083.戦況激変
死屍累々。
小一時間の戦闘で、狭い街道は矢襖となった死体でびっしりと埋め尽くされてしまった。
また最も幸運で最も勇敢な反乱軍兵士たちは、更に奥にてより無残な屍を晒すこととなる。
こちらはもう遺体の損傷が激しすぎて、よほど戦場慣れした者でもなくば正視に堪えまい。
ただ、これらを自分たちの手で作り上げた者たちからすれば、もう動かないモノなぞ恐れるほどのものでもなく。
そんなものに怯えてる暇があったら、少しでも楽な姿勢で身体中の疲労を取り除きたいと考え、死体だらけの中でぐでーと寝転がってしまっている。
声を出すのも面倒なのだが、耐えられなくなったかレアが大声で叫ぶ。
「みー! ずー! おみず、ちょーだい! だーれーかー! のーどー! かーわーいーたー!」
まるっきり子供である。
木の上から下りてきた兵士が自らの水筒を渡してやると、レアはこれを奪い取るようにひったくり、勢い良く喉に流し込む。
遠慮の欠片も見せず全てを飲み干したレアは、とても幸せそうに吐息を漏らした。
「ありがとっ、生き返った」
「いえいえ。本当に、ご苦労様でした」
たった今無数の敵を殺して回っていたばかりだというのに、この時見せたレアの微笑みはまるで天使のそれのようで、兵士は驚き赤面しつつ持ち場に戻っていった。
少し離れた場所では、起き上がることもできなくなっているイェルケルを、すぐ側でスティナが見下ろし笑っている。
「殿下、張り切りすぎましたか?」
「ゆ、弓と、剣と、交互に、って気を使ってたら、普段の、倍疲れた……二度とやらん、コレ」
同じことをしていたアイリはというと、単身で敵の動向を探りに行ってしまっている。
事あるごとにこういう差を見せ付けられるので、イェルケルはその都度鍛錬への情熱を燃やすのだが、へろへろになった身体がそれで動くようになってくれるわけではない。
戻ってきたアイリの報告によると、敵は一時攻撃を諦めたようだ。
後方の開けた場所で再集結し、更なる援軍の到着を待つのだろう。
イェルケルたちが居る場所に戻る途中、アイリは微かに足の重さを感じた。
戦闘が終わるなり、すぐに走り出したのでまるで休憩を取っていない。
それが原因の一つであろうが、それにしてもアイリの体力を考えるに消耗が早すぎる。
『夜間戦闘、のせいか。全ての所作に一手間増えてるからな。全く、今日は新しいことだらけだ。戦場とは常に新鮮な驚きに満ちておるものだな』
その驚きに対応できねば死ぬのだから、この思考が苦々しい表情と共になされるのも仕方がないことだろう。
幸い、敵は時間の猶予を与えてくれたので、こちらはこの間に充分な休息を取らせてもらう。
木上でただひたすら矢を放っているだけの弓兵も、手の皮がずるむけるほど矢を射続けていたのだから、今のうちに簡単な手当てが必要であろう。
そうした処置が一通り終わっても、敵に動きは無し。
助かるが、少し気味が悪い、とアイリはスティナに相談する。
「どう思う?」
「敵さん一万よ一万。なのにここで手を休める意味なんてわかんないわよ。ここを通るってのは、ただ手柄が欲しくて執着するなんてものとはまるで違う、勝利に必須の戦いなんだから本来は犠牲も覚悟で突っ込んでくるはずよ」
「同意見だ。敵指揮官が間抜けの可能性も捨て難いが、となると、どういうことか……」
「時間が経てば、こっちを少ない犠牲で確実に潰せるアテがある、ってのはどう?」
「そのアテとやらがわからなければ意味が無いであろうに」
「うん、だから、アイリー」
「貴様の猫なで声は、本気で気持ち悪いからよせと言っている。まあ、いい。街中ならスティナだが、野外なら私だ。敵陣の様子は私が探ってこよう」
再度、今度は敵の動きを探るつもりで調べに出向こうとしたアイリだが、その足が止まったのは街道の後ろ、つまり味方側から人が来たのが見えたからだ。
彼は息も絶え絶えの様子で、足元をふらつかせながら山道を登ってきた。
弓兵の一人が彼に駆け寄る。聞くと、第二歩兵隊の者らしい。
それなりに体力の回復したイェルケルが彼のもとに向かうと、兵士は声を限りに叫んだ。
「西の峠が抜かれました! 三つの歩兵隊はもうバラバラでどうなったものか! 急ぎ! 急ぎ対応をっ!」
この声を弓隊も第十五騎士団も、この場の全ての兵が聞き、一瞬呼吸が止まる。
イェルケルは表情を僅かに鋭くするも、焦った様子は見せぬまま問い返す。
「抜かれたのはいつだ? 西の峠に辿り着いてからどれぐらい時間が経ったか、で頼む」
「は、はいっ! 西の峠につき、我等が布陣すると、程なく、そう、三十分も経ってないと思います。敵集団の姿が見え、そして、そして……」
「どうした?」
「すみません! わからないんです!」
「何?」
「何故か突然、凄い大きな音が聞こえて、そこかしこから悲鳴が上がって。その音は何度も何度も繰り返されて、隊長から退却の声が聞こえて、わけもわからないうちに後退しようとしたところに、敵が襲い掛かってきたのです」
