろうが、別の若い将軍がこれを遮ってきた。


「イェルケル殿下。我々は幾つか貴方に問い質さねばならないことがあります。嘘偽り無く、お答えいただけますか」

「はい」

「よろしい、ではまず一つ目。殿下がハハリ将軍の命令に著しく反抗的であったというのは本当ですか?」

「何をもって反抗的と言っているのかはわかりませんが、命令には従いました」

「だが、突撃命令を無視し、勝手に本陣に戻ってきたとありますが」

「突撃はしましたし、敵中深くにまで乗り込みもしました。騎馬隊での突撃で、敵中にいつまでも残っていろと?」

「そういう命令であるのなら従うべきでは?」

「もちろん、従いましたとも。騎馬隊は帰しましたが私たちは残って戦い、多数の首級を挙げましたよ。首、持ってきてほしかったのですか?」

「……それはこちらで聞いている話とは異なりますね。では本陣には戻らなかったと?」

「戻りましたよ。いつまでも無意味に敵中に居るのは、あほうのすることでしょうし」

「任務も果たさずに?」

「砦を捨てて逃げるという選択もまた、任務を果たさなかったと言えるでしょうが、状況如何によっては止むを得ないことであると思います」

「任務を、果たさなかったのですね?」

「敵中に突撃し、その陣を崩せ。という命令に対し、敵中に突撃した結果、陣が崩れなかったとしたらそれは私だけの責任なのでしょうか」

「はい、わかりました。任務も果たさず逃げ帰ってきたということですな。では次、サロモ・ウッパ殿を故意に見殺しにしたとありますが」

「サロモ殿は敵中突撃の最中、隊列から離れてその後、どうなったかはわかりません。が、私もそれで死んだと考えます」

「それはあまりにも無責任では? 仮にも貴方の参謀だったのでしょう?」

「私は彼を我が騎士団の参謀と認めたことなぞありません。ハハリ将軍より同行させるよう命じられたので連れていきましたが、戦場で、それも敵中に突撃せよという命令下において、その生命を確実に守れと言われましても」

「だからと故意に見殺しにすることが許されるわけではありません」

「ハハリ将軍も同じことをおっしゃいましたが、それは邪推というものです。サロモ殿は勇敢に戦い、そして命を落としたのでしょう」

「殿下がサロモ殿を忌避していただろうことは、この場での話を聞くだけでもよくわかります。疑いからは逃れられませんよ」


 イェルケルの服の裾を、レアが僅かに引っ張る。

 ちらとそちらに目を向ける。

 レアは目で言っている。やるなら合図寄越せと。

 そんなレアに苦笑を返し、イェルケルはぐるりと他の将軍たちを見回す。


「皆様にお伺いしたのですが……」


 するとイェルケルを詰問していた将軍が鋭い声を発する。


「貴方には此度の敗戦の原因であるとの疑いがかけられています。そちらからの質問なぞ認められるはず……」

「黙れ」


 イェルケルが睨みつける。

 いきなりの豹変である。

 それまで気配を殺し従順を装っていたイェルケルが、突如敵意を剥き出しにしてきたのだ。

 それは正に不意打ちであったろう。

 将軍の半数が思わず剣に手をかけてしまうほどだ。

 イェルケルは皆が黙ったのを見計らって口を開く。


「おためごかしは結構。皆様にお伺いしたい。本当に、私が原因でこの戦に負けたと皆様はお思いか? そもそもこの詰問の前に、将軍たちはどこまで戦のことを調べてあるのですか? まさかとは思いますが、一人の将軍と彼と利益を共有する参謀たちからだけ、話を聞いたなどということは無いでしょうな?」


 今度のはハハリ将軍を脅した時の殺意とは違う。

 自分は主の機嫌次第でただ打ち据えられるだけの下僕ではない、と主張してやったのだ。

 それは同時に、殺しに来るのならやり返すぞ、という意思表示でもある。


「返答や如何に」


 そしてここに集まっているのは、ハハリ将軍のような腰抜けではない、本物の将軍たちだ。

 イェルケルが凄んだ程度で押し黙り続けるようなことも無い。

 特に血の気の多い将軍が脅し返すように言ってきた。


「お主に咎があるか、それをこの場で見定めようというのだ。そのための詰問に対し、黙れとは何事だ」

「おためごかしはいらぬ、と言ったはずです。そも、私が原因かどうかなど、私に聞いてどうします。逃げ帰ってきた兵士たちに聞いて回るのが一番早く、正確でしょう。もし、私から見た戦の敗因を聞きたいというのであればお話もしましょうが、そんなものを求めているようにも見えませんしね」

「たかが一騎士団の団長風情が、能書きだけは一人前か?」

「いいえ、我らが殺してきた敵の数は、十人前でも利きませんよ。ああ、そうですね、殺した中にはこんなのも居ましたよ。レア」


 名を呼ばれたレアは、持ってきた布包みを開き、中身を将軍たちに見えるようにそっと地面に置いた。

 将軍の内、その正体に気付いたのは三分の一程度だが、イェルケルが名前を言ってやると皆が理解した。

 これこそ南部貴族連合、西方軍指揮官の首であると。


「この首は我が騎士レア・マルヤーナが取ったものです。ここまでやっても、どうにか皆を逃がすのが精一杯でした。で、貴方たちに戦を報告した某殿は、戦でいったい何をしていたのでしょうかね」


 伝わっている内容から、イェルケルはこの詰問がハハリ将軍からの報告を基に行われていると見た。

 それも随分と勝手な言い草を重ねてくれたようで、ただでさえ負け戦の後処理をやらされ気が立っていたイェルケルは、既にハハリ将軍の敵認定を済ませてしまっていた。


「そうだ、一つお願いがあったのですよ。今回の戦の最高責任者である所のハハリ将軍を、もし敗戦の責を問うて処刑するのなら是非私にやらせてもらえませんかね。たとえどんな抵抗を見せようと、形振り構わず逃げようと、誰かに助けを求めようとも、絶対に、確実に、何があろうとも、殺してみせますから」



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