あまりに不気味すぎる報告に、さしものイェルケルも言葉を失う。
「私は隊長より頼まれまして、殿下に西の峠が抜かれたことを報告せよと、後はもう、一心に走ってここまで来たので、その後どうなったかは……」
「そう……か。わかった。良くやってくれた、水と、少しだが食べ物もある。それを口にして今はゆっくり休め」
「は、はいっ」
イェルケルはすぐに弓隊隊長とスティナ、アイリ、レアを集める。
「誤報、じゃないと思う。西の峠の戦況が街道下の連中に伝わっているのなら、無理攻めをしないのも理解できるからね。で、隊長。国軍の隊長として君はどうすべきだと思う?」
彼は答えを既に用意してあったのか、即座に答える。
「撤退です。即座に、一万の軍の勢力範囲から離れるべきです」
「砦は、諦めるということでいいんだな」
「報告にあった時間に西の峠が抜かれてたってんなら、砦はもう間に合いません。今頃は本隊もケツに食いつかれて身動き取れなくなってる頃でしょう」
「私もそう思う。それでも何か、手は無いものか?」
「王子、幾らなんでもこれはもう手遅れでさあ。今から俺たちが本隊の援護行ったところで数の差考えりゃ、ただ連中の手柄増やしに行くだけです。かといって砦には当然間に合わない。引き際を見失っちゃいけませんぜ」
片手で顔を押さえるイェルケル。
突破された歩兵隊のこと、窮地に陥っているだろう本隊のこと、任務が達成できないこと、どれもイェルケルに重くのしかかる。
だが、今は一刻も早い決断が必要だ。
なのでイェルケルはとりあえずで、動くことにした。
「四散した歩兵隊や本隊から逃げ延びた者が、目指すとしたらどこだと思う?」
その言葉で弓隊隊長はすぐに察する。
「東の領境を目指します。となりゃ道は二つ。待ち伏せに使える方で俺らが構えてりゃ、散発的な追撃なら、いや、中隊規模までなら追い返してみせますぜ」
「頼む。一人でも多く助けてやってくれ」
イェルケルの言葉の雰囲気から、弓隊隊長は問い返す。
「王子は、何か別のことをお考えで?」
「まだ決断がつかない。だが君たちはすぐに出た方がいいだろう。下の奴らが追いすがってくるようなら適当に私たちで相手しとくから、後ろは心配しないでいい」
「……王子、戦場で情けを持ち過ぎるのは絶対にいけませんぜ。引き際、これだけは絶対に見誤らないでくだせえ。戦には勝った負けたが付き物で、それは恥でもなんでもねえんだ」
「わかった、色々と面倒をかけたな。落ち延びてくる連中のこと、頼むぞ」
「はいっ」
弓隊はまとまって山を下りていった。
せめてもこれは使ってください、と四騎の騎馬をイェルケルたちのために置いていく。
走った方が速いし、走っていた方がたくさん殺せるのだが、当然馬に乗っていればあまり疲れずに済むので、イェルケルは有難くこれを受け取った。
そして、残るは第十五騎士団の四人のみ。
スティナがさっさと話を進めにかかる。
「で、殿下は何をしたいんですか?」
「……私たちで、さあ。敵、大将の首、取ったりできないかなーってさ」
レアが即答してやる。
「無理」
「いや待て。ちょっとぐらい考えてみてくれ。今は連中追撃に夢中だし、こっちの本隊は捉えているだろうからもう勝利を確信してるだろ。なら、油断とか、してくれてんじゃないかなって」
「絶対、無理」
「そうかなぁ、でもだぞ。敵将の首が取れれば、さすがに連中も一度下がってくれるかもしれないし」
「今は夜。敵将の居場所なんて見つけようがない。おうじ。言ってること、馬鹿将軍以下」
「…………うん、そうだな。すまない、任務を達成できないというのが、どうしても許せなくて……冷静さを欠いているか、私は」
砦の保持には拘らないなんて言っておいて、いざ任務失敗の場面に遭遇すると、無理をしてでもどうにかしたくなる。
我ながら度し難いな、と一人ヘコんでいるイェルケル。
アイリとスティナが顔を見合わせている。
言うべきか言わざるべきか、悩んでいるようだが、結局言うことにしたようだ。
スティナが大人しめの口調で言った。
「殿下、敵将云々なんてことしてる暇あったら、騎馬隊のこと構ってやった方がいいんじゃないでしょうか。あの隊長なら不穏な気配感じれば勝手に引いてくれそうな気もしますけど、西の峠が即座に落ちた報せが無いままでは、判断を誤る可能性もありますから」
イェルケルは、そこはもう騎馬隊隊長に全て任せきる、と考えていたのでスティナの言葉は少し盲点だった。
だが言われてみればその通りだ。
彼は今、イェルケルの命に従い、難しい任務に取り組んでいるのだ。
その任務も既に意味を成さぬものになっているというのに。
「よし、わかった。騎馬隊隊長と合流することを最優先に、しかる後、脱出だ」
はいっ、と三騎士の返事が重なった。